*2022年4月10日に新潟県まで行って来た時のものです
東川口地区は、長岡市役所の南約20kmのところ、嘗ての北魚沼郡川口町です
国道17号線沿いの長岡市川口支所のすぐ北西側に川合神社が南東向きに鎮座します
国道沿いのコンビニを北へ入ります、鳥居前の道路脇に車を止めさせていただきました
(北側の東川口コミュニティーセンター前には大量の雪が残っていました)
参道入り口です
北東側に手水舎です
鳥居と手水舎の間に歌碑と延喜式内川合神社の文字です
説明版です
中部北陸自然歩道
延喜式内川合神社
約千年前の延喜格式での神社調査に載っている神社。
由緒不詳であるが、雄略天皇22年(478年)の創建といわれ、農耕の神の水波売命と武道の神の武甕槌命を併せ祀られています。
天喜年間(1053年~1057年)八幡太郎義家(後の源義家)が奥州征伐のおりに、戦勝を祈って泥障(あおり:馬具の一種)を献納したことから別称「泥障大明神」ともいわれています。
水の神、安産の神として古くから多くの人々の信仰を集めており、また、武の神として武運を祈願する人などで賑わいました。
句碑の道
当町は江戸時代から俳句が盛んで、多くの優れた作品が遺されています。
この句碑の道は、平成5年10月、川合神社の境内に俳人富安風生の句碑が建立されたことがきっかけで計画され、平成7年春完成したものです。
町にゆかりのある43人の俳句・短歌を刻んだ石碑を、川合神社からキャンパス川口に至る約2.5kmの区間に17基建立した、文化をたどる散歩道です。
環境省・新潟県
句碑です
境内南東端に社號標です
拝殿です
本殿です
本殿北側には石塔
本殿裏側から目的の杉の方向を見ました
境内南側の道路を進みます
建物の影(国道17号線が上越線を高架で超える手前)の水門の施設の先に目的の杉が見えました
南西側から
水門施設の階段中断から見ました
水路を渡って西側から
斜面を登って北西側から、目通り幹囲5.2mの巨木です
南東側から幹を見上げました
斜面にヤブツバキが咲いていました
では、次へ行きましょう
東川口地区は、長岡市役所の南約20kmのところ、嘗ての北魚沼郡川口町です
国道17号線沿いの長岡市川口支所のすぐ北西側に川合神社が南東向きに鎮座します
国道沿いのコンビニを北へ入ります、鳥居前の道路脇に車を止めさせていただきました
(北側の東川口コミュニティーセンター前には大量の雪が残っていました)
参道入り口です
北東側に手水舎です
鳥居と手水舎の間に歌碑と延喜式内川合神社の文字です
説明版です
中部北陸自然歩道
延喜式内川合神社
約千年前の延喜格式での神社調査に載っている神社。
由緒不詳であるが、雄略天皇22年(478年)の創建といわれ、農耕の神の水波売命と武道の神の武甕槌命を併せ祀られています。
天喜年間(1053年~1057年)八幡太郎義家(後の源義家)が奥州征伐のおりに、戦勝を祈って泥障(あおり:馬具の一種)を献納したことから別称「泥障大明神」ともいわれています。
水の神、安産の神として古くから多くの人々の信仰を集めており、また、武の神として武運を祈願する人などで賑わいました。
句碑の道
当町は江戸時代から俳句が盛んで、多くの優れた作品が遺されています。
この句碑の道は、平成5年10月、川合神社の境内に俳人富安風生の句碑が建立されたことがきっかけで計画され、平成7年春完成したものです。
町にゆかりのある43人の俳句・短歌を刻んだ石碑を、川合神社からキャンパス川口に至る約2.5kmの区間に17基建立した、文化をたどる散歩道です。
環境省・新潟県
句碑です
境内南東端に社號標です
拝殿です
本殿です
本殿北側には石塔
本殿裏側から目的の杉の方向を見ました
境内南側の道路を進みます
建物の影(国道17号線が上越線を高架で超える手前)の水門の施設の先に目的の杉が見えました
南西側から
水門施設の階段中断から見ました
水路を渡って西側から
斜面を登って北西側から、目通り幹囲5.2mの巨木です
南東側から幹を見上げました
斜面にヤブツバキが咲いていました
では、次へ行きましょう