保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

保津川は来年で400年!

2005-02-15 17:37:05 | 京都情報
私達の仕事、保津川下りは来年で創業400年を迎えます。

その歴史は慶長11年(1606)に嵯峨にすんでいた
豪商・角倉了以によって開運され、京都に丹波地域の
物資を運ぶ運搬船として始められました。


明治時代の末期、西洋近代技術の発達に伴い京都と丹波間に
鉄道網が開通、大正にはいるとトラック会社が設立されるなどで
運搬は陸送が主流となり船運は衰退し、現在の観光船に
移行してきたのです。

古い文献によれば運搬船の時代から大名や京の旦那衆が
船と船頭を雇い、保津川渓谷の川下りを楽しんだ記録が
残っています。また明治末期ごろからは夏目漱石などの文化人や
英国をはじめとするヨーロッパの皇室の方々に贔屓され、
観光船としての地位を築く基になったようです。

第二次大戦中は国中が観光どころではなく、遊船の
乗船客は減少の一途をたどり、また船頭衆の徴兵も加わり
ついに閉鎖という事態に陥ったこともありました。

戦後は日本の高度成長に伴い、一般国民の
観光への感心が高まり遊船事業も再開されましたが、
船頭達にはまだ力がなく、事業の権利は京都の交通会社が
取得する事になり、代々川を守ってきた船頭達には不信感
残りました。
その後、会社と船頭達との間もしっくりいかず
船頭達で組織する組合「保津川遊船労働組合」が結成されことで
対立は表面化し、会社側は船頭になんの相談もなく大手鉄道会社
に船頭ごと経営権を売却したのでした。
大手鉄道会社は経営合理化を推し進め、組合の廃止案など
船頭達にとっては厳しい労働条件が求められました。

この間、4年間。会社側に押さえこまれていた船頭も
ストという強行手段で対抗したものの、一切の要求は排除され、
会社側は営業停止通知とロックアウトを宣言し、全船を倉庫に
収納し閉鎖するという手段で対抗しました。

まる一年の休業を余儀なくされた川下り。時に英国の
エリザベス女王が保津川の訪問を強く要望されましたが、
受入れが取れなかったという日本の恥をさらしたことで
会社側は社屋や造船所を売却、事実上の撤退となったのでした。

その後、船頭達は生活と先祖代々の船事業を守る為、
自己負担で20隻の船を新造して、春の観光シーズンと供に
自主運行に踏み切ったのです。
これが昭和44年(1969)のことで「涙の自主運行」と
いわれ、今の「保津川遊船企業組合」の誕生だったのです。


その保津川下りが来年で400年の節目を迎えます。

今では年間30~40万人の観光客に来て頂いている
保津川下りも、そのほとんどの歴史が船頭の涙と
汗で受け継がれてきたものばかりです。

平和な時代に安定して隆盛を極める保津川に
勤める私達若い船頭ができることは、この400年の
節目を盛大に祝う事だと思うのです。

どの様なイベントを企画するかは、今のところ
まったく白紙ですが、船頭皆が協力して是非、
やり遂げたいです。

このブログをご覧の皆様も何かいい案が御座いましたら
是非、気軽にお寄せ下さい。参考にさせて頂きたいです。

はっちんとしては、北島三郎さんに記念の歌を
つくってもらい、年末の紅白に歌って欲しいと
勝手に願ってますが、実現は難しいですね。

*写真は保津川の記念写真です。前で棹をさしているのが
 私です。これ何年前かな?~