もう一件投稿させていただきます
浦佐地区は、南魚沼市役所の北北東約12kmのところ、国道17号線を北へ
浦佐信号で国道17号線を右に分かれて、左の県道71号線へ浦佐の商店街へ入ります
毘沙門堂の裸押し合い祭りで有名な普光寺は、JR新潟新幹線うらさ駅の北側商店街の先にあります
東側からの毘沙門堂入り口の案内板を見ました
手前に観光用の駐車場がありますので利用させていただきました
普光寺参道です
浦佐西山散策マップです、右側にはこれから見られる花々、今回目的のケヤキも載っていますので確認しましょう
山門(楼門・仁王門)です
説明版です
楼門の概説
此の山門は今から凡そ170年前の天保二年(1831)当所の豪商関市四郎氏の造営によるものである。
日光の陽明門を模どり、総欅造りで、雪国の豪雪に 釘を用いることなく組立られた建物として知られている。
楼には、毘沙門天二十八使、入口の彫像を奉 し、十六羅漢壁画及び格天井の天女の画は、京都仏画師板谷桂舟力作、何れも鮮やかなる彩が当時のまま遺されている。
楼下天井の双龍図(丸龍板絵は江戸時代の画聖谷文晁の傑作で、殆んど現存しない文晁の板絵としても大へん価値のあるものと言われており長い間毘沙門堂のシンボルとして、多くの信者から崇められてきた。
ところが双龍図は、最近老朽が進み絵を確認できないような状態となってきたので、このたび屋根吹替工事を機に、日本画家永森一郎氏の手により修復されたものである。
平成9年5月吉日
毘沙門堂別当普光寺
右手に「長寿欅」が見えています
山門前に上がって南西側から見ました
手水舎ですが、雪に埋もれた状態です
赤い屋根の普光寺本堂です
奥が「吉祥欅」です
屋根の付いた通路です
通路の左(南)側には夫婦欅です
通路右(北)側に毘沙門堂です
夛聞天王の額が懸けられています
通路左側の聖徳太子堂です
通路の突き当りに不動明王です
聖徳太子堂の裏側のスギとケヤキです
では、次へ行きましょう
浦佐地区は、南魚沼市役所の北北東約12kmのところ、国道17号線を北へ
浦佐信号で国道17号線を右に分かれて、左の県道71号線へ浦佐の商店街へ入ります
毘沙門堂の裸押し合い祭りで有名な普光寺は、JR新潟新幹線うらさ駅の北側商店街の先にあります
東側からの毘沙門堂入り口の案内板を見ました
手前に観光用の駐車場がありますので利用させていただきました
普光寺参道です
浦佐西山散策マップです、右側にはこれから見られる花々、今回目的のケヤキも載っていますので確認しましょう
山門(楼門・仁王門)です
説明版です
楼門の概説
此の山門は今から凡そ170年前の天保二年(1831)当所の豪商関市四郎氏の造営によるものである。
日光の陽明門を模どり、総欅造りで、雪国の豪雪に 釘を用いることなく組立られた建物として知られている。
楼には、毘沙門天二十八使、入口の彫像を奉 し、十六羅漢壁画及び格天井の天女の画は、京都仏画師板谷桂舟力作、何れも鮮やかなる彩が当時のまま遺されている。
楼下天井の双龍図(丸龍板絵は江戸時代の画聖谷文晁の傑作で、殆んど現存しない文晁の板絵としても大へん価値のあるものと言われており長い間毘沙門堂のシンボルとして、多くの信者から崇められてきた。
ところが双龍図は、最近老朽が進み絵を確認できないような状態となってきたので、このたび屋根吹替工事を機に、日本画家永森一郎氏の手により修復されたものである。
平成9年5月吉日
毘沙門堂別当普光寺
右手に「長寿欅」が見えています
山門前に上がって南西側から見ました
手水舎ですが、雪に埋もれた状態です
赤い屋根の普光寺本堂です
奥が「吉祥欅」です
屋根の付いた通路です
通路の左(南)側には夫婦欅です
通路右(北)側に毘沙門堂です
夛聞天王の額が懸けられています
通路左側の聖徳太子堂です
通路の突き当りに不動明王です
聖徳太子堂の裏側のスギとケヤキです
では、次へ行きましょう