網野善彦書評の中に「弥生時代の日本人と教えるのは無意味」とある。まったくその通りと思う。「国」という感覚はそう古いものではなく、ことに秀吉以降は「国」と言えば大名の領地を意味し、ほとんどの庶民・住民は「日本」という意識は全くなかった。 「蒸気船4杯で・・」以来のことでしかない。 小生の姓「古賀」が朝鮮語由来であることは常識である。今の鳥栖周辺は古来朝鮮からの人々が多く住んでいたところであることも常識。 平安期に至るまで、ズット連綿と朝鮮との交流は続いていて、それが途切れがちになるのは日本の事情より朝鮮の政治の変動・変化による方が大きいと思われる。古くは白村江の戦い」にしても いわば親戚筋のもめごとに日本に来ていた連中が加勢したとみることもできる。ズット後の例でみればアメリカと英・仏の関係に似ている。言わずと知れたことだがアメリカが日本である。英国から「出稼ぎ」に行った連中が次々と親戚・同類を呼び込んで一つの勢力になった。いわば「新田開発」の「新開」地という感覚で、別の国とは思っていなかった、そのような関係であったと小生は思う。帰化人という言葉はいつごろまでの編入者を指すのか根拠を知らないが、アイヌ・熊襲等の先住民のいるところに長年にわたって朝鮮から親戚のゐる新天地(アメリカ)という感覚で連綿と移住してきた歴史であって、「日本国民」という固有の「国民」と言えるのはずっと新しいことなのだという歴史上の事実を隠している今の歴史教育は完全に間違っているというべき。 聖徳太子という人物は存在しないというのも学会ではホボ常識にもかかわらず文部省以下保守勢力は認めようとしない。聖徳大使に比定される厩戸皇子の母親は朝鮮人であることも言おうとしない。秦、服部、日下部他朝鮮由来の姓がいくらでもあるのを なんと思っているのであろうか。 現今の政治状況に云々するつもりはないけれど、歴史をきちんと評価しないことには黙っているわけにはゆかない。 ちょっと話が飛ぶけれど、今の中東の混乱について私見。今の国境は第一次大戦後、イギリスの主導で人為的につくられた。 地図を見れば一目瞭然、まっすぐにひかれた国境線は地形はもとより住民の土俗・風俗・生産などをまったく無視したものである。これら民族の生活を無視した長年の無理が今の対立を深めた一因といえる。イスラエルの建国を含めこれらの国境を全部いったん撤回し あらたな国境を決める時期に来ていると思う。あれこれ抜きに結論だけ言えば、イスラエルはいまの「国土」を持つ意味はないと思う。そもそも今いう国家という概念はナポレオン戦争が原因で始まったことは知られている。それまでは世界中に「国家」は無かった。あったのは「領」である。いわく「ハプスブル家領」「ハノーファ家領」「ブルボン」といった「私領」であった。これを少し成り立ちは違うが日本では「国」と呼んでいた。ナポレオンに席巻されそうになって芽生えた民族意識が言語を共有する地方をまとめてナポレオン・フランスに対抗して立ち上がったのが「近代国家」の芽生えである。西欧社会ででさえたかだか二百年の歴史しか持っていない制度であることを忘れてはならないと思う。 不悉 TVや 週刊誌ばかりみていては 大事を仕損じますよ。「すでにある型にはめて世の中を理解するな」「無文字民衆の歴史を知れ」