回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

社用車

2020年05月01日 09時01分35秒 | 日記

1980年当時、東京からロンドンへはノンストップ便はまだなく(ソ連がシベリア上空の直行便の飛行を禁止していたため)、一番短時間で着けるのはアンカレッジ経由かモスクワ経由だった。アンカレッジ経由はジャンボが就航していたが、モスクワ経由はモスクワ空港の設備の制約でジャンボ機は飛べず、日本航空はDC8機だった。どういう理由か忘れたが、モスクワ経由で赴任することとなり、当時はエグゼクテイブクラスと呼ばれていたビジネスクラスを利用。隣に座っていたのがモスクワ駐在の日本商社員で、彼はモスクワに到着するとミンクの帽子をかぶりなおして「さあ行くぞ」と自分に気合を入れて降りて行ったのを覚えている。給油の間一旦降機して免税店もないがらんとした薄暗い、大柄の婦人警官が巡回しているロビーで一時間過ごしてロンドンへ飛び立った。夕方ロンドンに到着すると、あらかじめ空港に手配してあった就労ビザをもらい入国、ロンドン支店差し回しの車で短期滞在のホテルに向かった。この時の車がベンツ450SEL(当時のベンツは、排気量をあらわす3桁の数字の後にクラス名がついていて今と逆。SELとはsクラスの燃料噴射装置付き(E)車長延長型(ロングホイールベース(L))、運転手は長身で体格も良く、いかにも頼りになりそうなショーファー、という風情だった。

赴任当初、自分が最年少かつ職位が一番低かったので早朝の要人の出迎え、ホテルまでの案内を頻繁にさせられた。当時、主流だったアンカレッジ経由便に後発の日本航空に割り当てられていたのは早朝の不便な時間帯だった。この便は、気流によっては1-2時間は到着が前後する。そのため、深夜零時頃に日本航空のロンドン支店に電話し、到着予定時刻を確認したうえで出迎えに行った。到着時刻がわかると出迎えの運転手の自宅に電話し、すると到着予定時刻の1時間ほど前に、住んでいた自宅の前までその大型ベンツがやってきて、ヒースロー空港に向かう。その時刻がたいていは午前4時頃だったから近隣の住民はまだ眠っている静かな時刻で、車のエンジン音やドアの開閉音がかなり響く。そのためか、カーテンのかげから外の様子をうかがっていたに違いない近所の老婦人が、警察に連絡、若い東洋人が不釣り合いな高級車に乗って早朝から出かけるのはいかにも怪しい、何か犯罪にでもかかわっているのではないか、と。警官が訪ねてきて、そんな時間に何をしているのか、と聞いてきたので事情を説明したら、それはご苦労なこと、と同情してくれた。

その当時、イギリスの日本の会社はほとんどが社用車にベンツを使っていた。経済的にロールスロイスを購入できなかったわけではないのだろうが、この車に対する遠慮というか、イギリス人の誇りに対し敬意を払おうというような暗黙の了解があったのだと思う。なお、1983年にロンドンからニューヨークに出張する機会があり、その際、ニューヨーク支店の社用車を回してもらったが、これが緑の革張りシートのキャデラック。その柔らかなシートと船にでも乗っているようなゆったりとした、大陸的とでも言うような乗り心地とに、自動車王国アメリカの強い自負を感じたものだ。社用車という言葉から思い出した40年前のこと。

今朝のクリスマスローズ、梅。

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