心の風景 認知的体験

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メンテナンス

2008-07-18 | 心の体験的日記
メールが、メンテナンスのため使えない
めずらしいこともあるもの
それにしても、メンテって何をするのだろう
まさか、油をさすわけでもないだろう
情報ごみを整理するといったところかなー
自分でもトップ画面がほっておくと
ゴミだらけになる
それにだんだん、立ち上げが遅くなる感じもある


写真
かかりつけクリニックには
あれこれ、5種類くらいのマスコットがある
その一つ

9 「とらわれ」ない 

2008-07-18 | 教育

9 「とらわれ」ない 
「とらわれる」というのは、ここでは「自分の意に反して心が一つの事ばかりに向いて、それから離れられないこと」を言う。
 一つの事に向けられるという意味では、注意の集中と同じであるが、この集中は、自分の意志でコントロールしようとすればするほど、ますますそれから離れられなくなってしまうのが特徴である。
 この「とらわれ」、本来の集中力の発揮には大敵である。何しろ、注意を集中すべきことに注意が向けられずに、客観的には、あるいは他人から見れば、どうでもいいこと、たいしたことでないことに大事な注意のエネルギーが使われてしまうからである。
 たとえば、隣のピアノの音が気になる。それは誰でも気になる。しかし、ピアノの音に 「とらわれる」と、練習の始まりが遅れたりすると、なぜだろうと「心配」になる。練習が始まったら、何も手につかない。ひたすらピアノの練習が終わるのを待つ。無視しようと懸命に努力するが、ますます過敏になってしまう。
 ヒポコンドリー(心気症)という病気がある。自分の身体の状態に異常に注意をむけ、病気ではないかと思い悩む心の病である。これも、自分のからだに「とらわれて」しまった人の引き起こす心の病である。
 こうした「とらわれ」は、あまり好ましくない方向に人を向かわせるので、できるだけ早くそこから抜け出たほうが良い。そのためのコツを4つほど紹介しておく。
 まず「とらわれ」ている自分を認めることである。いたずらに「とらわれまい」としたり、自分は「とらわれ」ていないと否定したりしないことである。「とらわれ」ている自分をあるがままに受け入れることから出発する。
 といっても、これが難しい。まず試みてほしいことは、自分の心をじっと見つめ、なぜ「とらわれる」のかを考えるのである。さらに、自分の心の中で起こっていることに、じっと目を向けてみる。だんだん怒りが静まってきたとか、いま誰のことを考えているとか、できるだけ素直に眺める訓練をすることである。そうすることによって、自分の心の動きを客観視できるようになればしめたものである。
 次に、日記かノートにメモってみる。
 心の中を外に出す(外化)のである。このことによって、「自分」だけのものであった心を、ことばという客観的な道具に乗せることで、「自分」から切り離すことができることになる。
 さらに、人と話せば、「とらわれ」の無価値やおろかさ、あるいは、それが誰でも経験するようなことであることがわかる。それは、あなたの気持ちを和げるのに効果がある。
「とらわれ」が、人間関係にかかわることであれば、ともかくその人とできるだけ接触をしてなにげないコミュニケーションを心がけることである。
「とらわれ」が、自分の身体の異常であれば、早めに医者に行くしかない。医者には病気を直すだけでなく、病気ではないかと心配している人を安心させる役割もあるのだから。
 こうして、「とらわれ」ている自分を冷静に眺められるようになったら、次は、何もかも「許す」ことである。人のすることなすこと、世の中のことすべてを理屈抜きで許してみることである。怒らず、腹を立てず、争わず、さからわずで、しばらく生活をしてみる。気持ちがすっきりしてくるはずである。


● 失敗をいかす

2008-07-17 | ヒューマンエラー
● 失敗をいかす
 資格試験への挑戦と失敗。そこから、今の仕事が自分に向いていないと結論づけてしまう安易さには、納得がいきません。これでは、イソップ童話にある、ブドウをとろうとして失敗したキツネの言い訳「すっぱいからいらないや」と一緒です。
失敗は致し方ないとしても、その理屈づけは、もっと積極的な方向にもっていきたいものです。自分の努力は十分だったでしょうか。失敗したときの言い訳をあらかじめ準備しておいたようなことはなかったでしょうか。

還付金詐欺か

2008-07-17 | 安全、安心、
認知的体験 03/10/17海保
「税金が戻ってくる」
これで確か2度目だと思う。地方税が誤って計算されたらしく、講演1回分くらいの額が戻ってくる。でも書類をみると、過請求書とかなっていて、しばらくは、こちらが治めなくてはいけないかのように錯覚してしまった。もちろん、間違えてごめんね、の一言もない。計算書をさらにチェックしてみると、さらに誤りと思われるところをみつけてしまった。もっと戻ってくるかも。
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還付金詐欺が続発
それにしても、敵さん、よく考えるものだねー
それにしても、よく騙されるものだねー
自分は絶対に大丈夫、という自信がかえって危ない
かつて、請求書詐欺あいそうになってびっくり仰天させられたことがある
このブログなんかを丹念に読めば、
騙すのに使える個人情報なんてすぐに集まってしまう
そうならないように気をつけてはいるが。

社会人の発達段階

2008-07-17 | 教育
 心理学では、人の一生を考えるときに、一生をのんべんだらりんととらえるのではなく、心身の特徴に着目して、いくつかの区切りを作ります。乳幼児期、児童期、青年期、成人期、老年期というなじみのある区切りーー発達段階と呼びますーーもその一つです。
 さて、25歳、6年目。社会人・職業人としての発達段階から考えると、3年目までの社会人初期段階、7年目までの職業習熟段階、7年目以降は職業熟達段階と区切ってみますと、丁度、7年目の節目の時期にさしかかっているところですね
 発達段階の切り替え時期には、過去を振り返り、未来を眺め、あれこれと悩み逡巡することが多くなります。たとえば、3年目クライシス。それを乗り越えれば、職業習熟段階に入れるのに、転職してしまう若者が多いという現実があるのはご承知のとおりです。あなたも、7年目、職業習熟段階から熟達段階への移行時の悩み、逡巡があるように思えます。

8 情報を選択する

2008-07-17 | 教育
8 情報を選択する

 情報化社会での生き残るためには、しっかりと情報を選択しなければならない。
 情報の選択は二段階でおこなわれる。まず、「見ない」「聞かない」というレベルでの選択である。
 目や耳など感覚器官に情報が入らないようにすることで、新聞、テレビはもとより本も読まない。これは、選択というより拒絶と言った方が正確である。
 情報の拒絶は、へたをすると世の中から孤立してしまい、ひとりよがりの世界を作りあげてしまう危険性がある。しかし、時には、これくらいのことをしないと周囲が気になっていつまでたっても「これが自分の世界である」というものを持てない。
 これに続く選択は、一度頭の中に取り込んだ上での選択である。 本も新聞も読みはするが、不要なもの、おもしろくないもの、関心のないものは頭の中から棄てるのである。
 このレベルでの選択は、意識せずにほとんど自動的になされる場合と、かなり意識的にコントロールして選択する場合とがある。 新聞を読むことを考えてみよう。見出しをざっと流し読みしながら詳しく読むための記事をさがす。これは、意図的な選択である。ところが、記事の中に自分の会社名や自分にかかわりの深い記事があると、不思議なくらい自然に気がつくことが多い。これが、無意識的な選択である。
 意識的にしろ、無意識的にしろ、頭の中での選択ができるためには、頭の中にあらかじめ選択に使う知識がなければならない。その知識を得るためには、情報を外から取り入れなければならないのであるから、ここには選択のパラドックスがある。
 選択のための知識は、ともかく本の選択なら本を、新聞からの情報の選択なら新聞を、できるだけたくさん読むことによってしか身につかないからやっかいである。
 こうした知識を貯えて、センスを養うのは、長期的には学校での学習期間中である。短期的には、まだ構想が固まらないデータや資料を集めている段階である。目につくもの、聞くものすべてに興味を持ってともかく自分の頭の中にしまいこんでおく。こんなことも、人生の一時期、仕事を完成するまでの一時期にあってよい。

久しぶりだなーランク入り

2008-07-17 | Weblog
2008.07.16(水) 1346 PV 462 IP 844 位 / 1056526ブログ
2008.07.15(火) 1179 PV 401 IP - 位 / 1055948ブログ
2008.07.14(月) 1207 PV 364 IP - 位 / 1055390ブログ
2008.07.13(日) 1233 PV 369 IP - 位 / 1054810ブログ
2008.07.12(土) 1099 PV 321 IP - 位 / 1054197ブログ
2008.07.11(金) 1542 PV 425 IP 964 位 / 1053596

400台が底も見えてきた1週間
愛読感謝

理香ちゃんにも感謝

総理辞任?

2008-07-16 | 心の体験的日記
大方の予想を裏切って
衆議院の解散に打って出ることになった
うーん、最後までうならせるなー

これで終わりはまー納得、
しかし、1年後、もう一度、総理にカンバックしてほしい

いや、楽しかった
キムタク総理、ごくろうさま


豪華な立体交差が完成間じか

2008-07-16 | 心の体験的日記
前にも何度か書いた
我が家の近くの立体交差工事
だんだん完成に近づいてきた
その豪華なこと
こりゃー一体なんなんだという代物
お金が有り余って、目一杯、予算を付けたという感じ
もっと困り抜いている箇所はいくらでもあるだろうに。
教訓的な工事現場である。

富士山

2008-07-16 | 心の体験的日記
●今日の寄贈本03/12/12海保
田代博(筑波大学付属高校教諭)「富士山発見入門ーー知れば知るほど楽しい展望ガイド」知恵の泉文庫。
富士山がどこからどのように見えるかを極限まで探ったびっくりマニア本。豊富な写真が楽しいが、さらに驚くような話しが満載。たとえば、一番遠くから見えるのはどこかまでは誰でもが考えるが、「理論上、最遠望できるところ」まで考える(まだ実証されていないらしい)。山手線のどこから見えるかまでは誰でも考えるが、地下鉄のどこで見えるかまで考えて、挑戦する。::ついでに富士山をめぐって2題;
「富士山にまつわる、トリビアな泉より」
*トリビアとは、役に立たないささいことの意味

第二次世界大戦の終局の頃、アメリカ軍が、富士山を赤いペンキで塗りつぶそう、という計画があったそうです。
膨大な労力と物量とお金がかかることがわかり、提案段階でボツになったそうです。

どうしてそんなことを考えたと思いますか。
日本人の戦争に対するモラール(士気)を下げるためです。
富士山が日本人のモーラルを高める源になっていると考えたようです。
ちなみに、この話のびっく度「へえ」は100満点の60へえでした。
「司馬遼太郎の小説「竜馬が行く」より」

ぬすっと・藤兵衛と一緒に、19歳の竜馬(1835-1867)がはじめて四国から東京へ剣術修業にでかける途中で、静岡県の日本平から富士山の絶景を眺めながらの2人の会話。

「藤兵衛、いっこうに驚かぬな」と竜馬が言います。
藤兵衛「見なれておりますので」
竜馬「だからおまえは、盗賊になったんだ。血の気の熱いころはこの風景をみて感じぬ人間は、どれほど才があっても、ろくなやつにはなるまい。----」
藤兵衛「--旦那はこの眺望をみて、なにをお思いになりました。」
竜馬「日本一の男になりたいと思った。」


7 情報に流されないようにする

2008-07-16 | 教育

7 情報に流されないようにする

 情報化社会とは、過剰なまでに情報が生産・流通・消費される社会である。そのような社会では、たくさんの情報に対処するために次のようなことになりがちである。
 まずは、一つ一つの情報を処理する時間が短くなる。
 これによって、情報の量の多さに対処しようというわけである。人が死んでも、さっと悲しんで翌日は忘れる。飛行機が落ちても、二、三日大騒ぎして次のニュースを追いかける。目新しいテーマもすぐに陳腐化してしまう。
 次に、情報の価値を瞬時に判断して、あまり大事でないものはどんどん無視してしまうようになる。
 週刊誌の記事も、二つか三つ読んで残りは捨ててしまう。本も、大事そうなところだけ拾って読むようになる。余計なことにはあまり関心を持たず、かかわりを持たないようにする。
 いずれもせわしくて味気無いが、情報化社会に適応して生きていくには確かに巧妙な知恵になっているし、集中力のコントロールにも好ましい。
 ただし、これとて自分である程度まで意識的にできればの話である。情報過多に流される形で、つまり知らずしらずのうちに行なわれるとすると、あまり好ましくない事態が起こる。
 情報処理の時間が短縮されると、結果として一日で処理する情報の量が増えることになる。処理された情報は頭の中に蓄えられて、貴重な記憶の倉庫をふさぐことになる。それが、意識的に取り込んだ情報なら問題はない。いずれ生きた知識として使われるからである。
 しかし、無自覚的に取り込まれた場合、あなたの頭の中はがらくた情報ばかりになり、本当に大事な情報が隠されてしまい、将来、知識として生かすことができなくなる恐れがある。