「臓器移植法A案」が参院でも通りましたね。
衆院可決の時はマスコミがやたら取り上げて話題にしてたのに、衆院が通ると皆すっかり
興味を失った様子?一応法案は「衆院→参院」の両方で可決されてようやく成立なんですが。
要するに、今日ようやく正式に「臓器移植法案」が成立したという事ですよ。
・・・やっぱみんなもう興味ないか(苦笑)
新しい法案は、赤ん坊だろうが年齢制限なく「脳死」と判定されたら全て移植対象になる。
そして「脳死=人の死」と「法律」で決められた。
生前ドナー対象者(脳死者)が「脳死した際に臓器提供をする・しない」の意思を
明確にしていなくても、遺族がOKしたら臓器提供出来る。
意思を明確に出来ない年齢でも、遺族がOKしたら臓器提供出来る。
まあ、こんなトコロかな?
「脳死=人の死」を法律で定義する事で、今後事故等で脳死状態だと思われる患者に対し
患者の遺族が臓器提供を望まないにも関わらず、医師がそれ以上の治療を中止する可能性が
出て来るんだが・・・コレに対しては「脳死の定義は臓器移植法の範囲を超えて適用されない」
という、全く意味不明の回答が出されている模様。
えーと。「臓器移植法の範囲を超える」というのはどういう状態?
自分が脳死したら、使える臓器は全部使ってくれ!という人は多いと思う。
私も長い事そう思っていた。
では愛する家族が脳死判定を受けたら?アナタはその時、胸が上下し(拍動していて)体は温かく、
時々瞬きしたり指先を動かす家族の体を切り開いて、その動いている心臓を取り出せますか?
「ああ、ビクビクと元気良く動いてますね。イキのいい内にどうぞ取り出して使って下さい♪」
と差し出す事が出来ますか?
自分の心臓ならいいけど、家族の心臓だったらイヤだなーと正直思った。
もし自分の家族が脳死したとして、医師から「臓器提供して下さい」と言われたら
間違いなく拒否するだろうなーと思った。
脳死したらもう意識はないのだから、と言われても(頭では充分理解していても)
やっぱり体に血が通っていて温かい人間の動いている心臓をそのまま取り出すのは
どうにも私には承諾出来そうにない。
「臓器提供します=動いている心臓を取り出していいよ=私が息の根を止めた」
みたいな気持ちになるだろうなと。
そうすると逆に考えれば、もし私が脳死したとしてもやっぱり家族は同意しないだろうと。
実際ダーに「もし私が脳死したら、心臓提供する?」と聞いたら「絶対拒否る」と言った。
理由は私と全く同じ・・・やっぱそー思うわねぇ。
「臓器提供」と言うと、何故か日本人の多くは「肝臓」「すい臓」みたいな、
余り「生」を意識させない臓器の事を想像するみたいだけど、
じゃあ今動いている心臓を動いているまま取り出させて下さい、と言われたら?
「臓器提供」なら何となくいい感じだけど、「心臓提供」と言われたら?
なんだか妙に生々しく、そして禍々しい感じがするのは私だけか?
そんな訳で、我が家では話し合って
「お互いが脳死しても、心臓が動いている間は【生きている家族】として慈しみ合おう」
という結論に達した。要するに臓器提供完全拒否。
ところで今後の風潮として、脳死者が生前から明らかな「臓器提供拒否」という意思を
表明しておかないと、基本的に移植コーディネーターはあの手・この手で脳死を認めさせて
臓器の提供を強要してくるようになるであろう。
更に、今の段階では長期脳死者に対して、国は「身体障害者」と同じ保護を行っているが
今回「脳死=人の死」と法で定められたからには、近い将来的には長期脳死者に対しての
法的保護は一切なくなっていくであろうと推察。
脳死者の体を維持する為の高額の器具・医療費が全て「全額負担」になるだろう。
健康保険の適用も勿論されなくなるであろう。何しろ「脳死者は死んでいる」のだから
死んだ人間に健康保険が適用されないのは当たり前。
最終的に「脳死であろう」と医師が判断したら、その場で医療措置は取られなくなり、
更に医療行為を続けて欲しいと遺族が願えば、莫大な医療費を請求される。
そして「金が払えないなら臓器を提供しろ」というロジックになるだろう。
ダーに「ねえ、もし【高額医療費が払えないなら臓器提供しろ】って言われたらどうする?」
と聞いたら、意外な答えが返って来た。
「そしたら生命維持装置は外してもらって、自然に心臓が止まるのを泣きながら見届ける。
そしてお前を守ってやれなかった事を謝る。でも臓器の提供だけは絶対にしない」
「お金払えないんだから、だったら私の臓器を誰かの役に立たせてもいいんじゃない?」
「絶対にイヤ。金と引き換えにお前の心臓を止めたんだ。誰にもくれてやりたくない。
家族の気持ちを踏みにじった移植コーディネーターの思うツボになりたくない」
「そっかー。じゃあもし自分が脳死して同じ事を私が言われたら?」
「その時はお前の判断に任せる。俺はそもそも臓器移植という医療行為を認めてないから。
動いている臓器を取り出すなんて、神をも恐れぬ冒涜行為だよ。人間ごときが思い上がるなと。
俺は神の存在なんか信じちゃいないが、それでも臓器移植は俺の倫理観では許されない。
人間の体はその人が持って生まれた物、それだけだ。パーツが1つ不具合が出来たから
他の人間の体から頂戴しようなんて、人間の体は車の部品じゃないんだよ」
「じゃあ、私の体が臓器移植しないと余命数ヶ月だと宣告されたら?」
「少なくとも俺は臓器移植は望まない。臓器移植を望まない事が家族を愛していない
という事にはならないと思う。愛しているからこそ、愛した人の体全てを生まれたまま
慈しむのが本当の愛だと思ってる。他人の体を頂戴しようとは思わない。それはエゴだ」
「それで私が数ヶ月の後に死んでも?」
「そうだな。それがお前の持って生まれた体の天命だったんだと思う」
世間では「臓器提供は当たり前」の風潮?なんだろうけど、我が家は思いっきり逆行(苦笑)
衆院可決の時はマスコミがやたら取り上げて話題にしてたのに、衆院が通ると皆すっかり
興味を失った様子?一応法案は「衆院→参院」の両方で可決されてようやく成立なんですが。
要するに、今日ようやく正式に「臓器移植法案」が成立したという事ですよ。
・・・やっぱみんなもう興味ないか(苦笑)
新しい法案は、赤ん坊だろうが年齢制限なく「脳死」と判定されたら全て移植対象になる。
そして「脳死=人の死」と「法律」で決められた。
生前ドナー対象者(脳死者)が「脳死した際に臓器提供をする・しない」の意思を
明確にしていなくても、遺族がOKしたら臓器提供出来る。
意思を明確に出来ない年齢でも、遺族がOKしたら臓器提供出来る。
まあ、こんなトコロかな?
「脳死=人の死」を法律で定義する事で、今後事故等で脳死状態だと思われる患者に対し
患者の遺族が臓器提供を望まないにも関わらず、医師がそれ以上の治療を中止する可能性が
出て来るんだが・・・コレに対しては「脳死の定義は臓器移植法の範囲を超えて適用されない」
という、全く意味不明の回答が出されている模様。
えーと。「臓器移植法の範囲を超える」というのはどういう状態?
自分が脳死したら、使える臓器は全部使ってくれ!という人は多いと思う。
私も長い事そう思っていた。
では愛する家族が脳死判定を受けたら?アナタはその時、胸が上下し(拍動していて)体は温かく、
時々瞬きしたり指先を動かす家族の体を切り開いて、その動いている心臓を取り出せますか?
「ああ、ビクビクと元気良く動いてますね。イキのいい内にどうぞ取り出して使って下さい♪」
と差し出す事が出来ますか?
自分の心臓ならいいけど、家族の心臓だったらイヤだなーと正直思った。
もし自分の家族が脳死したとして、医師から「臓器提供して下さい」と言われたら
間違いなく拒否するだろうなーと思った。
脳死したらもう意識はないのだから、と言われても(頭では充分理解していても)
やっぱり体に血が通っていて温かい人間の動いている心臓をそのまま取り出すのは
どうにも私には承諾出来そうにない。
「臓器提供します=動いている心臓を取り出していいよ=私が息の根を止めた」
みたいな気持ちになるだろうなと。
そうすると逆に考えれば、もし私が脳死したとしてもやっぱり家族は同意しないだろうと。
実際ダーに「もし私が脳死したら、心臓提供する?」と聞いたら「絶対拒否る」と言った。
理由は私と全く同じ・・・やっぱそー思うわねぇ。
「臓器提供」と言うと、何故か日本人の多くは「肝臓」「すい臓」みたいな、
余り「生」を意識させない臓器の事を想像するみたいだけど、
じゃあ今動いている心臓を動いているまま取り出させて下さい、と言われたら?
「臓器提供」なら何となくいい感じだけど、「心臓提供」と言われたら?
なんだか妙に生々しく、そして禍々しい感じがするのは私だけか?
そんな訳で、我が家では話し合って
「お互いが脳死しても、心臓が動いている間は【生きている家族】として慈しみ合おう」
という結論に達した。要するに臓器提供完全拒否。
ところで今後の風潮として、脳死者が生前から明らかな「臓器提供拒否」という意思を
表明しておかないと、基本的に移植コーディネーターはあの手・この手で脳死を認めさせて
臓器の提供を強要してくるようになるであろう。
更に、今の段階では長期脳死者に対して、国は「身体障害者」と同じ保護を行っているが
今回「脳死=人の死」と法で定められたからには、近い将来的には長期脳死者に対しての
法的保護は一切なくなっていくであろうと推察。
脳死者の体を維持する為の高額の器具・医療費が全て「全額負担」になるだろう。
健康保険の適用も勿論されなくなるであろう。何しろ「脳死者は死んでいる」のだから
死んだ人間に健康保険が適用されないのは当たり前。
最終的に「脳死であろう」と医師が判断したら、その場で医療措置は取られなくなり、
更に医療行為を続けて欲しいと遺族が願えば、莫大な医療費を請求される。
そして「金が払えないなら臓器を提供しろ」というロジックになるだろう。
ダーに「ねえ、もし【高額医療費が払えないなら臓器提供しろ】って言われたらどうする?」
と聞いたら、意外な答えが返って来た。
「そしたら生命維持装置は外してもらって、自然に心臓が止まるのを泣きながら見届ける。
そしてお前を守ってやれなかった事を謝る。でも臓器の提供だけは絶対にしない」
「お金払えないんだから、だったら私の臓器を誰かの役に立たせてもいいんじゃない?」
「絶対にイヤ。金と引き換えにお前の心臓を止めたんだ。誰にもくれてやりたくない。
家族の気持ちを踏みにじった移植コーディネーターの思うツボになりたくない」
「そっかー。じゃあもし自分が脳死して同じ事を私が言われたら?」
「その時はお前の判断に任せる。俺はそもそも臓器移植という医療行為を認めてないから。
動いている臓器を取り出すなんて、神をも恐れぬ冒涜行為だよ。人間ごときが思い上がるなと。
俺は神の存在なんか信じちゃいないが、それでも臓器移植は俺の倫理観では許されない。
人間の体はその人が持って生まれた物、それだけだ。パーツが1つ不具合が出来たから
他の人間の体から頂戴しようなんて、人間の体は車の部品じゃないんだよ」
「じゃあ、私の体が臓器移植しないと余命数ヶ月だと宣告されたら?」
「少なくとも俺は臓器移植は望まない。臓器移植を望まない事が家族を愛していない
という事にはならないと思う。愛しているからこそ、愛した人の体全てを生まれたまま
慈しむのが本当の愛だと思ってる。他人の体を頂戴しようとは思わない。それはエゴだ」
「それで私が数ヶ月の後に死んでも?」
「そうだな。それがお前の持って生まれた体の天命だったんだと思う」
世間では「臓器提供は当たり前」の風潮?なんだろうけど、我が家は思いっきり逆行(苦笑)