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「図書と図書館、回想あれこれ」
第1回
●図書についての初期記憶;図書館と情報保護
第2回
●図書を買う;図書の私と公
最初に職についた大学では、研究費で自由に図書が買えた。学部生や大学院生のときは乏しい生活費を割いて「つけ」で図書を大量に買い込んでいたので、これは助かった。しかも、まず読みたい本を本屋から持ってきてもらいたっぷりと読んでしまってからやおら再度、本屋に来てもらい、図書館に納品してもらえたのだーー多分、今は、こんなルーズなことは許されないかも。でも許してほしい!ーーー。
次に移った大学では、逆にきつい図書管理にとまどった。
自分の研究費(といっても税金なのだが)で購入する図書まで全部、図書館経由、忘れた頃に納入される。研究室に借り出せる図書数にも上限がある。とても窮屈で仕事にならない。再び、自費で購入することになった。(なお、定年退職のとき、1冊だけ借り出した英文本が返却されていないという催促が退職後にきた。アマゾンで購入して返却したーーきつい、いや当たり前の管理の象徴的エピソードでした!)
現在、研究室と家の書棚にあるのは、学生の頃購入したものと2番目に移った大学で自費購入したもので、最初の大学にいた7年間のものが欠けている。時折、そのことに気がつかされる。はやり、必要な図書は自費で買うべきだったとちょっぴり後悔している。
3番目の大学では、購入額の上限があるし、図書館経由の購入になるが、納入が実に早く、しかもラベルなしなので、自在に使える(なくなってもかまわない!)ので助かる。演習などで自在に使えるし、学生にも貸し出せる(もどってこないことが多いのが悩みの種)。
第3回
●図書が捨てられない;図書処分
家にも研究室にも図書が溢れている。そろそろ処分をせねば、という気持ちはだけはここ10年くらい持ち続けている。しかし、いっこうに減る気配がない。
これは捨てようと思う1冊。ぱらぱらめくりをしたり、付箋をはったところを読み返したりすると、もうだめ。それぞれセンチメントがある。それぞれ、まだ授業で使えそうということになる。
その気持ちを断ち切って、ゴミ処理するのは断腸の思いである。
そこで考えたことの一つが、周りの学生や先生にゆずる戦略である。ゆずられたほうは迷惑至極だと思うが、時には本心かどうかは不明だが感謝されることもあるのでやめられない。
しかし、こちらからすると、万が一必要になったときの保険になるので、安心して処分できる。とはいっても、これで処分できる数はたかがしれている。
それが最近、とてもうれしいシステムが大学の学生支援課で考案してくれた。不要本を学生談話室で引き取ってくれるというのである。目下せっせとそこに書棚の図書を移動させているところである。