8 からだを動かす
発想を高める話の中に「からだを動かす」を述べるのはそぐわない気がするかもしれないが、これが思いのほか大事なのである。
アリストテレスを中心とする哲学者の一派を逍遥(しょうよう)学派と呼ぶことがある。彼らが、散歩しながら思索を巡らしていたからである。
しかし、ここで注意してほしいのは、「からだを動かす」とは、からだ全体を規則的に動かすこと、しかも自然に動かすことである。走ったり、からだの一部を鍛えたりするために動かすことではない。目的のない、のんびりした、疲れないからだの動きのすすめである。
創造の四つの過程の中で、問題の解決を突然思いつく啓示期があることを紹介した。からだを動かすことの利点は、もっぱらこの段階でみられる。
どんな時に啓示を得るかというと、これも、多くの発明・発見家の伝記などに見られることであるが、問題を徴底して突きつめていって集中力の限界までがんばってもどうしてもわからないというところで、ふと気を緩めた時である。たとえば眠る前のボンヤリしている時とか、友人との気のおけない雑談中とか、のんびりと散歩をしている時とかである。
そこで集中力をときほぐすひとときを、からだを動かすことによって作り出してみるのである。
むろん、ほかにも集中力をときほぐす方法はあるが、その中でもからだを動かすことをあえてすすめるのには、次のようにいくつかの理由があるからである。
まず、からだを動かすと環境が変わる。環境が変われば心も変わる。こり囲まっていた頭の働きもそれについてほぐれ、リラックスできる。
また、からだを動かすと目や耳などの感覚器官からだけでなく、手や足を中心にからだの筋肉系のあちこちからも脳へ刺激が送り込まれる。これによって、それまで活動していなかった脳の部分が活性化する。集中することによって、一点に限定して活性化していた脳の活動がほかの部分の活動と連携して、それまでには思いもつかなかった考えが生まれてくる。
さらに脳への穏やかで規則的な刺激は、人間の意識状態を普段とは異なった状態(変性意識状態)にする。こうした時に、普段とは違った発想がなされたとしても不思議ではない。
集中することは、心の世界での出来事ではあるが、そこに閉じこもってしまえば、心とからだとが分離してバランスを失ってしまう。バランスを手軽に回復するためには、散歩、ぶらぶら歩きは絶好の方法である。