回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

20年目のニューヨーク

2020年05月20日 13時56分02秒 | 日記

昨日の午後1時、メールが着信していた。ときおり近況を伝え合うニューヨークの知人からだった。5月19日は彼女がニューヨークに到着してからちょうど20年目に入った日、という連絡。彼女に初めて会ったのは友人に誘われてブロードウエイのミュージカルを見に行ったおりだった。それまでは、日本で劇団に所属し、舞台のほかはいくつかの映画やTVドラマ、CMに出演していたが、さらに飛躍しようとしてニューヨークへ移り住んだと。最初は演劇学校に籍を置きつついくつかのオフブロードウエイの劇場に出演、傍ら、短期のアルバイトをした後、NYの旅行会社で添乗員として働いていた。その後、演劇とは少し距離を置き始めたようだった。2013年5月、グリーンカードの抽選に当たって永住権を取得、その後独立し、今はフリーランスとして主として旅行関係の仕事をしている。初めて彼女と会った時から、日本での華やかなキャリアにもかかわらず落ち着いた、礼儀正しい物腰やすぐにそれとわかる知性が感じられたものだ。ピアノ、フィギュアスケートが得意で、いわゆる進学校からW大学文学部卒という、ありきたりな言い方だが才媛、才色兼備という言葉がよく似合う。自分がニューヨークに駐在していた期間とは4年ほどしか重なっていないが、仕事の上でときおり話をする機会があり、いつもその鋭い批評眼に感服したものだった。

ニューヨークに到着してまだ4か月足らずの日の浅い9月には同時多発テロに遭遇し、何人かの知人が事件にまき込まれたり、2008年のリーマンショックにともなう経済の混乱、オバマケアやトランプ大統領の出現による人種間の軋轢、今回のコロナウイルスのニューヨークでの蔓延など、彼女にとってこの間は、まさに波乱万丈の20年だった。そのなかでも、今回のウイルスは全く次元の異なる比較にならないほどの惨状を引き起こしている。特に旅行業はどうすることもできないほどの厳しい壊滅状態。日本にいては一寸想像できないような都市封鎖という徹底した外出制限は少なくとも5月28日まで続き、それまでは近くの散歩程度しか許されず、オフィスのあるマンハッタンにはいくことも出来ない。まさかこのような形で20年目の日を迎えることになろうとは,気丈な彼女も想像もしていなかったろう。

ニューヨークはこれまでいくつもの災難や事故や見舞われてきたが、ブロードウエイを含め全市が無人のゴーストタウン化するようなことはなかった。いまでも一日70人が命を落とし続けているという都市を根底から覆すような異常事態も、この町の歴史になかったことだ。

彼女が感染することがが何より一番の心配だったが、すこしづつ終息に向けた動きがみられるのは暗いトンネルの先に希望の光が見えてきたようでいくらかほっとしている。しかし、まだ当面は気の抜けない日々がつづくだろう。日本の午後1時はニューヨークの深夜零時に当たる。20年目にあたる日の零時きっかりにメールを送ってくるのはさすが几帳面な彼女らしい。これからも様々な困難に遭遇するのだろうが、このひとなら必ず乗り越えてゆけると。去年の彼女からのクリスマスカードはマンハッタンの飾り付けられたショーウインドウの写真だった。いつか必ずあの煌びやかさが戻ってくることを期待して、強風にも負けない、しっかり根を下ろしている満開のアカシアの写真を送った。

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