ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岩手県花巻市、東和町谷内2区「丹内山神社じい杉の根」(市指定)です!!

2024-10-13 06:30:17 | 巨木・文化財
 東和町谷内2区は、花巻市役所の東南東約16km、花巻市役所東和総合支所の南東約7kmの所です

 花巻市役所東和総合支所西側の県道43号線をJR釜石線の線路を潜って南西へ

 約300mで国道283号線(土沢バイパス)の信号を左(東南東)へ、遠野方面へ進みます

 道成りに約4kmで右(南西)へ猿ケ石川を上瀬橋で渡って直ぐ左(南東)へ

 約1.6kmで、道路右手に赤い「丹内山神社」の大鳥居(一ノ鳥居)です 

 約1.1kmで「丹内山神社表参道」の石鳥居(ニノ鳥居)が有りますが

 史跡 丹内山神社経塚の標柱です

 鳥居の柱に説明書きです
    丹内山神社と藤原清衡の由来について
 当社権現の御神徳は、日ごと月ごとに霊験あらたかで、嘉保3年(1096)頃、当時の管領藤原清衡の信仰浅からぬものがあり、耕地24町を神領として、また山内に御堂108ヶ所を建立し、108躰の仏像を安置したと伝えられております。
 藤原清衡は、隣の郡である江刺の餅田の館に居りましたので、距離も遠くなかったことから、毎年の例祭には、清衡自身みずから奉幣して、祭りを司っていたと言われています。
 その後、中世の永徳4年(1384)から元亀2年(1571)にかけて、安俵小原氏(安俵城主)平清義・時義・義清等によって、御堂・大聖寺権現堂・観音堂を再興したと棟札等の史料に記されております。
              東和町

 周辺観光案内図には車で神社まで行けるようなので行ってみることにします

 更に約400mで大きな「丹内山神社⇐」の看板の所を左(北東)へ入ります

 約400mで丹内山神社前の駐車場に入りました、参拝客の車が数台止まっています

 駐車場脇の「はなまき市とうわ町観光案内図」です、数回前に行った毘沙門堂も図の左方に記されています

 西向きに参道入口です

 説明版です
   丹内山神社と藤原清衡公の由来
 当神社は地方開拓の祖神として栄え、延暦年間、坂上田村麻呂が東夷の際に参寵される等、日ごと月ごとに霊験あらたかで、嘉保3年(1096)頃から当時の管領藤原清衡公の信仰が篤に厚く、耕地24町歩を神領として寄進され、また山内には御堂108ケ所を建立し、108躰の仏像を安置した社と伝えられています。 
 藤原清衡は、隣の郡である江刺の餅田の館に居住していたことから、当神社に距離も近く、毎年の例祭には、清衡自ら奉幣して、祭りを司っていたと言われています。
 その後は、安俵城主小原氏、(平清義・時義・義清)更には、南部藩主南部利敬公の崇敬が厚く、藩主の祈願所として栄え、現在に至っています。
            東和町観光協会

 参拝案内です、参拝順路が記されていますが、逆に回ってしまいそうです

 参道に入って直ぐに左手に駒形社です

 目的の「じい杉の根」があります

 南西側から、根株に成っても花巻市指定天然記念物です

 説明版です
   御神木爺杉の根
 この杉の根株は、根回り12.12m、高さ約60m、樹齢2000年の古木と伝えられています。
 大正2年(1913年)、延焼により焼失しましたが、その根株を保存しています。 

 南側から

 赤い両部鳥居は三ノ鳥居です

 参拝順に従って境内を見て参りたいところですが・・・

 参道脇のイチョウです

 七不思議説明版です
   丹内山神社七不思議
     その6、銀杏
 この銀杏の葉は、どんな強風でも境内の外に飛び散らないと伝えられています。

 観音堂祖霊社相殿です

 説明版です
   岩手県指定有形文化財(彫刻)
     木造十一面観音菩薩立像
       指定年月日 平成6年9月16日
       所在地   花巻市東和町谷内
       所有者   丹内山神社
       法量    全高158cm
 丹内山神社の由緒によると、平安時代に、平泉・藤原氏からこの像が寄進されたと伝えられています。
 一木造りで、像容に多くの類似点が見られることから、凌雲寺・十一面観音立像と同一の人物により制作されたと考えられています。
 明治初年の廃仏毀釈によって、東和町安俵の凌雲寺に移されていましたが、後に丹内山神社に戻されて今にいたります。
   花巻市指定有形文化財(彫刻)
     丹内山神社仏像(不動明王立像)
       指定年月日 昭和32年3月31日
       所在地   花巻市東和町谷内
       法量    全高135cm
 一木造り、虫損や風化により詳細な像容は把握できませんが、肉付の少ない体躯や静的な姿勢から、平安時代から鎌倉時代頃の作と考えられます。
 木造十一面観音立像と同様、明治初年の廃仏毀釈で、凌雲寺に移されていましたが、後に丹内山神社に戻されて今に至ります。 

 
 長く成ってしまいましたので、続きにさせて頂きます<m(__)m>



 2024・9・12・14・50

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