赤泊港は、佐渡市役所の南南東約17kmのところ
県道65号線で小佐渡山地を抜けてくると
徳和信号で、県道45号佐渡一周線を右(南西)へまもなくです
港のモニュメントです、徳川家三つ葉葵の紋の帆掛け船ですね
説明版です
佐渡奉行渡海の御座船
佐渡金山隆盛時の正徳4年(1714)幕府の天領であった佐渡の奉行が二人制となり、渡海の出港地も出雲崎から寺泊に変わった。
以後幕末まで奉行が佐渡へ赴任する時は、寺泊から赤泊に渡るコースがとられた。
奉行の乗った船には4畳の仕切りがあり、葵の御紋がついた帆を張って、朝五ッ(午前8時)頃寺泊港を出港し、七ッ(午後4時)頃赤泊港へ着いた。
我先にと引船役をかって出迎える漁師衆や歓迎の村人らで港は賑わった。
その晩奉行は、赤泊に泊まり、翌朝相川にへ向かったという。
(文化がかおるモデル事業・平成5年3月・新潟県・佐渡市)
地域の地図です、今日回ってきた五所神社・太郎杉公園・戦道騎馬武者像・大椋神社も案内されています
では、小木へ行きます
赤泊港から南西へ約14km(車で約20分)のところに小木港があります
佐渡市役所からは、南南西に約24kmのところです
佐渡汽船がなくなってしまった赤泊から、本州へ帰るには小木港が近いですね
しかし、到着港は直江津ですが・・・
琴平神社(萩大宮神社)は、小木港の北西側約1kmのところ
県道45号佐渡一周線沿い南側に鳥居が建ち
傍らにケヤキの巨木が在ります
北西側から
北側から見上げました
南西側から、目通り幹囲5.1mの巨木です
南側から
鳥居から南へ入って右手に琴平神社は東向きに鎮座します
狛犬です
水盤です
石鳥居です
一段上に社殿です
歌碑です
説明版です
琴平神社
社頭歌は
「君が代は いづれの緒より しらべけむ ながく久しき ことひらの神」
八十八翁・従一位建通(不詳)
明治維新後、十二代広橋庭世の時代、神仏混交を解き金毘羅神社を建設。
従来の修験を廃し神官となる。
参道の南側には木崎神社御旅所です、木崎神社はここから南東へ約700mの小木城山公園の入り口近くにあります
では、次へ行きましょう
県道65号線で小佐渡山地を抜けてくると
徳和信号で、県道45号佐渡一周線を右(南西)へまもなくです
港のモニュメントです、徳川家三つ葉葵の紋の帆掛け船ですね
説明版です
佐渡奉行渡海の御座船
佐渡金山隆盛時の正徳4年(1714)幕府の天領であった佐渡の奉行が二人制となり、渡海の出港地も出雲崎から寺泊に変わった。
以後幕末まで奉行が佐渡へ赴任する時は、寺泊から赤泊に渡るコースがとられた。
奉行の乗った船には4畳の仕切りがあり、葵の御紋がついた帆を張って、朝五ッ(午前8時)頃寺泊港を出港し、七ッ(午後4時)頃赤泊港へ着いた。
我先にと引船役をかって出迎える漁師衆や歓迎の村人らで港は賑わった。
その晩奉行は、赤泊に泊まり、翌朝相川にへ向かったという。
(文化がかおるモデル事業・平成5年3月・新潟県・佐渡市)
地域の地図です、今日回ってきた五所神社・太郎杉公園・戦道騎馬武者像・大椋神社も案内されています
では、小木へ行きます
赤泊港から南西へ約14km(車で約20分)のところに小木港があります
佐渡市役所からは、南南西に約24kmのところです
佐渡汽船がなくなってしまった赤泊から、本州へ帰るには小木港が近いですね
しかし、到着港は直江津ですが・・・
琴平神社(萩大宮神社)は、小木港の北西側約1kmのところ
県道45号佐渡一周線沿い南側に鳥居が建ち
傍らにケヤキの巨木が在ります
北西側から
北側から見上げました
南西側から、目通り幹囲5.1mの巨木です
南側から
鳥居から南へ入って右手に琴平神社は東向きに鎮座します
狛犬です
水盤です
石鳥居です
一段上に社殿です
歌碑です
説明版です
琴平神社
社頭歌は
「君が代は いづれの緒より しらべけむ ながく久しき ことひらの神」
八十八翁・従一位建通(不詳)
明治維新後、十二代広橋庭世の時代、神仏混交を解き金毘羅神社を建設。
従来の修験を廃し神官となる。
参道の南側には木崎神社御旅所です、木崎神社はここから南東へ約700mの小木城山公園の入り口近くにあります
では、次へ行きましょう
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