回顧と展望

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二人のマリア

2020年05月10日 08時48分17秒 | 日記

歴史上、もっとも有名な母と言えば、イエス・キリストの母、聖母マリアではないだろうか。

かつてロンドンに、日本人を主要顧客とする(今はもうない)MIKI Travelという小さな旅行会社があった。格式の高いホテルを使用するような上質なパッケージ旅行を売っていて料金は高いが、快適な観光旅行ができる会社だった。1980年冬、当時クリスマス時期のロンドンはほとんどの店がしまっていて、また、することもないので、最後まで売れ残っていたこの旅行会社のパッケージ旅行でイタリアに行った。着いたローマは、12月末の、空気は冷たいのに晴れ渡っていて妙に明るい陽射しに映えていた。この旅行で何と言っても記憶に残ったのがバチカンのサンピエトロ寺院で見たミケランジェロのピエタ、息子イエス・キリストの亡骸を抱える聖母マリアの大理石像だった。写真で見たことはあったが実際にこの像を見た時の衝撃は言葉に出来ないくらいだった。存在感、芸術性、そして、置かれている場所、どれをとっても完璧なものはこれしかない。この大理石像は、ミケランジェロの署名の入った唯一の作品であり、また、悲嘆にくれる表情をしている多くのマリア像にくらべ、古典的な静謐に満ちた美しさ、悲しみを受容するその顔、若くしかし変わることの無いイエス・キリストとその母を表現したミケランジェロの発想力は画期的といえるだろう。

もうひとり広く知られているのは、ハプスブルグ帝国最盛期の共同統治者(実質上女帝)にして、フランス革命で処刑されたマリー・アントワネットの母であるマリア・テレジアだろう。同じく1980年代、出張で頻繁に東欧に行くことになり、当時の冷戦下、中立国であり東欧に食い込むような地理的条件にあったオーストリアを経由することが多く、ウイーンには頻繁に行く機会があった。そこで、時間を見つけて訪れたのがカプツィーナー納骨堂で、夫フランツ1世を凌ぐような巨大なマリア・テレジアの墓所を観た時、改めてこのハプスブルグ帝国の領袖の足跡の巨大さを感じた。彼女は16人もの子供を産み、一族は栄華を極めた時期もあったが、夫(フランツ1世)には先立たれ、子供の中には障害を持つものや不和もあり、母としての彼女の生涯は波乱に満ちたものでもあった。彼女の偉大な足跡はオーストリアとの共同帝国だったハンガリーでも見つけることが出来る。伊万里焼の陳列でも有名なシェーンブルグ宮殿は彼女お気に入りの場所であり、そこで6歳のモーツアルトが御前演奏したことやモーツアルトとマリー・アントワネットの幼い二人めぐり逢いの伝説など、ヨーロッパ近代史が詰まったような場所でもある。

バチカン博物館図録にあるピエタ像の写真

母は自分が十代の時に他界した。その年の目でしか母の姿を観たことがなかったせいか、母を思い出すと、いつも少年時代に引き戻されるような気がする。もし、大人になってから母を見ることができていたなら、違った記憶を持つのかもしれない。

コメント (2)
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