不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

コザの中之湯 2/27

2007-03-04 | 旅行記

 2007.2.27(火)快晴
 8:00 起床 
  9:35 海風まぶい宿発~県道18号線~名護郵便局~R329~宜野座村(ぎのざむら)~コザ十字路~R330~
16:30 ゴーヤ荘(沖縄市宮里)着~中之湯

 本日も快晴、しかし郵便物を取りに名護郵便局まで行かなければならないので憂鬱。
県道を東進すると、工事中につき旧道を走れとのこと。段々急になってきてついには押して歩くほどの急登となる。やっと峠が終わったと思ったら、またしても登りとトンネルが続き汗びっしょり。朝一の登りは応える、なんぎー。Img_2803
Img_2804
新道が工事中でこの急登を登らされる。

名護の街が見えたときにはほっとして休憩、どうも怠け癖が付いてきたようだ。郵便局で小包を受け取り、ヤッケと厚手のソックスを送り返す。もういらんやろ。国道329号を東海岸に戻るが、先程の上り下りを思い出しうんざりする。県道よりは傾斜は緩いが、長い登りが続く。タイツがたまらなくなり、バイクパンツで走る。昨年の青森以来のスタイルではないか。ロードレーサーの御仁に逢う、沖縄の自転車中間は必ず挨拶がある。嬉しいことだ。二見で国道331号に戻り、南下する。辺野古崎(へのこざき)は海上のヘリコプター基地の設置でもめにもめているところだ。基地反対の立て看板、横断幕がそこかしこにあり、緊張感がある。米軍の施設も段々増えてくる。軍用車やYナンバーの車が増えてくる。突然「WA!!」と声がしてびっくりする。Yナンバーの車の中から米人が叫んでいるのだ。何日か前、恩納村を走っているときも同じ事が起こった。それは激励なのか、威かしてるのか、なめてるのか解らない。
 宜野座村に着く、本来ならば阪神のキャンプを見るはずだったのだが、せっかくだから球場でも見て行くこととする。「めんそーれタイガース」「歓迎タイガース」の看板などもあり駐車や出店を規制する看板もあちこちにある。強者どもが夢の後ってところかな。
オープン戦の様子を見ていると、一体ここで何をしていたのかと思わせる情けない状況だ。
球場では高校生かアマか知らないが試合をしている。Img_2807 Img_2810_1 Img_2811





左、中:阪神歓迎ムード  右:本来ならば阪神の練習風景を見るのだが、、、

 その横に村立博物館がある。昼食がてら寄ってみるが、なんと12時から1時まで休憩となっている。今回の旅で初めてだ。腹立つので先を行こうと思ったがなかなか立派な施設なので昼食をとりながら待つこととする。1時になり早速入館すると100円の入場料である。ありがたい、しかも私の好きなお墓や葬法の展示が詳しい。この地には洞穴風葬墓のクジチ墓というのがあり、17世紀頃のものと思われるが骨瓶(ガーミ)に入れられているもの露出されたもの48体が発見されている。しかもその墓の模型まで造られているのだ。また沖縄戦の激戦地区でもあり多くの戦死者が集団埋葬墓に埋葬されており、その身元確認にコーラの空き瓶が使用されていることは驚いた。つまり埋葬するときに確認できるものはどこの誰兵衛と記入した紙片をコーラの空き瓶に入れ地上に解る様に埋めるのである。コーラの空き瓶って今も昔も同様なのも意外であった。極めつけは宜野座村史で5巻にわたる村史が格安で販売しているのだ。平成元年の発行でその類にしては新しいものである。興味ある民俗、自然、考古編3,000円が900円となっている。かなり詳しい内容で、私の知りたい部分がしっかり記されてあり、思わず買ってしまった。問題はその重量である、ゆうに2Kgはあろうか994ページの箱入りなのである。EXパックで送れば済むことだが、少なくとも民俗資料だけは在沖中に読みたい。と言うわけで、テントと一緒に荷台に積んで走ることとなる。Img_2814 Img_2812 Img_2884





左:骨瓶など  中:クジチ墓洗骨(シーコツ)の図  右:宜野座村村史

 金武町(きんちょう)に入ったあたりで、下り坂を調子よく走っていると、「おはらさーん」という声がする。木のせいかなと思い振り向くと、昨夜のゲストハウス海風にロングステイしているかなちゃんではないか。うるま市で働いているとは聞いていたが何で今頃と思いきや、ホテルの仕事で3時からの出勤だそうだ。彼女は沖縄市の中之湯温泉の情報に気に入っていた様子なので、ブログにその様子を載せるよと約束する。聞いては居たが沖縄定移住の若者が多いこと、しかも女性が多い。「がんばりや」とエールを送ってお別れする。Img_2817

かなちゃん、ちばりよー


 昼食は大抵そーきそば大を食べていたが、うるま市の小さなそば屋に入ったら、超格安のそば屋である。そーきは三枚、麺が隠れるほど大きく、ご飯とらっきょうが付いている。この葉付のらっきょうがまたおいしい。しめて500円、その上缶ジュースお茶などよりどりサービスなのだ。沖縄市にはいるとやたら車が増えてくる。逆に道は狭くなりイライラする。コザ十字路を右折し、330号線に入ると最悪、遂に歩道を走ることとなる。いやというほど走り、道間違ったかなと言うときにゴーヤ荘の看板を見つけた。ゴーヤ荘は沖縄の民家で、私の部屋は二番座という仏間である。沖縄の民家は正面右から一番座、二番座、三番座となり一番、二番には裏に裏座という小さな部屋がある。小さな家屋となると三番座が裏にまわっているのもあるようだ。一番座は客間、二番は仏間、三番は居間、裏座は寝室や産室となっているようだ。沖縄の民家に泊まることはそうないだろうから、ゴーヤ荘は値打ちであった。
 かなちゃんの約束もあって中之湯に出かける。安慶田(あげた)の交差点を右に曲がってすぐなのだが、それらしいものがない。どんどん進むが一向にそれらしいものが無く、薬局で聞くと親切に教えてくれる。それでも解らない、洗面用具を持った夫婦に聞くとこれから行くところだって、連れて行ってもらうたってそこが中之湯の裏だった。何の看板もなく普通の建物である。表で井戸端会議をしている女将に貴重品を預け、入浴料300円を払う。脱衣場と湯船(池というらしい)は一緒にあり、池は5,6人で一杯になりそうな、漆喰で真っ白なまあるい可愛らしいものである。客は予想に反して少なく、5名でそのうち二人になってしまった。お湯は怪しげな緑色をしているが、入った途端にツルッとして最高の感触だ。しかも私の大好きな熱めの湯である。一緒したおじさんに「いいお湯ですね、温泉なんですかね、何百メートルも掘ったと聞いたのですが」と聞くと、「え、温泉?温泉じゃないでしょう」と素っ気ない。いやあこのヌルヌル感はバスクリンじゃ出せないはずだ。成分表などは何もない、きっと成分調査をせずに銭湯として営業しているのだろう。入湯税など取られていないもの。Img_2818 Img_2819

裏側からは絶対に解らない、表に回ってようやく、、、


 すっかり温まって出てくると女将はどこやら行っていない。貴重品は誰でも入れる部屋の机の上に置いてあった。預けるより持って入った方が安全みたいだ。女将が戻ってきたので、「掘ったんですか」と聞くと「2,300m掘った地下水です」との答え。北谷の1,000円の温泉よりよっぽどいいぞ。沖縄に温泉有り、おじいおばあの社交場、観光客なんて来なくていいぞ。すっかり気分よくしてしたたかビールを飲んでしまった。

走行距離 66Km    累計 6、653Km   経費6,430円

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海岸疾走 2/26

2007-03-04 | 旅行記

 2007.2.26(月)快晴
 7:00 起床 
  9:00 民宿海山木発~タナガーグムイ~安波ダム~慶佐次(けさじ)のヒルギ林~
15:20 海風まぶい宿着~夕食準備

 快晴の朝が来た。昨日は休肝日と決め込み、一滴の酒も呑まずに早寝したので、今日はガンガン走れる気がする。奥川の橋の上で散歩中の海山木の主にお礼を申し上げ出発する。Img_2790  Img_2791
人気の海山木の主と出発時の私

  県道70号線はまるで車は来ないが、いきなりの登りとなる。海が見え出すと下りとなるが、この海は沖縄らしくない海だ。三陸海岸を南下していたころを思い出す。岩礁の所はまるで東映の出だしの画面みたいで、もの凄い波だ。寒いくらいの下りが終わるとまた登りが始まる。このアップダウンは終点まで80Km続いた。この東海岸のコースは自転車には最高である。ロードレーサーの練習には効果的だと思う。とにかく平らなところが無い。ただし景色は単調でひたすらやんばるの山の景色が続くだけである。あちこちに「ヤンバルクイナ横断注意」の看板があるのだが、一向に姿を見せない。Img_2691_1Img_2692_1宿で寝ているときはしょっちゅう鳴き声を聞いていたのだが、姿は見たことがないのだ。安田に入ってしばらくの所で道路の右側から、歩くような飛ぶようなヤンバルクイナがクイーという例のとぼけたような鳴き声をして横切ったではないか。カメラを出す暇もない。やっぱり居るんだ
なんとなく嬉しい体験である。
 安波というところで「タナガークムイ」という看板がある。滝壺か何かがあるのは知っていたが、時間もあるし行ってみるか。砂利道を200mほどゆくとみすぼらしい駐車場があり、滝へ降りる山道が林の中に見える。とんでもない急坂で左右にロープが張ってある。下の方でザアザア音がしていて気持ち悪いことこの上ない。おまけに「毎年転落や水泳中の事故で死亡者が出ています云々」の看板まである。勇気を出して降りてゆくが、ずるずるの岩と泥で大変、周りはジャングルでますます気味悪い。黒い滝壺が見えてきたあたりに何かまたしても看板がある。近づいてよく見ると心肺蘇生法の仕方が書いてある。思い切って滝壺まで行き、写真を撮って逃げるようにして登り返す。駐車場に出たときはほっとした。沖縄の観光地は一筋縄ではいかない。 Img_2797 
Img_2794Img_2796 
タナガークムイ(海老淀み)降り口、タナガークムイ、登り道



続いて安波ダム1Kmの看板にだまされ、立ち寄ってしまう。県で二番目のダムだそうだがおしろい事は何もない。最初からわかっていることだが、ダムなんて面白いはずがない。
 次は慶佐次湾のヒルギ林である。道路のすぐ脇だからロスはない。これも県で一番の規模ということだ。最初に予定していた平良(たいら)に到着、まだ12時半である。もう少し行ってみよう。ということで名護市瀬高まで頑張ってしまう。沖縄での最長距離となった。Img_2799 Img_2801

安波ダムと慶佐次のヒルギ林


 走行距離 90Km    累計 6、587Km   経費18,982円

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お気に入り 奥 2/25

2007-03-04 | 旅行記

 2007.2.25(日)雨、曇り
 7:45 起床 終日ブログ作成

 沖縄到着して以来ブログの更新をしていない。無線LANが通じるのでこの際一気に更新することする。写真関係のプログラムが不調で一日かかっても23日までしか更新できなかった。いずれにしても応援頂いている方々に新しい情報を送らないといけない。この作業の方が走っているより疲れるのである。
  奥のは名の通り沖縄の一番奥にあり、現在では180名の国頭村(くにがみそん)の一字だが、沖縄に来ているという雰囲気がしない。
あの外洋に広く開かれる開放感がないのだ。しかしなぜか心引かれる不思議な村なのだ。 Img_2789
Img_2778
奥のと民宿海山木のいろりの間


 奥の特徴は共同店と猪垣とユイマール(結)に象徴される村の共同体では無かろうか。実は奥は昭和2年に田村浩博士の「琉球共産村落の研究」として照会され、一気に知られることとなったのである。共産村落とは少し意味が違うが、共同村落とでも言えば納得がいくのかも知れない。
 共同店とは離島や名護以北の村落にあり、食料や生活雑貨など村の生活に必要なものを売っている売店で、の共同で出店している。大きな村落では農協や他の売店もあるが小さいところでは共同店のみというところが多い。沖縄中南部では今では見られないが、かつては沖縄全土に存在していたのだろう。この共同店のはしりが奥の共同店で、明治39年4月1日に立ち上げられている。当初は生活雑貨の売買程度であったのだろうが、やがて運輸や金融部門まで取り扱うようになり、他への融資なども行っていたというから盛況であった。今でも他店に比し規模も大きく、品数は少ないとはいえ無いものはない。Img_2707

奥の共同店

 猪垣とは猪の侵入を防ぐ石垣で、10Kmを越える大規模なもので明治36年から作り始め、その補修と維持は各戸に分担をして責任を持たせていたということだ。
 奥のが皆助け合って来たというのは、交通の隔絶されたこの地においては必然的に自給自足の生活となり、共同しないと生きて行けないという側面があったようだ。ユイマールというのは結(ゆい)のことで内地の農村にも存在していたが、特に沖縄の村で顕著なのは、島津藩による圧政、人頭税のためではあるまいか。人頭税は各戸に課せられたわけでなく、村全体に課せられたのである。そのため村では一人でも倒れられたら困るわけである。また全体で農作業を行う方が生産性はかなり高かったようだ。
 奥のエピソードをいくつか紹介しよう。昨日港で見つけたオランダ錨はやはり宜名真沖で遭難したオランダ船(厳密にはイギリス船)のものであった。ひとつは宜名真で鍬などの鉄製品に代わったそうだが、今ひとつは奥の住民がたいそう苦労して奥の港に運んだそうだ。奥の港は北向きで風が強く、船の係留にたいそう苦労したそうである。そのためにこの錨を運んだそうだ。
 もうひとつ、昨日沖縄タイムスに大きく報道されていた梵鐘の照会をしよう。その梵鐘は奥に展示されているが、元々首里の旧大聖禅寺にあったもので今から550年前のもので沖縄では最も古い梵鐘と言われている。終戦時に没収されアメリカにあったものを、交渉の末持ち帰り、奥のに「やんばる未来の鐘」として展示されている。ところが二つの団体間でその所有権争いが起き、かたや首里城に陳列しようかということでもめていると言うことである。Img_2704
 ヤンバルクイナの姿は見ていないが鳴き声は宿の主人に教えてもらい、よく聞いている。
特に夜中に目覚めたときなど宿のすぐそばでよく鳴いているのだ。

走行距離 0Km    累計 6、497Km   経費 0円

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする