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階段足

2012-05-22 | 健康・スポーツ心理学
最近、階段を避けるようになってきた
駅では、エレベータ、エスカレータ<<ほとんどの駅で完備
しかし、階段を使わざるえないとき
いかに、階段のぼり下りの足になっていないかが
わかった
これはまずい
反省

階段のぼりおりほどいい運動はないのに
もったいない
活用することにする

外づけHD,使えるようになりました

2012-05-22 | 心の体験的日記
あれこれいじっているうちに
マニュアルがあることを発見
開いてみる
半信半疑でやってみた
なんのことはない
普通のUSBと同じでよい
あまりに当たり前なので、
説明するまでもない
ということかも

恥ずかしい限り
これですこしは、画面がきれいになった
速度はどうか

出てきました!

2012-05-22 | 心の体験的日記
エラー関係の原稿依頼
最近は、ほとんど書いていない
でも、最近は、あまり原稿依頼もない
ことわるのもおしい
引き受けた
でも、よくよく考えると資料をほとんど処分してしまった
ところが、それが出てきたのだ
セレンディピティである
目のまえの本棚にあった
昨日あちこち探していたのが
こうして実現したのだ
無駄なことは、この世にない

周囲に気をとられない集中術その1

2012-05-22 | 教育
1  環境に馴れれば気も散らない

 人間は、暑さも寒さも、痛みも快楽も、美しさも醜さも、貧しさも豊かさも、ほとんどありとあらゆることに馴れることができる。馴れることは人間の特技のようなものである。
「馴れる」とは、同じことに何度もふれているうちに、初めは色々とそれに対して反応が生じていたのに、次第に何も起こらなくなることである。
馴れるというこの人間の特技は、集中力を発揮したい人にとっては見逃せない。集中力を妨げていると思い込んでいる環境にも馴れてしまえば、それが気になって集中できないということはなくなるからである。
 よくぞこんなところで仕事ができるもの、というような環境があるが、多分、慣れてしまって気にならなくなっているのであろう。もちろん、最初はそれになり苦労はしたと思うが。
 そこで、たとえば、音に馴れるコツ。
 まずは、徹底してその音の意味を考えてみることである。そして、それが結局は自分とどこかでつながっていないか、もしかして自分もそのような音の発生源になってはいないかを徹底して考えてみる。
 カラオケを自分でも楽しんだ経験はなかったか、騒音のうるさいあの工場で作っているものは何か、それは自分にとってもなくてはならないものではないかなど。
 もし、それによって何かが見つかれば、きっとそれらの騒音に寛容になれるはずである。
 さらに、どうしてもダメという人には、耳栓や厚手のカーテン、あるいはバックグラウンド・ミュージックという手もあるが、そうしたことにあまり意をくだき過ぎると、騒音にとらわれてしまって、馴れるわけにはいかなくなる。
 他人が作り出す環境を自分の都合のいいように変えさせることができるなど、ごく一部の場合を除いて、無理というものである。これを自分を鍛える試練と達観し、とりあえずがんばってみるのも、あなたにとっては悪い結果をもたらさないはずである。
 逃げずに、その中に自分をどっぷりと浸し込んでみたり、あるがままに受け入れてみると、必ずよい結果が生み出されるはずである。
 ただし、馴れには気をつけなくてはならない側面もある。批判精神や「なにくそ」という向上心を削ぐ恐れがあるからである。「生活上の不便、不満のあらゆることに馴れよ」ではなく、本質的ではないこと、どうでもいいことにまで肩ひじをはらずに、ともかく馴れてしまったらどうかというのが、ここでの話である。