心のあるがままを知り、あるがままを受け入れる
現実には、両者を区別するのは難しいのですが、話をわかりやすくするために、心の「あるがままに」を「知ること」と「受け入れること」とに分けて考えてみたいと思います。
まず、「心のあるがままを知る」から。
心のあるがままを知るには、自覚、つまり内省による心の認識が必要になります。
心が平静なときには、それほど苦労なくそれなりにできますが、感情が極端な状態になっていると、注意資源が、その感情の処理に費やされてしまい、その感情状態をあるがままに知ることができなくなってしまいます。そもそも知ろうという気持ちさえ失われてしまいます。
次は、「心のあるがままを受け入れる」についてです。
自分の心を自分でコントロールするには、かなりの力がいります。
・落ち込んだ心を元気にする
・めげそうになる心を鼓舞する
・低下してきた集中力を高める
・あれこれ頭を去来する想念を沈める
いずれも、それなりにできないことではありませんが、かなりの力技になります。そのための心理技術もたくさんありますし、心理療法として確立しているものもあります。
これに対して、「心のあるがままを受け入れる」というのは、自分の気持ち、思いを積極的に変えようとするのではなく、素直に受け入れてしまおうというものです。
ポジティブな心の状態は、誰もが簡単に受け入れることができます。ネガティブな心についてもできないものでしょうか。
森田療法の創始者・森田正馬の言葉を引用しておきます。
「治療の主眼については、言語では、いろいろと言い現わし方もあるけれども、詮じつめれば「あるがままでよい、あるがままよりほかに仕方がない、あるがままでなければならない」