第15回「おごれる者たち」はこちら。
ひき続き、三兄弟のお話。ブーフーウーで言えば、どうしたって次男のフーの影が薄い。だけれども、
「汚れ仕事はおれがやる」
と道兼が久しぶりにやる気を見せる。悪徳の人に見せて、ウー(道長)への感謝を見せるあたりの仕掛けは、ドラマというものを知り抜いた脚本家だからできたこと。
そして、コロナの話でもある。京に疫病が蔓延する。為政者がどう対応するか、このあたりの描写もうまい。
権力の頂点にいる道隆(井浦新)は、民の苦しみを知ろうともしない。疫病は高貴な者にはかからないとすら放言する。
道長(柄本佑)は民を救おうとして、まひろ(吉高由里子)と再会し……
さて、新型コロナウィルスに翻弄されたわたしたちにとって、長男にはまもなく報いがあるという話はわかりやすいが、どうもそう単純ではない。
医療従事者(ではないが)の代表として紫式部が罹患し、道長は彼女の看護に血道を上げる。それはいい。
ただ、疫病への対処として、なにが正解だったかはわたしたちは今でも見つけられずにいる。道長がまひろの家族すら近づけないあたりの判断はこのご時世に当然のこと。そこを大河ドラマの中心にもってきたのはアクロバットに近い。感染者に同情して接触したまひろこそが、これまでのドラマのキャラクターに似合っていたのだし。
日本の人口の3割までもが感染した新型コロナウィルスについて、後年にどう語られるか。どうしてわたしは感染しなかったのだろう。高貴だから?絶対違う(笑)。誰しもが感染する可能性があり、誰しもが死ぬ可能性があるということを前提に考えられるのが、いい政治家であり、いい市民だという結論でしょうか。
第17回「うつろい」はこちら。
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