タイ国際航空の経営破綻のニュースが報じられた。この航空会社の名前を聞いて古い写真を見つけたような気がした。1980年後半、当時の政府が原油の安定供給確保のため、ホルムズ海峡の安全航行を確保しようと、日本とホルムズ海峡周辺の国との関係強化を図ろうとしていた時期があった。その一環としてオマーンに数日間出張した。オマーンは千夜一夜物語でシンドバットが出港したとされている港町ソハールの所在する国であり、それは首都マスカットから240キロほどのところにある。その時は首都マスカット郊外の海辺に立つアル・ブスタン・パレスホテル(今はリッツ・カールトン)という、かつて当地で開催された湾岸諸国首脳会談の場所ともなったイスラム建築のホテルを根城にして関係したオマーン政府の関係機関・役所をめぐり、最後に日本大使館に当時のF大使を表敬した。F大使はいかにもベテランの外交官という感じの、しかし、大使としての威厳というのか、ある種の冷たさを漂わせていた。大使としては、こちらから何か有益な情報を得られればということで、当然言えないこともあるが、可能な範囲で答え、大使は一応満足した様子だった。
全ての予定が終わったのでその後ホテルに戻り、深夜に出発するバンコク乗り換えの帰国便に乗るべく深夜の空港に向かった。予約したのは中東の航空会社で席はいわゆるビジネスクラスだったので、専用のラウンジに行くと薄暗いラウンジの片隅にF大使が上品な老婦人と一緒に座っている。それほど広くないラウンジなので、向こうに先に気づかれてはいけないと思い、昼間のお礼も兼ねて挨拶にうかがった。F大使は昼間とは違う打ち解けた雰囲気で、「日本から訪れてきた母です。これから帰国するところです。同じ便というのも何かの縁なので、母が無事帰国するまで何かあったらそのときは、どうかよろしくお願いします」。もちろん、小柄な老婦人を放っておくわけにもいかないから、承知しました、と。いよいよ搭乗する段になるとF大使ご母堂はエコノミークラスへ(大使への配慮でビジネスラウンジが使用されていたのだろう)。中東のような地域故、自分なら母親をエコノミークラスに乗せることはしないだろうと思ったので、本人がぜいたくを固持したのかはわからないが、一瞬奇妙な感じを持ったものだ。
ところが経由空港のニューデリーで給油にトラブルがあり、飛行機は大幅に遅れてしまった。次の乗り換え地であるバンコクに着いた時にはすでに乗継便は出発した後であり、スワンナプーム空港では乗継便を探さなければならない。幸い少し後にタイ航空の成田行きがあるというので、うまく話すことが出来ずに困惑していた大使ご母堂を見つけ一緒に乗り継ぎカウンターへ。当初、ビジネスクラスは簡単に振り替えができたけれども、エコノミークラスはなにかと手間取っていたので少し強引に説得して席を確保した。無事成田に着いたので、疲れているだろうと思い。差し出がましいようではあったが、お帰りはどちらまでですか、と尋ねると大丈夫です、という返事。F大使から自宅に連絡が入っていたのだろう、老婦人の歩いてゆく先には差し回しの黒塗りの車が待っていた!
その後、F大使からは母が大変お世話になった、と丁重なお礼状が送られてきた。タイ国際航空に乗ったのは多分その一回だけだった。タイ国際航空の当時のビジネスクラスはロイヤルオーキッドクラスとよばれていたと記憶している(今はロイヤルシルククラスという名のようだ)。席に着くと肘掛のところにオーキッド(蘭)が一輪おいてあってよい香りをはなっていた。破綻して経営主体が代わってもあの蘭のデザインの尾翼は飛び続けるのだろう。
蘭は蘭でも鈴蘭を。