「ナナ」は「居酒屋」の続編で、エミール・ゾラの最高傑作と言われている。たしかに、「居酒屋」の悲惨な庶民の生活よりは「ナナ」の、虚飾に満ちているとはいえ、上流階級を舞台にした劇的な展開は読者を魅了するものがある。一方、「オペラ座の怪人」の続編である「Love never dies」は「オペラ座の怪人」がアンドリュー・ロイド・ウェバーの最高傑作と言われているのに対して必ずしも大成功とはいえない。成功体験や一度味わった楽しみの続きを夢見るというのは人間として尤もなことである。そして商業的には「柳の下の二匹目のドジョウを狙う」のもよくわかる。一度成功を収めた人や物事に準じて後釜になろうとすること、あるいは既存のものを真似して作られたものなど、安易かもしれないが、堅実に見えて魅力的な戦略だ。ただ、「柳の下の二匹目のドジョウを狙う」とはもともとは「柳の下にいつもドジョウはいない」から派生した警句であり、おなじように「柳の下にいつもドジョウはいない」とは、一度成功を収めたからといって、再び同じようにうまくいくとは限らないということを意味している。
何事にも連続性があるわけだから、その後どうなったか、知りたいという気持ちがあるのは当然。作ろうと思えばいくらでも続編は作れるだろう。たとえば、イラン映画「別離」のあの一家のその後、など。しかし人生は一回しかない、死んでしまえば、まさに一巻の終わり、ということになる。人生に続編はないということで、まさに「一巻の終わり」、死ねば物事の全てが終わる、物事の結末がついて先の望みは全くないことになる。その奔放さと抗いがたい魅力で上流階級の男を次々に破産させ、最後には病気で悲惨な最期を遂げるナナは、悲劇で終わる続編の宿命を象徴しているように思える。
人生に続編がないように草花にも続編はない。ただ一回の命を生ききるのみである。
庭のつつじがやっと見頃に。