2024年10月5日、ぶらり酒蔵巡りをしました。阪神西宮駅から酒蔵をめぐり、今津駅に行きました。
酒造りで有名な灘五郷、その中の西宮郷・今津郷はともに江戸時代より発展してきた酒蔵の街です。2020年、これら日本酒に関するストーリーなどが日本遺産に認定されました。江戸時代、伊丹・西宮・灘の酒造家たちは、優れた技術、良質な米と水、酒輸送専用の樽廻船によって「下り酒」と称賛された上質の酒を江戸へ届け、清酒のスタンダードを築きました。
酒造家たちの技術革新への情熱は、伝統ある酒蔵としての矜持と進取の気風を生み、「阪神間」の文化を育みました。六甲山の風土と人に恵まれた地では、水を守り米を育てる人々、祭りに集う人々、酒の香漂う酒造地帯を訪れ、蔵開きを楽しむ人々が共にあり、400年の伝統と革新の清酒が造られています。
この地域でつくられる清酒は、1936(昭和11)年に兵庫県で開発され、酒米の王様として知られる「山田錦」と、江戸時代に酒造適正が確認されて以来地域で守られてきた、西宮でしか汲むことができない「宮水」という優れた材料を使用しています。さらに六甲山から吹き降ろす冷たくて乾燥した北風「六甲颪」が生み出す酒造りに適した気候と、日本の清酒造りの基礎をつくった「丹波杜氏」たちの技術によって生み出されています。江戸時代の多い年には100万樽もの清酒が、西宮・大坂の港から樽廻船で江戸へ運ばれ、「下り酒」と呼ばれて人気を博しました。
阪神西宮駅の「おでかけ案内所」に立ち寄り、地図をもらいました。
西宮のマンホール
阪神西宮駅の南西徒歩10分650m、阪神高速3号線の少し南にある北山酒造へ、土曜日のためお休みでした。
北山酒造
「兵庫県小野市粟生町にて代々『ローズ味醂』と名付けた味醂を約200年に渡り、醸造販売していましたが、1919(大正8)年に、二代目北山丈蔵が清酒醸造に転業し『島美人』と名付け、主として東播・北播地域及び兵庫県の神戸市・姫路市にも販路を拡大していきました。1949(昭和24)年に、三代目北山丈蔵の相続と同時に株式会社に変更し営業を営んでいましたが、年々の増産により既存の工場が狭くなったこと、また設備が老朽化してきたことから、1962(昭和37)年に、兵庫県西宮市宮前町へ本社並びに酒造工場を移転しました。」
西宮市宮前町8-3
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少し南東に進みます。
松竹梅酒造
清酒「灘一」の販売をしています。
HPより「戦前の松竹梅酒造は故井上信次郎氏によって大正初期に設立され、扱う清酒はまぼろしの銘酒とも言われていました。昭和初期には醸造石数は9,000石にも達し、質、量ともに屈指の酒造会社でした。しかし第二次大戦の戦火拡大によって企業整理が進み、さらに軍需工場となり清酒の醸造は中止に至りました。
戦後、創業者である野田博は松竹梅酒造の復活に寝食を忘れ情熱を傾けた結果、昭和25年新たに松竹梅酒造を設立、ここに『灘一』の蔵元としての松竹梅酒造株式会社が再発足しました。」
兵庫県西宮市浜町13-10
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東に徒歩2分
白鷹
白鹿・辰馬本家酒造株式会社
白鹿酒造館
酒造館と記念館の拝観共通券は500円です。
1869(明治2)年建築の辰馬本家酒造旧本蔵を利用した酒造館では、灘の伝統的な日本酒造りの工程を見れます。酒造りの映像・酒造りの唄の試聴、酒造道具に触れるヒーナーもあります。展示している酒造用具一式および酒造用桶・樽づくり道具一式は、兵庫県および西宮指定の有形民俗文化財に指定されています。
阪神淡路大震災で被災した道具など
白鹿記念館
日本酒と桜に関する資料、そしてさまざまな美術工芸品を展示
記念館には企画展示室、酒資料室、笹部さくら資料室の3つの展示室があります。酒資料室は、日本酒に関する史料や美術品、酒器などを展示しています。企画展示室は、酒造家・辰馬家が収集した美術工芸品や節句の人形をはじめ、西宮神社で有名な福神「えべっさん」や郷土資料を集めた「堀内ゑびすコレクション」など、季節に合わせた展覧会を開催しています。笹部さくら資料室は、生涯を日本古来の山桜・里桜の保護・育成に捧げた笹部新太郎氏が収集した、桜にまつわる美術工芸品や研究資料からなる「笹部コレクション」を展示しています。
館内は撮影禁止です。
白鹿クラシックス
白鹿のレストランと売店です。
酒や食品のほか、オリジナルスイーツ、酒器、お土産など。
案内図
宮水井
東に進みます。
日本盛酒造通り煉瓦館
蔵元でしか味わえないしぼりたての生原酒をサーバーから量り売りをしています。原酒の試飲や限定酒、酒器なども販売しています。
國産酒造
創業は文久元年(1861年)で、約140年ほどの歴史があります。戦前は覺心平十郎商店として、現在の所在地を中心に、10蔵で最高約1万石(1800kl)の清酒醸造高を記録していましたが、第2次大戦でその殆んどを焼失し、戦後昭和23年に組織を改め國産酒造株式会社を設立。戦災を免れた唯一の蔵「大新蔵」で清酒を生産していました。この「大新蔵」は、築後100年以上を経た、木造の大蔵で、阪神淡路大震災にも、倒壊を免れた強運の酒蔵でした。 昔は問屋の手印で出荷していた関係から色々な銘柄がありました。中でも主として使っていた「國産」印は、戦後社名となり大吟醸造酒「國産一」として受け継がれています。一方「灘自慢」は、昭和35年に新しく発売され、文学通り主産地灘五郷において、自慢できる酒として名付けられました。 つねに厳選された酒米を高精白に磨き上げ、天与の名水「宮水」で仕込み精魂を込めた技法によって、豊かな味わい深い「秋栄えの酒」に仕上げられています。
1995年の阪神淡路大震災で被災し醸造を断念、現在は大関(兵庫県西宮市)に醸造を委託しています。
大関
大関は今から約300年以上前、江戸時代中期の正徳元年(1711年)に、初代 大坂屋長兵衛が今津の地で清酒醸造を開始したのが始まりです。江戸時代は銘酒「万両」として樽廻船で江戸に運ばれ「灘の下り酒」として親しまれましたが、更なる飛躍を目指し明治17年(1884年)、当時大変人気のあった大相撲に因み、その最高位で覇者を表し、その韻が豊穣を意味する「大出来」に通じる「清酒大関」に改め現在に至っています。登録銘柄は、超特撰大吟醸長寿です。
酒造りで有名な灘五郷、その中の西宮郷・今津郷はともに江戸時代より発展してきた酒蔵の街です。2020年、これら日本酒に関するストーリーなどが日本遺産に認定されました。江戸時代、伊丹・西宮・灘の酒造家たちは、優れた技術、良質な米と水、酒輸送専用の樽廻船によって「下り酒」と称賛された上質の酒を江戸へ届け、清酒のスタンダードを築きました。
酒造家たちの技術革新への情熱は、伝統ある酒蔵としての矜持と進取の気風を生み、「阪神間」の文化を育みました。六甲山の風土と人に恵まれた地では、水を守り米を育てる人々、祭りに集う人々、酒の香漂う酒造地帯を訪れ、蔵開きを楽しむ人々が共にあり、400年の伝統と革新の清酒が造られています。
この地域でつくられる清酒は、1936(昭和11)年に兵庫県で開発され、酒米の王様として知られる「山田錦」と、江戸時代に酒造適正が確認されて以来地域で守られてきた、西宮でしか汲むことができない「宮水」という優れた材料を使用しています。さらに六甲山から吹き降ろす冷たくて乾燥した北風「六甲颪」が生み出す酒造りに適した気候と、日本の清酒造りの基礎をつくった「丹波杜氏」たちの技術によって生み出されています。江戸時代の多い年には100万樽もの清酒が、西宮・大坂の港から樽廻船で江戸へ運ばれ、「下り酒」と呼ばれて人気を博しました。
阪神西宮駅の「おでかけ案内所」に立ち寄り、地図をもらいました。
西宮のマンホール
阪神西宮駅の南西徒歩10分650m、阪神高速3号線の少し南にある北山酒造へ、土曜日のためお休みでした。
北山酒造
「兵庫県小野市粟生町にて代々『ローズ味醂』と名付けた味醂を約200年に渡り、醸造販売していましたが、1919(大正8)年に、二代目北山丈蔵が清酒醸造に転業し『島美人』と名付け、主として東播・北播地域及び兵庫県の神戸市・姫路市にも販路を拡大していきました。1949(昭和24)年に、三代目北山丈蔵の相続と同時に株式会社に変更し営業を営んでいましたが、年々の増産により既存の工場が狭くなったこと、また設備が老朽化してきたことから、1962(昭和37)年に、兵庫県西宮市宮前町へ本社並びに酒造工場を移転しました。」
西宮市宮前町8-3
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少し南東に進みます。
松竹梅酒造
清酒「灘一」の販売をしています。
HPより「戦前の松竹梅酒造は故井上信次郎氏によって大正初期に設立され、扱う清酒はまぼろしの銘酒とも言われていました。昭和初期には醸造石数は9,000石にも達し、質、量ともに屈指の酒造会社でした。しかし第二次大戦の戦火拡大によって企業整理が進み、さらに軍需工場となり清酒の醸造は中止に至りました。
戦後、創業者である野田博は松竹梅酒造の復活に寝食を忘れ情熱を傾けた結果、昭和25年新たに松竹梅酒造を設立、ここに『灘一』の蔵元としての松竹梅酒造株式会社が再発足しました。」
兵庫県西宮市浜町13-10
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東に徒歩2分
白鷹
白鹿・辰馬本家酒造株式会社
白鹿酒造館
酒造館と記念館の拝観共通券は500円です。
1869(明治2)年建築の辰馬本家酒造旧本蔵を利用した酒造館では、灘の伝統的な日本酒造りの工程を見れます。酒造りの映像・酒造りの唄の試聴、酒造道具に触れるヒーナーもあります。展示している酒造用具一式および酒造用桶・樽づくり道具一式は、兵庫県および西宮指定の有形民俗文化財に指定されています。
阪神淡路大震災で被災した道具など
白鹿記念館
日本酒と桜に関する資料、そしてさまざまな美術工芸品を展示
記念館には企画展示室、酒資料室、笹部さくら資料室の3つの展示室があります。酒資料室は、日本酒に関する史料や美術品、酒器などを展示しています。企画展示室は、酒造家・辰馬家が収集した美術工芸品や節句の人形をはじめ、西宮神社で有名な福神「えべっさん」や郷土資料を集めた「堀内ゑびすコレクション」など、季節に合わせた展覧会を開催しています。笹部さくら資料室は、生涯を日本古来の山桜・里桜の保護・育成に捧げた笹部新太郎氏が収集した、桜にまつわる美術工芸品や研究資料からなる「笹部コレクション」を展示しています。
館内は撮影禁止です。
白鹿クラシックス
白鹿のレストランと売店です。
酒や食品のほか、オリジナルスイーツ、酒器、お土産など。
案内図
宮水井
東に進みます。
日本盛酒造通り煉瓦館
蔵元でしか味わえないしぼりたての生原酒をサーバーから量り売りをしています。原酒の試飲や限定酒、酒器なども販売しています。
國産酒造
創業は文久元年(1861年)で、約140年ほどの歴史があります。戦前は覺心平十郎商店として、現在の所在地を中心に、10蔵で最高約1万石(1800kl)の清酒醸造高を記録していましたが、第2次大戦でその殆んどを焼失し、戦後昭和23年に組織を改め國産酒造株式会社を設立。戦災を免れた唯一の蔵「大新蔵」で清酒を生産していました。この「大新蔵」は、築後100年以上を経た、木造の大蔵で、阪神淡路大震災にも、倒壊を免れた強運の酒蔵でした。 昔は問屋の手印で出荷していた関係から色々な銘柄がありました。中でも主として使っていた「國産」印は、戦後社名となり大吟醸造酒「國産一」として受け継がれています。一方「灘自慢」は、昭和35年に新しく発売され、文学通り主産地灘五郷において、自慢できる酒として名付けられました。 つねに厳選された酒米を高精白に磨き上げ、天与の名水「宮水」で仕込み精魂を込めた技法によって、豊かな味わい深い「秋栄えの酒」に仕上げられています。
1995年の阪神淡路大震災で被災し醸造を断念、現在は大関(兵庫県西宮市)に醸造を委託しています。
大関
大関は今から約300年以上前、江戸時代中期の正徳元年(1711年)に、初代 大坂屋長兵衛が今津の地で清酒醸造を開始したのが始まりです。江戸時代は銘酒「万両」として樽廻船で江戸に運ばれ「灘の下り酒」として親しまれましたが、更なる飛躍を目指し明治17年(1884年)、当時大変人気のあった大相撲に因み、その最高位で覇者を表し、その韻が豊穣を意味する「大出来」に通じる「清酒大関」に改め現在に至っています。登録銘柄は、超特撰大吟醸長寿です。
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