稲毛田地区は、芳賀町役場の北約3kmのところ
県道61号真岡那須烏山線を北へ道なりに進みます
道路の正面に八雲神社の鳥居が見える左側に崇真寺の参道が東向きに開いています
八雲神社前から左に入ると崇真に境内です、境内端に車を止めさせていただきました
参道入り口です
真言宗
崇真寺
開運不動明王の石碑です
山門です
手水舎です
境内のシダレ桜を西側から
北側から
参道左手の観音堂です
鐘楼の屋根が落ちています
香台です
不動堂です
説明版です
真言宗稲毛田山金剛王院 崇真寺
北関東三十六不動尊霊場第二十番札所
当山の伝承によれば、聖武天皇の神亀5年(728年)9月吉星あらわれ、四分割の一つが下野芳志戸郷(地祇森)に落ち、天文博士に命じ占星しむるに天下泰平の兆しなるが故、お堂を建立し、金剛王院と勅号を賜り、八丁四方の田畑を給与し高僧妙尊上人を遣わしたのが起縁である。
平城天皇の大同2年(807年)2月、弘法大師奥州湯殿山開基の途中、当山に七日間御滞留し護摩修行結眼日に不動明王が現れ、これが衆生に結縁し、一夜のうちに彫刻して当山に安置された。
ある年、数度の供物喰失を叱責された小僧は、汚名を晴らそうと不動明王に21日間の祈願、結願の朝堂内に子牛大の白猛犬が倒れ居り、御真剣に血が付しており、犬の仕業と判明した。以来、開運犬切不動明王と呼ばれるようになった。60年に一度開帳される。
御本尊 胎蔵界大日如来(県指定有形文化財)
観音堂 創建は不明(鰐口、彫刻は正徳4年正月と記)
芳賀町教育委員会
犬切不動の民話が詳しく書かれています
目的のシダレ桜です
天然記念物表示板です
南西側から
北東側から見ましたが、天然記念物のシダレ桜は花付が落ちています
こちらが本堂でしょうか
境内北側の桜です
では次へ行きましょう
次に行った、烏山市八ヶ代の「西山辰街道の大桜」(ヤマザクラ)蕾が固いままでした
県道61号真岡那須烏山線を北へ道なりに進みます
道路の正面に八雲神社の鳥居が見える左側に崇真寺の参道が東向きに開いています
八雲神社前から左に入ると崇真に境内です、境内端に車を止めさせていただきました
参道入り口です
真言宗
崇真寺
開運不動明王の石碑です
山門です
手水舎です
境内のシダレ桜を西側から
北側から
参道左手の観音堂です
鐘楼の屋根が落ちています
香台です
不動堂です
説明版です
真言宗稲毛田山金剛王院 崇真寺
北関東三十六不動尊霊場第二十番札所
当山の伝承によれば、聖武天皇の神亀5年(728年)9月吉星あらわれ、四分割の一つが下野芳志戸郷(地祇森)に落ち、天文博士に命じ占星しむるに天下泰平の兆しなるが故、お堂を建立し、金剛王院と勅号を賜り、八丁四方の田畑を給与し高僧妙尊上人を遣わしたのが起縁である。
平城天皇の大同2年(807年)2月、弘法大師奥州湯殿山開基の途中、当山に七日間御滞留し護摩修行結眼日に不動明王が現れ、これが衆生に結縁し、一夜のうちに彫刻して当山に安置された。
ある年、数度の供物喰失を叱責された小僧は、汚名を晴らそうと不動明王に21日間の祈願、結願の朝堂内に子牛大の白猛犬が倒れ居り、御真剣に血が付しており、犬の仕業と判明した。以来、開運犬切不動明王と呼ばれるようになった。60年に一度開帳される。
御本尊 胎蔵界大日如来(県指定有形文化財)
観音堂 創建は不明(鰐口、彫刻は正徳4年正月と記)
芳賀町教育委員会
犬切不動の民話が詳しく書かれています
目的のシダレ桜です
天然記念物表示板です
南西側から
北東側から見ましたが、天然記念物のシダレ桜は花付が落ちています
こちらが本堂でしょうか
境内北側の桜です
では次へ行きましょう
次に行った、烏山市八ヶ代の「西山辰街道の大桜」(ヤマザクラ)蕾が固いままでした