ガソリン・電気・ガス補助金で
消費者物価指数が実態より過小になる
政府は10月28日、「物価高克服・経済再生実現のための総合経済対策」を閣議決定した。
ガソリン・電気・ガスの価格統制が行なわれ、これによって、「消費者物価(総合)上昇率を1.2ポイント程度抑制する」としている。
政府の説明では、これが望ましいことであるように書いてある。
しかしこれは、消費者物価の真の姿を見えなくするという意味で大問題だ。
例えば、消費者物価上昇率が本当は2.2%なのに、統計では1%となる。つまり消費者物価統計が「ウソ」をつくことになる。
だから、経済の実態を表すには、「消費者物価上昇率は、物価対策効果を除けば何%」と付け加えることが本来なら必要なはずだ。例えば、「統計上は1%だが、実態は2.2%」と示す必要がある。
消費者物価指数は、さまざまな政策を行う際の判断基準や経済の実態を示す指標として用いられている。
それがこのような状態になってしまうと、大きな支障が起きる。
年金の物価スライドには
どの上昇率を使うのか?
例えば、公的年金の物価スライドだ。上の例の場合(注1)、スライド率は1%なのか、それとも2.2%なのか?
どちらかによって、年金受給者の生活は大きな影響を受ける。
また、公的年金には、物価や賃金の変動に応じたスライドのほかに、現役人口の減少や平均余命の伸びで年金支給額を調整する「マクロ経済スライド」という仕組みがある。
これが発動されるか否かは、消費者物価上昇率が1.9%程度を越えるかどうかによって決まる。(公的年金全体の被保険者の減少率と平均余命の伸びを勘案した率は年によって違うが、ほぼ1.9%程度になる。他方、年金の名目額は減少させないとの制約が加えられている。したがって、マクロ経済スライドは原則的には消費者物価上昇率が1.9%程度を超えないと発動されない)
この決定にも、上記の物価抑制策は大きな影響を与えることになる。
実質賃金の伸び率も大きく変わる。
いま、名目賃金の上昇率が2.0%であるものとしよう。上記の例の場合、実質賃金の上昇率は、本当はマイナス0.2(=2.0‐2.2)%なのだが、政府の公式統計では、1.0(=2.0‐1.0)%ということになる。
この二つ数値ではかなり印象が違う。どちらを用いるかで、政策のあり方は大きく異なるものになるだろう。
(注1)政府が約束している物価対策は、来年9月までのものだが、さらに延長される可能性がある。そこで、話を簡単にするため、ここでは、年間を通じて消費者物価の伸び率が1.2%ポイント抑えられるものとした。
年金受給世帯から訴訟が起きる?
自動車持たなくてもスライド率引き下げ?
年金の物価スライドに関しては、「政府の物価抑制策で家計は恩恵を受けるのだから、1.2%ポイント引き下げられた政府の公式統計を物価スライドに用いることが正しい」との反論があるかもしれない。
政府の資料でも、「今回の措置で、標準的な世帯で1~9月で総額4万5000円の負担軽減が生じる」としている(注2)。
しかし、これは単純な平均計算だ。すべての家計が実際にこれだけの恩恵を受けるわけではない。
年金受給世帯は自動車を持っていない場合も多いだろう。そうした世帯は、ガソリン補助によって何の恩恵も受けない。
電気やガスの使用量も標準世帯より少ない場合が多いだろう。
そうであれば、「年金の物価スライドには、政府の公式統計である1.0%でなく、実態である2.2%を用いるべきだ」という議論が成り立ちうる。
年金額がどうなるかは、年金受給世帯にとって大問題だ。だから、これを巡って、訴訟が起きるかもしれない。
最低限、「年金スライドに用いるべき消費者物価上昇率は何であるべきか」についての掘り下げた議論は不可欠だろう。
一般に、統計の偽造は大問題だ。
2018年末には厚生労働省の「毎月勤労統計」の不正が発覚した。最近では、国土交通省の「建設工事受注動態統計」の不正が問題とされた。
これらは確かに問題だ。統計の数字をねじ曲げてしまえば、経済の本当の姿が分からなくなり、適切な対応が取れなくなるからだ。ただし、これらの統計偽造は、国民生活に直接の影響を与えることはなかった。
しかし、消費者物価統計がねじ曲げられてしまうことは、これらとはまるでスケールが違う。国民生活に直接の影響がある。
(注2)標準世帯とは、夫婦と子供2人の4人で構成される世帯のうち,有業者が世帯主1人だけの世帯。
食料品の価格高騰は放置?
不公平な物価対策
今回の物価対策にはほかにも問題がある。
なぜ、ガソリンと電気とガスだけが対象になるのか?食料品価格の高騰も著しいが、これを放置してもよいのか?
ガソリンを消費しない家計はあるが、食料品を購入しない世帯はない。
食料品を置き去りにしてガソリン価格を抑えるのは、順序が逆ではないか?
何台も車を持っている家庭はガソリン価格統制で大きな利益を得る。また、企業の車であっても利益を得られる。
電気・ガスはどの家計でも消費しているが、業務用でも補助の利益を受けることになる。また、都市ガスは対象とするが、プロパンガスなどのLPガスは直接支援の対象にはしない。
さらに、物価高騰に苦しんでいるのは、家計だけではない。事業者も原価の高騰に苦しんでいる。とりわけ零細企業がそうだ。原価上昇を売上げ価格に転嫁することができないからだ。
製造業でこの現象は顕著に見られる。畜産農家の経営も、飼料の高騰に圧迫されている。
こうした状況があるのに、なぜ、ガソリン、電気、ガス代だけが補助の対象となるのは不公平だ。
本当に必要なのは原因に対処すること
統制は体温計を操作するのと同じ
総合経済対策の基本的な問題は、原因に対処しようとせずに、結果を隠すことだけに専念していることだ。
物価上昇の原因の半分程度は円安なので、まず円安を止めるべきだ。そのために、日本銀行が長期金利の統制をやめて市場の実勢に任せるべきだ。
物価対策はただで行えるのではない。
国民の負担になる。しかも、防衛費と同じ程度の大きさだ。物価上がる状況を自ら作り出して対策でそれを取り繕うという巨大なマッチ・ポンプと言わざるを得ない。
政府は、価格統制を来年の9月まで行うとしている。しかし、そこで止められるかどうか分からない。円安が続いて、いつになっても止められない危険がある。
物価や金利という基本的な経済指標を統制するので、日本経済が抱えている本当の問題が見えなくなる。
これは、病気になって体温が上がり、血圧が上がっているのに、体温計や血圧計を操作して、正しい表示がなされないようにしていることに喩えることができる。
こんなことをしたら、病気は悪くなるばかりだ。
病気になったときに必要なのは、体温計や血圧計の表示を操作することでなく、治療することである。
今回も、全く同じだ。
物価高騰は、病気のようなものである。本当に必要なのは、物価高騰の原因に対処することだ。そのためには、金融政策を転換して円安を止めるべきだ。
それをせずに物価を抑制しようとするのは、体温計や血圧計の表示を操作するのと、全く同じである。
それによって、人々は物価高騰を意識しなくなる。そして円安はますます進む。
石油ショックへの対応は正しかった
落ちてしまった経済政策の質
1973年の石油ショックの際、政府は予算編成途中の11月に、「総需要抑制策」を採り、大型公共事業を凍結・縮小した。
74年には公定歩合の引き上げが行われ、企業の設備投資を抑制する政策がとられた。
そして、省エネが行なわれた。役所のビルの照明が薄暗くなり、エレベータの運行制限が行なわれたことをよく覚えている。
では、このとき、物価抑制策はとられたか?
ちり紙、トイレットペーパー、家庭用灯油、家庭用液化石油ガスには基準価格を設定した。しかし、財政支援は行なわなかった。
これが正しい政策だ。
日本の経済政策の質がなんと落ちてしまったことか。恐ろしいとしか言いようがない。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)
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