先日「老骨住職」様からお届けいただいた一語一縁の中に「我」という言葉がありました。
仏教で「我」は、
「我執」(自分中心の物の見方・自分の思い に執着すること)
「我慢」(世間一般の使い方・辛抱するという意味と違い、仏教では、我が慢心すること、つまり、おごり高ぶる 意味)
など、
「固定的な執着を表すことばとして、使われる」
「我にとらわれることによって、苦しみの世界を作り出している」
と、書かれています。
*( )内は、私が書き加えたことです。
仏教が、自分の意見をしっかり持つことをダメだと否定しているのではありません。
ただ、人間世界、何か正解なのかわかりません。
「自分の考えこそ、正しい」と「我」に執着することの 危うさを いつも自覚したいと思います。
仏教で「我」は、
「我執」(自分中心の物の見方・自分の思い に執着すること)
「我慢」(世間一般の使い方・辛抱するという意味と違い、仏教では、我が慢心すること、つまり、おごり高ぶる 意味)
など、

「我にとらわれることによって、苦しみの世界を作り出している」

と、書かれています。
*( )内は、私が書き加えたことです。
仏教が、自分の意見をしっかり持つことをダメだと否定しているのではありません。
ただ、人間世界、何か正解なのかわかりません。
「自分の考えこそ、正しい」と「我」に執着することの 危うさを いつも自覚したいと思います。