旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

大窪八幡宮

2023-02-15 17:54:51 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「1630(寛永7)年9月に豊前国(大分県)宇佐八幡宮より分霊を勧請、創建したと伝える。祭神は仲衰天皇、応神天皇、気長足姫命である。1631(寛永8)年8月15日、明石城主小笠原忠真(初名忠政)が一町二反五畝の黒印地を寄付したとある。それ以来、歴代の城主は15石を寄せた。1873(明治6)年、同神社に大窪村立明善小学校が開設された。紀伊殿、神輿倉、神楽殿などを校舎にして、光触寺住職らが教師になった。」
明石市大久保町大窪1478
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鳥居

由緒書

境内



狛犬





社務所

神馬

手水舎



拝殿









絵馬



本殿、工事中でした。

末社・荒神社
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光触寺

2023-02-15 17:44:56 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「真宗興正派の寺院、山号を解脱山と号す。1185(文治元)年に平家が滅亡したあと、源氏の武将佐々木秀義の五男義清は、幕府の役人となって日々をすごしていたが、兄の高綱が高野山に入り僧となったのを知り、比叡山に登って慈鎮和尚に師事した。のち出家し寿信となって、天台宗を学んだ。野辺に腰をおろして読経した。この土地が気に入って、農夫に一夜の宿を乞うた。朝夕に仏の道を説いたところ、村の人がこぞって集まり、永住を願って寺院を建てた。それが寺の始まり。表門の薬医門は四足の門(陽明門)で、姫路城主池田輝政の寄進である。三木城攻めで秀吉は光触寺に陣を置き、池田輝政を守りにつかせた。2年のち、三木が落城したあと、秀吉は寺の敷地三反四畝十八歩を御免地として寄進、輝政も門と鐘楼堂を贈ったという。」
山門は閉まっていたので境内には入れませんでした。
明石市大久保町大窪1213
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寺標

山門

左巻地蔵尊



手水舎

鐘楼

本堂


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教専寺

2023-02-15 17:30:53 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「真宗興正派の寺院で、山号は高南山と号す。本尊は阿弥陀如来です。詳細は不祥。」
明石市大久保町大窪984
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寺標

山門





手水舎



境内の慰霊碑

本堂







玄関





法林院

鎮守社
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西東光寺

2023-02-15 17:23:13 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。『
「正式名は真宗興正派本源山東光寺。1762(宝暦12)年の播磨の地誌『播磨鑑』には『一向宗西派 在松陰村 大窪村光触寺末寺 本堂四間三間 庫裏』とある。本尊は阿弥陀如来。寺伝によると、1546(天文15)年9月、徳亥彰松が寺を興し天台宗に属した。1641(寛永18)年には淨慶が真宗に帰依、興正寺の末寺になった。この時に東光寺の名をつけたといわれる。西東光寺には安政年間(1854~60)に寺子屋が設けられ、1871(明治4)年ごろに廃止された。」
明石市大久保町松陰143
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山門

手水鉢

本堂

境内

庫裏

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住吉神社

2023-02-15 17:14:12 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「主祭神は表筒男命、配祀神は中筒男命、底筒男命、気長足姫命。ご神徳は家内安全、海上安全、災厄消除、農業商業繁昌の神として神徳広く崇敬される。」
明石市松陰235
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鳥居

拝殿







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東東光寺(ひがしとうこうじ)

2023-02-15 17:03:06 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「真宗大谷派正東山と号す。建築年代は不祥。寺伝によると、創建は1530(享禄3)年という。戦国時代の真っただ中で、戦乱が相次いだころ。はじめは天台宗だったといわれるが、1649(慶安2)年ごろ、浄心の時に真宗に転じた。本尊は阿弥陀如来である。古文書類はほとんど残っておらず、寺の詳しい由緒はわかっていない。」
明石市大久保町松陰173
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山門

本堂

境内





庫裏
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常徳寺

2023-02-15 16:20:12 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「真宗大谷派の寺院で、山号は法性山と号す。詳細は不祥。」
明石市大久保町大久保町706
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山門

鐘楼

銅鐘

境内

本堂



常徳寺会館

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常楽寺

2023-02-15 16:08:54 | 明石市
2023年2月15日、お参りしました。
「臨済宗妙心寺派の寺院、安泰山、本尊は釈迦牟尼仏。寺伝によると1562(永禄5)年に釈休和尚が小庵を開いた。常に妙心寺派の僧が住持していたが、1712(正徳2)年2月、妙心寺末寺になった。翌年4月、湖林和尚が来て伽藍を改築する。以来、湖林を中興の祖としたという。この時の本堂は痛みがひどくなり、1976(昭和51)年に鉄筋コンクリートに改築され、山門も1983に建て替えられた。一時寺子屋があった。森田は昔、大窪町東野原といい、1658(万治元)年ごろ、林崎掘割を設計した和坂の工師山崎宗左衛門が移り住み、掘割を引いたため広い原野が田畑にかわった。次々と人々が住みはじめ、村が大きくなった。時の明石城主松平日向守信之は、井戸を二つ掘り、屋敷二四を村に与え、森田村と改めたといわれる。新田の開発は1666(寛文6)年ごろ完成した。住吉神社もこのころに村の守り神として建立されたのだろう。」
明石市大久保町大久保町848
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寺表



山門







水子地蔵尊

手水鉢

本堂











玄関




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観音寺

2023-02-04 11:34:50 | 明石市
2023年2月3日、お参りしました。
「周囲の旧二見村は安土桃山時代と江戸時代、二度にわたり大火に見舞われたが、本堂だけは焼けずに残ったという。1267(文永4)年の創建とされ、当時は南海山法船寺と称していました。1442(嘉吉2)年5月に瓦葺き本堂を領主小川正辰が再興しました。その際の棟札が最古の資料です。その後、1472(文明4)年に横河公孝公が龍洲和尚(京都)を迎え、南海山法船寺の開山としました。1581(天正9)年5月、二見村に火災が起き、観音堂は焼け残りました。後に姫路藩主池田輝政に仕えた横河重陳が1593(文禄2)年、京都妙心寺より天巌清長禅師を請いて開山とし、現在の補陀山観音寺と名を改めました。その後、1790()寛政2)年11月、二見村はまたも大火に見舞われましたが、観音堂は焼け残りました。その不思議な霊験をあがめ、人々は防火観世音菩薩と仰ぎ信仰しています。1993(平成5)年、鉄筋3階建の本堂が再建された。」
明石市二見町1643
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寺標

山門

庭園



由緒書

本堂



やすらぎ観音
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徳源寺

2023-02-04 11:26:27 | 明石市
2023年2月3日、お参りしました。
「臨済宗妙心寺派の寺院で山号を南昌山と号す。妙心寺の高僧である天巌清長禅師は、播磨の国の二見地方の仏教が衰微しているのを巡教の途中で知り、1616(元和2)年9月、徳源寺を建立。
明石市二見町東二見1691
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寺標

山門

本堂

子安地蔵






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