回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

エチュード

2020年05月18日 09時47分19秒 | 日記

”大連よ、アカシアの芳烈な花々に満ち溢れた六月の植民地よ" Etudes Ⅲ

「アカシヤの大連」の作者、清岡卓行の本をながめていたら。彼の後輩であり交流もあった、同じ大連出身の文学者原口統三のことを思い出した。「二十歳のエチュード」は今でも若い世代を中心に読み継がれている息の長い、古典ともいえる名著。博覧強記そのものと言った、20歳で入水自殺した原口の作品は彼の友人たちが編んで出版したこの遺稿集がほぼ全てであり、その中におさめられている数編の詩と、おびただしい警句や書簡集は難解ではあるものの魅力的。原口統三が書き残したこの遺稿集が特に若者を引き付けるのは、生き方に苦悩する若い精神がそこに真理を見出し共感を持つからだと思う。多分、彼は実際の年齢では考えられないほど多くのことを知り、経験していた。

どんな動機にせよ自殺は衝撃的なものだが、彼が自殺という道を選んだのも同じく衝撃的だった。旧制高校の担当教官であり、この本に序文を寄せた森有正は、「自殺は常に自己の弱さからの敗北でない限り、自己への誠実、自己への偏執を特徴としている。私は自殺がいかに美しいものであってもそれを肯定することはできない。美しく、極限的に、瞬間的に映された自然と人生、印象と情念との徹底的純化。身の純潔を守るために自殺する乙女は美しい。しかし私は、身を汚されても、屈辱と敗残の中に朽ちて行っても、死なないで生きている乙女を尊ぶ。ドストエフスキーの「罪と罰」のソー二ャがかの女であるのは、かの女が生きていて死なないからである。人は自ら進んで死に赴かなければならないことがある。しかしそれは自己に対する誠実からではない。」と、原口の自殺により彼を偶像視することが原口の本旨ではない、と言って、ともすればこのような本が自殺を美化しかねないことに対する警鐘を鳴らしている。

時代も人も変わる。大連はいまでは日系企業がたくさん進出していて、在留邦人の数も相当にのぼる。しかし、現在住んでいる人たちには、清岡や原口がかつてこの町にいたことの面影を見出すことはむつかしいかも知れない。それはたとえば、ロンドンに現在多くの日本人が住んでいても、かつてそこに住んで、悩んでいた夏目漱石の面影を見つけられないのに似ている。

今が満開の八重桜、昭和45年1月の角川文庫改訂版表紙。

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