「ブレードランナー 2049」
映画の日だから奮発してIMAX 3Dで鑑賞したったでー♪わーい♪
という訳で、前作から30年後の世界を描いた本作。リドリー・スコットは多分エイリアンに掛かりきりで面倒臭くなったのか(コラコラ)
制作総指揮という名誉職に収まって、代わりにメガホンを受け取ったのは俊英ドゥニ・ビルヌーブ監督。この方のセンス個人的に好きです♪
前作は劇場公開時には観なかったものの後にレンタルビデオで観たんですよね。
んで「うわー凄い世界観!コレは劇場のスクリーンで観ればよかったーしまったなー」と思ったのはよーく覚えてる。
だけど元々ブレードランナーってそんなに興行的にはヒットしなくて、それなのにやたら「カルトSF」とか言われて伝説化されてますよね。不思議だ…
あらすじ…
タイレル社から権利を引き継ぎ新型レプリカント(人造人間)を製造しているウォレス社は、レプリカント大量生産への方法論として新たな「機能」を模索していた。
新型レプリカントは自我の暴走が起こらないように徹底的に管理・指導されている。ロス警察に勤めるレプリカントの「K(ライアン・ゴズリング)」もまた然り。
Kの任務は危険分子である旧型レプリカント(ネクサス8)を見つけ出し抹殺する「ブレードランナー」。ところがある日旧型レプリカントを消去したKはある物を見つける。
それがレプリカントと人類の未来を変えるかもしれない極めて重要な発見だった事でKは動揺しつつも捜査を進めて行く内に、30年前にある女性レプリカントと共に
姿を消したかつてのブレードランナー「デッカード(ハリソン・フォード)」の存在に行き着くのだった。
レビュー書き難いわね。内容に触れようと思うと思いっきりネタバレになっちゃうしな。
まあ元々自分ネタバレしまくってるから今更頑なに隠すのもどーかと思うものの、やっぱり重要な部分はあんまり露骨に書きたくないしなー^^;
ま、核心に触れない程度にコツコツネタバレしちゃうか…(ナニコレw)
レプリカントは人間並みに感情や情緒を持ち合わせているのでパッと見て人間と区別が付かない訳ですよ。
だからだろうけど「人間至上主義」みたいな差別意識が人間側に生まれて、レプリカントの事を「人モドキ(スキンジョブ)」と呼んで無意味に蔑視してる訳です。
でも普段から徹底的に人間に感情を管理されて抑えつけられている新型レプリカントにとって「自分だけは他のレプリカントとは違うスペシャル感」
というのをどうしても求めたくなるんですよね。
無個性を要求され続けると誰だって「砂漠の砂の1粒」じゃなくて「砂漠の中にあるたった一粒の砂金」になりたいと思うでしょ。
Kにとってのスペシャルとは「魂」があるか・ないか。
そしてKにとって魂の有無は「親の体から生まれるか・生まれないか」、正に生命の神秘が魂の根源だと考えている訳ですね。
これこそ人間とレプリカントを隔てる大きな壁というか差だった訳です。それで本作は話がややこしくなる訳でしてね(滝汗)
そもそもさー、そういえば前作の「デッカードは結局人間だったのか?それとも実はレプリカントだったのか?問題」はどーなったんだっけ?
映画では結論まで出さずにふんわり終わってた記憶なんだけど、後にリドリー・スコットがディレクターズカット版だか完全版だか忘れたけど何かで
デッカードも実はレプリカントだったんですよー的な示唆をしたとかしないとか話が出てませんでしたっけ?ちょっとそんな記憶があるんですが^^;
という訳で本作なんですが、とりあえず本作に限って言えばデッカードもレプリカントだった、というネタは棚上げになっている感じ。
いやむしろ人間だった体なのかな?どちらかと言うと「ごめんやっぱ人間だったわ」って事でいいんでしょうかね?w
話はすっ飛びますが、本作は「近未来のカリフォルニアやロスの街並み、そして何故か産廃処理場扱いにされたサンディエゴ」の映像にも注目が集まる所です。
個人的に…押井守氏の「甲殻機動隊」「イノセンス」的近未来観の一番最初の出ドコロって絶対にブレードランナーだったと思うんですよね。
常に雨が降ってて薄暗くてなんちゃってアジアみたいな悪趣味なネオンがギラギラしていて、空を見上げると上の方にアッパー層の超高層ビルがそびえてて
スピナーが空飛んでるのね…あの世界観を本作は21世紀の最新技術でもっとエグい感じに進化させたって感じ。カッコいいわービルヌーブ監督やっぱセンスいいわ~
個人的に気になったのは、本作の対決相手にもう一つ魅力を感じなかった事か。
クライマックスでKとバトる「ラヴちゃん」がもう少しインパクトのあるキャラだったらなー…ちょっとパワー足りないですよ。
あと、コレは結構な人がジリジリしたんじゃないかと思うけど、「ハリソン・フォードまだ出ないのー!?」問題(苦笑)
もっとガッツリ序盤から絡んで来るんだとばっかり思ってたんだけどいつまで経ってもハリソンおぢ出て来ない…出て来ない…出て来ない…orz
まーでもこの人の存在感てちょっと独特ですよね。きっと撮影現場の空気も相当ピリピリした事でしょうよ^^;
まー何と言っても本作はKを演じたライアン・ゴズリングの演技が本当に素晴らしかったですわ。
彼に関しては「ラ・ラ・ランド」観てちょっと感動しちゃってね…そこから割とお気に入り俳優さんに昇格してるんですが、本作観て益々LOVE度UP↑↑↑
「K」というレプリカントとしての感情を爆発させない「無」でありながら、それでも痛い程「自分は特別な存在だったのではないか」という期待と不安と渇望する
様子をよくもあそこまで押さえた表情の演技で表現出来るモノだと。タネ明かしのシーンで愕然とするKの表情を見てコッチも茫然自失でしたよ^^;
あと本作ではどうやら「次回作」へ繋げる伏線もいくつか提示されていたようです。
コレに関しては本作の興行収入だったり監督さんや制作陣の思惑だったり色んなパワーバランスが働くんだろうと思いますが…
レプリカントと人間の垣根がどんどん下がっている本作、「人間とは?」「アイデンティティーとは?」という根源的なテーマを「K」というレプリカントの
存在によって浮き彫りにさせるという…なかなか哲学的な作品だったと思います。
ラスト、Kが身体を階段に任せて仰向けになって空を見上げ…その後最後の最後にハリソンおぢのあの表情で…鳥肌が立ちましたよ!
本来一般ウケしないタイプの作品だとは思うんですが(何しろ前作は【カルトSF】扱いですしね!)今後の事も考えて(←え?)是非劇場の大スクリーンで観て欲しいですネ!
映画の日だから奮発してIMAX 3Dで鑑賞したったでー♪わーい♪
という訳で、前作から30年後の世界を描いた本作。リドリー・スコットは多分エイリアンに掛かりきりで面倒臭くなったのか(コラコラ)
制作総指揮という名誉職に収まって、代わりにメガホンを受け取ったのは俊英ドゥニ・ビルヌーブ監督。この方のセンス個人的に好きです♪
前作は劇場公開時には観なかったものの後にレンタルビデオで観たんですよね。
んで「うわー凄い世界観!コレは劇場のスクリーンで観ればよかったーしまったなー」と思ったのはよーく覚えてる。
だけど元々ブレードランナーってそんなに興行的にはヒットしなくて、それなのにやたら「カルトSF」とか言われて伝説化されてますよね。不思議だ…
あらすじ…
タイレル社から権利を引き継ぎ新型レプリカント(人造人間)を製造しているウォレス社は、レプリカント大量生産への方法論として新たな「機能」を模索していた。
新型レプリカントは自我の暴走が起こらないように徹底的に管理・指導されている。ロス警察に勤めるレプリカントの「K(ライアン・ゴズリング)」もまた然り。
Kの任務は危険分子である旧型レプリカント(ネクサス8)を見つけ出し抹殺する「ブレードランナー」。ところがある日旧型レプリカントを消去したKはある物を見つける。
それがレプリカントと人類の未来を変えるかもしれない極めて重要な発見だった事でKは動揺しつつも捜査を進めて行く内に、30年前にある女性レプリカントと共に
姿を消したかつてのブレードランナー「デッカード(ハリソン・フォード)」の存在に行き着くのだった。
レビュー書き難いわね。内容に触れようと思うと思いっきりネタバレになっちゃうしな。
まあ元々自分ネタバレしまくってるから今更頑なに隠すのもどーかと思うものの、やっぱり重要な部分はあんまり露骨に書きたくないしなー^^;
ま、核心に触れない程度にコツコツネタバレしちゃうか…(ナニコレw)
レプリカントは人間並みに感情や情緒を持ち合わせているのでパッと見て人間と区別が付かない訳ですよ。
だからだろうけど「人間至上主義」みたいな差別意識が人間側に生まれて、レプリカントの事を「人モドキ(スキンジョブ)」と呼んで無意味に蔑視してる訳です。
でも普段から徹底的に人間に感情を管理されて抑えつけられている新型レプリカントにとって「自分だけは他のレプリカントとは違うスペシャル感」
というのをどうしても求めたくなるんですよね。
無個性を要求され続けると誰だって「砂漠の砂の1粒」じゃなくて「砂漠の中にあるたった一粒の砂金」になりたいと思うでしょ。
Kにとってのスペシャルとは「魂」があるか・ないか。
そしてKにとって魂の有無は「親の体から生まれるか・生まれないか」、正に生命の神秘が魂の根源だと考えている訳ですね。
これこそ人間とレプリカントを隔てる大きな壁というか差だった訳です。それで本作は話がややこしくなる訳でしてね(滝汗)
そもそもさー、そういえば前作の「デッカードは結局人間だったのか?それとも実はレプリカントだったのか?問題」はどーなったんだっけ?
映画では結論まで出さずにふんわり終わってた記憶なんだけど、後にリドリー・スコットがディレクターズカット版だか完全版だか忘れたけど何かで
デッカードも実はレプリカントだったんですよー的な示唆をしたとかしないとか話が出てませんでしたっけ?ちょっとそんな記憶があるんですが^^;
という訳で本作なんですが、とりあえず本作に限って言えばデッカードもレプリカントだった、というネタは棚上げになっている感じ。
いやむしろ人間だった体なのかな?どちらかと言うと「ごめんやっぱ人間だったわ」って事でいいんでしょうかね?w
話はすっ飛びますが、本作は「近未来のカリフォルニアやロスの街並み、そして何故か産廃処理場扱いにされたサンディエゴ」の映像にも注目が集まる所です。
個人的に…押井守氏の「甲殻機動隊」「イノセンス」的近未来観の一番最初の出ドコロって絶対にブレードランナーだったと思うんですよね。
常に雨が降ってて薄暗くてなんちゃってアジアみたいな悪趣味なネオンがギラギラしていて、空を見上げると上の方にアッパー層の超高層ビルがそびえてて
スピナーが空飛んでるのね…あの世界観を本作は21世紀の最新技術でもっとエグい感じに進化させたって感じ。カッコいいわービルヌーブ監督やっぱセンスいいわ~
個人的に気になったのは、本作の対決相手にもう一つ魅力を感じなかった事か。
クライマックスでKとバトる「ラヴちゃん」がもう少しインパクトのあるキャラだったらなー…ちょっとパワー足りないですよ。
あと、コレは結構な人がジリジリしたんじゃないかと思うけど、「ハリソン・フォードまだ出ないのー!?」問題(苦笑)
もっとガッツリ序盤から絡んで来るんだとばっかり思ってたんだけどいつまで経ってもハリソンおぢ出て来ない…出て来ない…出て来ない…orz
まーでもこの人の存在感てちょっと独特ですよね。きっと撮影現場の空気も相当ピリピリした事でしょうよ^^;
まー何と言っても本作はKを演じたライアン・ゴズリングの演技が本当に素晴らしかったですわ。
彼に関しては「ラ・ラ・ランド」観てちょっと感動しちゃってね…そこから割とお気に入り俳優さんに昇格してるんですが、本作観て益々LOVE度UP↑↑↑
「K」というレプリカントとしての感情を爆発させない「無」でありながら、それでも痛い程「自分は特別な存在だったのではないか」という期待と不安と渇望する
様子をよくもあそこまで押さえた表情の演技で表現出来るモノだと。タネ明かしのシーンで愕然とするKの表情を見てコッチも茫然自失でしたよ^^;
あと本作ではどうやら「次回作」へ繋げる伏線もいくつか提示されていたようです。
コレに関しては本作の興行収入だったり監督さんや制作陣の思惑だったり色んなパワーバランスが働くんだろうと思いますが…
レプリカントと人間の垣根がどんどん下がっている本作、「人間とは?」「アイデンティティーとは?」という根源的なテーマを「K」というレプリカントの
存在によって浮き彫りにさせるという…なかなか哲学的な作品だったと思います。
ラスト、Kが身体を階段に任せて仰向けになって空を見上げ…その後最後の最後にハリソンおぢのあの表情で…鳥肌が立ちましたよ!
本来一般ウケしないタイプの作品だとは思うんですが(何しろ前作は【カルトSF】扱いですしね!)今後の事も考えて(←え?)是非劇場の大スクリーンで観て欲しいですネ!
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