法則10
集中力は発揮すべきときに発揮できればよい
集中力は、必要なときに発揮できればよいということは誰でも承知している。「集中力がなくて」とか、「集中できなくて」とか言うのは、集中すべきときに集中できないからであり、朝から晩まで、年がら年中、集中していたからではない。
人原は、むしろ、集中していない状態のほうが時間的には長く、集中していないほうにあらかじめバイアスがかかっているようである。そして、いったん事が起こると、集中していない間にため込んだエネルギーを爆発させて事に対処するようにできているらしい。
この爆発のさせ方が、集中力のコントロールの方法である。これについて、いくつかはっきりさせておきたいことがある。
第一には、集中力は、自分の力でコントロールできるところと、自分ではどうにもならないところがある、ということである。「人差し指の先端に注意を集中」と思えば、誰でもそこに注意を集めることはできる。
しかし、好きな歌手の歌が聞こえてくれば、どんなに集中して本を読んでいても注意がそちらに移ってしまう。あるいは、10分間、人差し指の先端に注意を集中したままで、ということになれば、よほど訓練しないと自分の力だけではむずかしい。集中力コントロールは、この2つの側面をよく考慮して、その方策を考える必要がある。
第二には、集中力を自分でコントロールする力は、ある程度までは訓練によって養うことができる。一点に注意を集中するのも、うるさい環境の中でも本が読めるようになるのも、訓練によっては、ある程度まではできるようになる。
しかし、だからといって、集中力コントロールの訓練にひたすら精を出すというのも考えものである。これが、第三のはっきりさせておきたいことである。なぜかと言うと、集中力は、あくまで何かをするための手段にすぎないからである。集中力ばかりに気を回してしまって、肝心の本業がおろそかになってはどうにもならない。集中力の訓練も、その本業をしながらやるのが本筋である。
これらのことに配慮しながら、あなたの集中力コントロールを考える手助けをしてきたつもりであるが、いかがであったろうか。
繰り返すが、集中した状態は人間にとっては不自然な状態である。集中した状態があまり長引くと、精神的にも肉体的にもやられてしまうし、肝心のときに集中力を発揮できなくなってしまう。集中力は、それが必要なときにだけ発揮できればよいのである。