今住んでいる家の玄関に上る階段には春から秋まで季節の花を植えた鉢植えを置いている。階段は6段だがその3段目に屋根からの雨が当たる。強い雨が降った時には3段目に置いてある鉢に雨がたまってしまうため、緊急避難することがある。今朝3時過ぎ、大きな雷鳴とともに強い雨が地面にたたきつけるように降ったので急いで階段の上の方へ移動。こんな強い雨がふりだすと家の中に籠っているしかない。
目が冴えて、この雨を眺めていたら、なぜかハンガリーでの出来事を思い出した。1990年代、年に一度の日本からハンガリーへの経済ミッション(使節団?)は恒例行事になっていた。会社としては参加するが、東京から参加したのでは時間的にも費用的にも負担が大きいということで、ロンドンにいた自分にお鉢が回ってきたことがある。当時は経済交流の一環として、各分野の企業が参加したミッションを結成し、団体旅行よろしく各地を視察して現状調査のかたわら、買い付けや投資の話をしたものだった。
この時は、ハンガリー各地を一週間ほどかけ、工場や観光施設などをめぐるものだった、ハンガリーでの行事がすべて終わり、ブダペスト郊外の一軒家のレストランでハンガリー側の手配に対するお礼のため、ハンガリー商工大臣を迎えての当方主催の答礼の夕食会が開催された。食事後のコーヒーも終わっていよいよお開きになり、参加者が帰ろうとすると、急に強い雨が降りだしてきた。ブダペスト郊外のガラス張りの一軒家のレストランの周りは水しぶきが飛ぶくらいで、先方も一瞬外へ出ることを躊躇するほど。それに気づいた団長が、これが日本で言う 遣らずの雨、です。皆さんには雨が小やみになるまでしばらくここでお過ごしください。と。それまで、日本語に堪能な同時通訳がハンガリー語に通訳していたのだが、さすがにこの言葉には一瞬口ごもり、団長に聞き返した。通訳が言葉の意味をとれないときには念のため発言者に聞き返すことはよくあることだ。そこで団長が「お客を帰さないかのように降りだす雨」と伝えると少し戸惑いながらも翻訳していた。日本側の参加者の中にも怪訝な顔をする者もいたが、その意味を聞いて先方の大臣が大きくうなずいて団長と一緒にしばらく歓談していた。
遣らずの雨、というのはどこか秘めやかな感じのする言葉で、ビジネスの場ではしっくりくるものではないし、すぐに思いつくものでもないと思うのだが、自然にこういう言葉が出るというあたり、団長には言葉に対する鋭い感覚があったのだろう。
この時、日本側一行が宿泊したのは、ドナウ川に面し、対岸にブダの王宮を望む、そして右手にはドナウ川にかかる「くさり橋」のライトアップされた姿が望める「ホテルフォーラム・インターコンチネンタル」だった。ブダとペストを結ぶ橋の明りがドナウ川の川面に映って流れに揺れていた。
秘書も伴わずひとり、小柄な体を紺色の背広に身を包んで薄暗いホテルフォーラムのロビーを遠ざかっていった団長は当時世界の主要ホテルチェーンであるインターコンチネンタルホテルズのオーナーだったセゾングループの総帥、堤清二氏だった。まだ若々しく、しなやかな身のこなしの彼の姿は今でも鮮明に覚えている。
小雨になって、姫林檎の花が満開に。