ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県浜松市、北区引佐町渋川「六所神社の凱旋記念門と大イチョウ」です!!

2022-04-01 04:23:53 | 巨樹・大木
 引佐町渋川地区は、北区役所の北北東約14kmのところ

 井伊谷から国道257号線を北へ井伊谷川に沿って進みます

 約8km進んで県道47号引佐六郎沢線を右(北東)へ道なりに進むと

 
県道脇にレンガ造りの門が見えます、これが凱旋記念門です

国登録有形文化財です

説明版に地域百科事典の切り抜きが貼ってあります
 国登録有形文化財
  凱旋記念門
平成14年2月14日登録
1、名称 凱旋記念門
2、3、4、5は隠れて見えません
6、構造・形式及び大きさ
 煉瓦造、幅3.2m、高さ3.6m
7、概要
 日露戦争を記念して六所神社参道の途中に築かれた。
 石造柱脚の上に、柱頭を鋸歯飾とした煉瓦造の柱が立ちあがり、煉瓦造の欠円アーチを挟み込む。
 煉瓦の積み方はフランス積みとする。
 大型の石製篇額を挟み、上部に江戸切仕上げ石材の重厚な笠石を載せる。県内における初期煉瓦造の構造物。
   浜松市教育委員会
地域百科事典 「れ」煉瓦造りの凱旋記念門生還を祝う
 引佐北部の渋川元組の入り口となる郷社(六所神社)の参道には煉瓦造りの凱旋記念門(以下凱旋門)が立っています。幅は、3.2m、高さ3.6mの可愛らしい大きさの凱旋門です。
 この凱旋門は、明治39(1906)年に日本が日露戦争に勝利し、渋川から従軍した人々の生還を記念して造られました。門の脚柱には日露戦争の従軍者68名と日清戦争の従軍者16名、そして門の建設で寄付した人の名前と金額が記されています。
 戦争の時代にはこういった凱旋門が日本各地に造られ、一定期間後に取り壊されました。現在、国内に残る凱旋門は、鹿児島県姶良市とこの渋川の2つのみとなっており、いずれも国の登録有形文化財に指定されています。
 渋川元組の入り口にはこの凱旋門とともに地域を見守るシンボルとして樹齢約600年を超える大イチョウがあります。枝や幹から乳房状の突起が垂れ下がることからお参りすると「お乳が良く出る」と言われています。
 この大イチョウの根元には商売繁盛の神様である恵比寿様が祀られています。かつて元組はたくさんの商店が軒を連ねていたためです。恵比寿様のお祭りである恵比寿講(神無月の20日)には、元組の人々によりお頭付きの鯛に稲穂を結んだ「かけ魚」と2本の大根が飾られます。


凱旋記念門を潜って参道を進みましょう

六所神社鳥居です

石段を進みます

参道の左手にスギの大木です

境内に上がって来ました

水盤です

拝殿です

本殿は一段上です

拝殿左手のスギの大木です

拝殿右手から更に奥へ

渋川稲荷神社です

更に上の広場には、忠魂碑が建ちます

では、戻って大イチョウへ行きましょう

六所神社参道脇の車道にスダジイに古木です

杉の大木です

下側から

参道脇から渋川元組の街中に大イチョウが見えました

十字路の脇に大イチョウです

こちら側が正面(北西側)ですね、祠には恵比寿様が祀られています

御神木指定証です

説明版です
   銀杏(樹齢推定六百余年)
  浜松市指定天然記念物
  昭和43年3月1日指定
 この木は明治9年まで渋川六所神社のご神木であったが、同年11月渋川小学校新築にともない神社は現在のところへ移転しました。
 神社の棟札によると康安2年(1361年)に神社の御宝殿を造立と書いてあり銀杏もそのころに植えられたと思われます。
 それから長年にわたり渋川の歴史を見守ってきた偉大なる古木です。
 昔、乳のでないお母さんは、この樹に御願いすれば乳が出たと伝えられています。
   浜松市教育委員会

北東側から、目通り幹囲6.7mの巨木です

南東側から、幹には上の方まで乳状気根が多数見られます

南西側から見上げました

いちょうの前から六所神社を見ました、凱旋記念門の側面と鳥居が見えました

では、次へ行きましょう


コメント
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