平安神宮の西隣に建つ旧武徳殿は、
平安遷都1100年を記念し武術の振興を図る目的で
設立された大日本武徳会によって、
明治32年に建設された武道場です。
観光客で賑わう平安神宮の喧騒をよそに、その建物周辺には
人通りも少なく静かにひっそりたたずんでいます。
現在は向かいに建つ京都市武道センターの併用施設として、
合気道・剣道・長刀・柔道等の武道道場として
用いられています。
武徳殿は、伝統的な形式に則りながら変化に富んだ外観を持つ点や、
演武場と観覧席からなる簡素な空間構成、四方に大きな開き扉
を設置し外の明りを広く取り入れる工夫が凝らしてあるのが特徴です。
我が国の武術の振興とその近代化に大きく貢献した
近代的武道施設を代表するものとして貴重な武道場なのです。
重要文化財に指定されている旧武徳殿は建物保存という見地から
一時期、一般に使用されることを控えられておりましたが、
近年また演武会や大会に使用されるようになったようです。
空手という武道をたしなむはっちんにとっても
この建物は特別な思い入れがある、まさに聖地なのです。
明治の時代、武士の技術と精神を継承する為、時の政府の肝いりで
京都に大日本武徳会が組織されました。
武徳殿はその本部道場でした。また隣には、武徳会が
後進の育成を目的に創立した「武道専門学校」があり
学生達の練習場でもありました。
武道専門学校は京都では略して武専と呼ばれ、剣道、柔道の
選りすぐりの猛者たちが日本中から集められたまさに武道の
エリート学校です。
そのバンカラさは当時の京の町衆達の目を引く存在だったようです。
武専は漫画「龍(ロン)」で主人公の龍が剣道の修行をした
ことでご存知の方もおられると思います。
厳しい世情を背景に武道を極めんと志した先人達の
血と汗と涙が染み付いた建物がこの武徳殿なのです。
はっちんが初めてこの武徳殿の門をくぐったのは今から10年前、
ある空手組織の来賓として招かれ時でした。
当時では武徳殿を使用することが珍しいこともあり
その時の記憶は決して忘れることはないくらい衝撃的でした。
武道に青春を燃やした先人達の熱情と鼓動が武徳殿の柱一本一本から
伝わってくる様な気がして背筋に張り詰めたものを感じずにはいられません。
今は武徳殿を使った空手の大会も珍しくなくなってきています。
はっちんは現役時代に一度もこの武徳殿で
戦うことができませんでした。
悔いは確かに残ってますが、その思いはわが道場の弟子達が
引き継いでくれることだと楽しみにしています。
*写真は武徳殿正面です。資料によると設計は京都府技師だった松室重光。
その後大正2年に同技師亀岡末吉の設計により、北側上段に玉座が設置し
皇族用に車寄を増築しました。観覧席も二段から三段に改造しています。
和風の外観ですが,洋式トラスを用いた構造です。
中央部分を武道場に,周囲のもこし部分をお座敷型の観覧席に当てています。
平安遷都1100年を記念し武術の振興を図る目的で
設立された大日本武徳会によって、
明治32年に建設された武道場です。
観光客で賑わう平安神宮の喧騒をよそに、その建物周辺には
人通りも少なく静かにひっそりたたずんでいます。
現在は向かいに建つ京都市武道センターの併用施設として、
合気道・剣道・長刀・柔道等の武道道場として
用いられています。
武徳殿は、伝統的な形式に則りながら変化に富んだ外観を持つ点や、
演武場と観覧席からなる簡素な空間構成、四方に大きな開き扉
を設置し外の明りを広く取り入れる工夫が凝らしてあるのが特徴です。
我が国の武術の振興とその近代化に大きく貢献した
近代的武道施設を代表するものとして貴重な武道場なのです。
重要文化財に指定されている旧武徳殿は建物保存という見地から
一時期、一般に使用されることを控えられておりましたが、
近年また演武会や大会に使用されるようになったようです。
空手という武道をたしなむはっちんにとっても
この建物は特別な思い入れがある、まさに聖地なのです。
明治の時代、武士の技術と精神を継承する為、時の政府の肝いりで
京都に大日本武徳会が組織されました。
武徳殿はその本部道場でした。また隣には、武徳会が
後進の育成を目的に創立した「武道専門学校」があり
学生達の練習場でもありました。
武道専門学校は京都では略して武専と呼ばれ、剣道、柔道の
選りすぐりの猛者たちが日本中から集められたまさに武道の
エリート学校です。
そのバンカラさは当時の京の町衆達の目を引く存在だったようです。
武専は漫画「龍(ロン)」で主人公の龍が剣道の修行をした
ことでご存知の方もおられると思います。
厳しい世情を背景に武道を極めんと志した先人達の
血と汗と涙が染み付いた建物がこの武徳殿なのです。
はっちんが初めてこの武徳殿の門をくぐったのは今から10年前、
ある空手組織の来賓として招かれ時でした。
当時では武徳殿を使用することが珍しいこともあり
その時の記憶は決して忘れることはないくらい衝撃的でした。
武道に青春を燃やした先人達の熱情と鼓動が武徳殿の柱一本一本から
伝わってくる様な気がして背筋に張り詰めたものを感じずにはいられません。
今は武徳殿を使った空手の大会も珍しくなくなってきています。
はっちんは現役時代に一度もこの武徳殿で
戦うことができませんでした。
悔いは確かに残ってますが、その思いはわが道場の弟子達が
引き継いでくれることだと楽しみにしています。
*写真は武徳殿正面です。資料によると設計は京都府技師だった松室重光。
その後大正2年に同技師亀岡末吉の設計により、北側上段に玉座が設置し
皇族用に車寄を増築しました。観覧席も二段から三段に改造しています。
和風の外観ですが,洋式トラスを用いた構造です。
中央部分を武道場に,周囲のもこし部分をお座敷型の観覧席に当てています。