わたしと同世代の人なら、同じ記憶を持っている人はたくさんいると思う。もっとも、小学校時代の国語の教科書が光村だった人限定かなあ。
言語学者として高名な(そして金田一耕助の名の由来となった)金田一京助のエピソード。
樺太アイヌの言語を研究する若き金田一は、なかなか彼らが打ち解けてくれないために苦労していた。子どもたちをスケッチしていると、ひとりがやってきて好奇心をむき出しにする。そこで顔の絵を指さし「目」「鼻」などの名が判明する。
そして金田一はそのノートに意味不明なグルグルの線を書くと、いつのまにかやってきた子どもたちが
「ヘマタ」「ヘマタ」
と言い始める。「何?」という意味のアイヌ語だったのだ。以降、金田一は「ヘマタ」という一語で樺太アイヌの言語を収集していく……
どうしてこのような話をしているかと言うと、出てくるんですこの直木賞受賞作に金田一京助のヘマタが。めちゃめちゃにうれしかったなあ。
さて、この長大な物語は、和人からのいわれなき差別に憤る樺太アイヌと、圧政下のロシアで樺太に投獄されたポーランド人が、怒りに似た行動原理によって目的に(迷いながらも)まい進する姿が描かれている。
このふたりだけでなく、登場人物たちがそれぞれ陰影深く描かれ、彼らもまたその
行動原理=熱源
によって歴史をつむいでいく。経済的に困窮しながらも、ひたすら学究に打ち込む金田一京助にしたって同じ熱をもっていたのだ。
日露戦争前夜から数十年におよぶ歴史小説。“誰のものでもなかったはず”の樺太が、維新や帝政などによって翻弄されていく。
南極探検隊の白瀬中尉も登場し、あの冒険に犬係としてアイヌが同行していたことも初めて知る(後援会長が大隈重信だったことも)。
ラスト、女性ふたりに彼らの熱が受け継がれていくことが暗示され、感動。石森延男の「コタンの口笛」に何事かを感じた人はぜひ。北海道人である妻に
「アイヌの人たちのことはどう感じてたんだ?」
「いたわ。確かに。でもあの人たちはそのことを言わないの」
考えさせる1冊。熱い1冊。
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