お寺のオバサンのひとりごと

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東名遺跡

2015年05月08日 | 佐賀ネタ
  

東名(ひがしみょう)遺跡とは、佐賀市金立(きんりゅう)で発見された8000~7000年前・縄文時代早期、日本最古の湿地性貝塚です。
 佐賀市平野部は、低い土地ですので、私が佐賀に嫁に来た当初、大雨による浸水がたびたびでした。
そこで、国土交通省による巨勢川調整池建設工事が行われ、その工事の折、平成5年頃、発見されたものです。

 新聞で知って、ずっと気になっていた遺跡で、行ったことがある総代さんに場所(行き方)を聞いて、やっと行ってきました。(佐賀市警察署の交差点を金立方面北上し、平尾東交差点を東へ600Mくらい入ったポンプ場の隣に展示の建物がありました。案内板がないので、入り口が分りづらいです)

 展示室の建物は国交省が建てた建物だそうで、そんなに広い展示室ではありませんが、きれいに展示されており、地元のボランティアと思しき紳士が、ていねいに説明してくださいました。

  

 粘土層で覆われていたため、貝層もキレイに残っている(写真 ↑)だけでなく、貝や鹿の角、イノシシの牙などで作成されたアクセサリー(幾何学模様が彫り込まれている)が、そのまま発見されています。
 また、驚いたのは、ドングリなどを入れていた網かご 網かごの編み方は、現在も使われている編み方です

 アクセサリーといい、網かごの作り方といい、縄文時代の先祖さん方も器用でいらっしゃったのですね

 動物や人骨も発見されたそうで、人骨は、発見時のまま、複製が展示されています。

 野山を駆けまわっておられたのですから、さすがに、足の骨が太く、たくましい

 当時は、陸では、ニホンジカとイノシシが、海のものでは、スズキ、ボラ、クロダイ、スッポンなど食料源だったそうです。
当時は、現在の背振山系にも、カモシカ、ツキノワグマなどいたらしく、骨が出土しているそうです。

 日本の縄文時代の歴史を書き換えるほどの大発見

 でも、この「東名遺跡」は、全国はおろか、佐賀市民にもあまり知られていません。
現に、目の前のグランドでサッカーの練習に付き添っていた若いママに

 「すみません、東名遺跡の展示建物は、こちらでしょうか
と、たずねる私に
 「は?・・・、わかりません」
との返答でした・・・ 

 
コメント
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