心の風景 認知的体験

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久しぶりに手紙を書いた

2017-03-09 | 心の体験的日記
大先生から手書きの手紙。
返信に手紙を書いたが、
手書きはもはや無理。
それからがまた大変。
適当な封筒がない。
80円切手はあるが、2円切手がない。
120円で代用。
さらに、封をするのりがない。
セロハンテープですます。
さー、明日、投函するぞ!!


図書と図書館;回想あれこれ」後半

2017-03-09 | 心の体験的日記

第4回
●500冊は売れる;図書の売れ行き
 これまで単著、共著、編集、監修で50冊くらいの本を出させてもらった。硬い専門書から柔らかい新書や文庫もある。
 専門書は売れない。それでも、ある編集者から聞いたが、500冊はなんとか売り切れるのだそうだ。内容を見ないで買ってくれるところがあるからなのだそうだ。(見られたら買ってくれない!)。その多くは、大学図書館。
 そう言われれば、自分の大学でも、新設学科では図書費が計上されていて、ともかく、その額を使い切らないとまずい、ということで、とりわけ、年度末には、内容を見ずにカタログに印をつけて一括購入するようなことがある。
 日本の4年制大学の数は、780余り。500冊は、納得のいく数である。出版社には申し訳ないが、自分でもそんな本が数冊はある。

第6回
●試験前になると図書館へ;図書館のもう一つの活用法その1
 高校生の頃の記憶。
試験前、誰でもそうだと思うが、試験勉強からの逃避なのか、それとも頭の働きが活性化するからなのか、やたら本が読みたくなる。 
そういう仲間が図書館に集まったのだと思う。一休みということでーーこれも逃避?――、図書館わきの芝生に寝転んでだべっていた。それをむかいの校舎から校長がみていた。司書が飛んできて、注意された。ひげ顔の校長がこちらをにらんでいる光景が、ありありと思い浮かぶ。
その図書館で読んでいたのは、ミステリー関係と社会学関係(清水幾太郎全集かも?)だったと思う。本を買えない貧乏のなかで、あの充実した図書館は救いだった。

第7回
●図書館でのんびり;図書館のもう一つの活用法その2
ロスアンゼルスでの10か月の海外研修期間中、英語不如意でストレスフルな毎日を送っていた。そんな日常の中で、大学図書館にあった日本語の新聞や雑誌は救いだった。(それまでは、図書館にそうしたものがあることさえ知らなかった。)
それで味をしめて、帰国後も、こうしたいわば憩いの場としての図書館利用をするようになった。
そういう目的で図書館をあらためて眺めてみる、新聞のみならず実に多彩な雑誌、DVDなどもあることを発見。
恥ずかしながら、今では、図書館に行くのは、もっぱら憩い目的である。
徒歩5分の近隣公民館付属の図書室には、そうした活用を楽しんでいる(ように見える)高齢者や主婦、子どもがひきもきらずである。

言葉が不得手な領域

2017-03-09 | わかりやすい表現
言葉が不得手な領域  

表現にとって、言葉は大切であることは言うまでもないが、言葉はオールマイティではない。
百万言を費やして表現しようとしても表現しきれないものがある。  

「紙の右隅をちぎってください」というような操作の指示も、言葉だけではどうしても十分な説明ができない領域の一つである。
いわゆる情景描写なども、その一つである。
だからこそ、作家の描写力が試されるところでもあるのだが。  


いずれにしても、この言葉の不得手を補うのが、イラストや写真などによるビジュアル表現である。  
なお、小説ではビジュアル表現による支援は、あまりやらない。
なぜかというと、情景についてのイメージ喚起の手がかり(文章表現)の提供までは作家が責任を持つが、
それによってどんな具体的なイメージを抱くかは読者に任せられているからである。
そういう暗黙の約束で小説は成り立っている。だからこそのおもしろさでもある。