この 数週間忙しく過ごしました。 丸善ギャラリーの目録を仕上げることが第一だったのですが、その締切たるべき日より5日早く仕上げて印刷屋へ送付しました。なぜなら、18日に上京することになったからです。中野書店・中野智之さんの追悼会があることを知って、これは参列せざるべからず! 夕刻5時から始まった「お別れ会」は実に心のこもった素晴らしいひと時でした。集まった人は百人を超えていたかもしれません。彼の人柄をしのばせる本当に「惜しむ」気持ちのこもった雰囲気は経験したことはなく、またこれだけの催しをしようと残る人々に思い起こさせた彼が素晴らしい。実行部隊の親分の斉藤良太さん以下のセンスにも脱帽、よくぞやってくれましたとお礼を繰り返し述べてきました。 中野書店は、平沢書店とともに 小生の古本屋への道を開いていただいた店です。述べれば長いことになります。大学へ復学した2年間はこの2店のアルバイトに雇っていただいたのですが、ことに後半の1年は中野書店の即売会の専従員のような立場で、和洋会(古書会館の即売会)とデパート展を全部手伝いました。最後の三越・新宿店での即売会でいただいたアルバイト料は実質7日間で10万円!(40数年まえの事です) これはさすがに破格なのですが、実際に小生は3人分働いていました。このころ智之さんはまだ高校生でした。何度か会話を交わしたくらいでしたが、その後神保町へ進出したころから市場で出会い、時々電話で話す機会がありました。いろいろな企画を起こし、実行し、仲間を育てていたことは聞こえてはいました。昨年始めには玉英堂・斉藤隆夫さんを失い、そして智之さんを失うのは神田・神保町にとっても大きな損失でしょうが、小生にとっても、神保町の市場へ行っても親しく話せる人がいなくなったわけです。しかしそのことはこのたび会に参加して少し安心しました。かつて40数年前の古書会館の即売会で一緒に働いていた数人の「仲間」と再び会話を交わし、その心配のないことを実感しました。 古本屋も世代交代は逃れることはできません。これまでも多くの亡くなった方がありましたが、このような「お別れ会」の開催と思い出の冊子を作られる本屋はいませんでした。「掉尾を飾る」どころか「晩節を汚す」人の方が多い中で本当に「大事な人」をうしなったと傍目にもわかるひと時でした。
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