回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

ルビコン川を渡る

2020年05月12日 05時17分31秒 | 日記

紀元前49年1月10日、「賽は投げられた」と言ってジュリアス・シーザーが元老院の反対にもかかわらず自らポンペイウスの陰謀に対抗するためローマに戻ろうとして、当時軍をひきいての渡河が禁止され、もし渡河すると反逆とみなされて死刑になるというルビコン川を渡った。ルビコン川を渡る、という言葉は、これをしてはもはや引き返すことはできないというまさに命を懸けた、重大な決断をすることを意味する。そう言われれば、シーザー配下の将兵は退路を断たれたも同然なので死に物狂いで勝利を手にするしかなくなった。「賽は投げられた」わけで、投げられた賽が元に戻ることは物理的にもあり得ない。歴史上もっとも有名な川の一つだが実際には、川幅の狭いところで1メートル、広いところでも5メートルという小さな川。しかし、許されないことを実行するということの象徴なのであるから、この際、川幅がどのくらいであったかは問題ではない。

賽は投げられた、と言って決死の覚悟でルビコン川を渡ったシーザーは、しかし実際にはローマ市民の圧倒的な支持を受け、それに恐れをなしたポンペイウスはローマから遁走してシーザーも彼の兵士も無傷だった。しかし、これがシーザーの一頭独裁政治をもたらし、その独裁ゆえに5年後にはローマのその名もポンペイウス劇場に隣接する列柱廊でブルータス等により暗殺されてしまう(「ブルータスよ、お前もか」)のはどこか皮肉である。

ルビコン川を渡る、は英語ではそのままに訳してto cross the Rubiconとも、to pass a point of no returnともなる(いずれも意味するところは同じ)。このPoint of no returnは、航空、飛行という分野では、帰還不能点すなわち飛行機がもはや出発点に戻る燃料が無くなる一定地点のことを指す。日本国内で飛行機を利用する際、台風接近や大雪などによる滑走路閉鎖など、天候が不順の際に、この便は引き返すことがありうる、というアナウンスが流れる。ということは、仮に到着地上空まで到達したとしても引き返すことができる往復分の燃料を搭載しているということだ。しかし、ロンドンやニューヨーク便など長距離国際便では、ある地点を超えたら不具合が発生したり到着地に問題が発生しても羽田まで引き返す燃料はなくなりそのまま飛行を続けるか、あるいは、どこかの空港に着陸しなければならない。往復の燃料を搭載して出発することは技術的に不可能だからだ。確かに、国際線では一定距離を飛行した後はもう出発地には戻れないという、まさに賽は投げられた、という状態になると言える。国内出張と違い、長距離の海外出張の飛行中に感じる緊張感とは、このpoint of no returnのあることを無意識のうちにも感じとるからかもしれない。

花は咲き始めるともはや後戻りすることはできない。Past the Point of No Return. そのまま咲き続けて散るしかない、という運命は薄幸でもある。

朝日を浴びる咲き始めのスズラン、木瓜の花。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする