ここから山手線に乗り、鶯谷へと向かう。初めての駅だが、特に何かをしに行ったわけではなく、東京国立博物館あたりであれば上野から行くより近いという話を最近知ったからである。
鶯谷から南下するが、日陰が少なく暑い。そして、確かに東京国立博物館の北門、東門を見つけるも、そこから入ることはできず、正門に到着。上野から来るのとどちらが良いかは微妙であった。
今回はまず東京芸大美術館「いま、被災地から」へ。
萬鐵五郎「赤い目の自画像」:これがあったのか! 絶対神経がやられているとしか見えない自画像。
萬鐵五郎「土沢風景」:緑色テラテラのフォービズム。
関根正二「姉弟」:めったに見られない作品。
関根正二「神の祈り」:白い服を着た二人の巡礼。「信仰の悲しみ」を思わせる。
萬鐵五郎「地震の印象」:人が吹っ飛び、大地が揺れ踊る印象。
松本竣介「画家の像」:決意を持って前を見る画家の図。背景のやけに細かい街は子供の頃の思い出だろうか。
若松光一郎「ズリ山風景」:雪と山の鋭いエッジが気持ちいい。
白石隆一「三陸の魚」:鱈、金目、鰈などが枝につるしてある。北海道の人間もシンパシーがわく。
本田健「山あるき-九月」:川の水が泡立つ巨大画。自分が小動物になったかのようである。
斎藤清「会津の冬(26)」:ピンクや青の服が干してある。冬の会津にもほんのりと色彩がある。
佐藤玄々「冬眠」「青鳩」:小ぢんまりした一見普通の彫刻。いや、何かが違う。
青野文昭「ここにいないものたちのための群像-何処から来て何処へ行くのか-サイノカワラ・2016」:物が壊れ、溶け、そして交じり合ったかのような彫刻。
柳原義達「岩頭の女」:まだ震災による傷跡がいえていない彫刻。
畠山孝一「東風」:壮大な岸壁。緑も無く角ばった岸壁は、どこか滅びの予感がする。
高橋英吉「黒潮閑日(海の三部作1)」:あぐらの男の頭を押さえる男。マッサージなのか?
高橋英吉「潮音(海の三部作2)」:四天王像のような姿。
高橋英吉「漁夫像(海の三部作3)」:マッスルな感じの漁師。三部作の違いが面白い。
東北の美術品をレスキューしている写真が展示されていたが、防護服を着て、見つけた作品も線量チェックを行い、大変なのである。
続いて「バーミヤン大仏天井壁画」。こちらは仏座像、仏陀像頭部の展示に、天井画が再現されていた。
「黒田記念館」の常設展をちらりと拝見。
続いて、東京都美術館に移動し「ポンピドゥー・センター傑作展」へ。
マルセル・デュシャン「自転車の車輪」:「泉」はあざといが、これは用の美という気がする。
ピエール・アルベール=ビロ「戦争」:鋭い三角形を張り合わせた大地のパッチワーク。緑の煙が立ち上っている。
マルク・シャガール「ワイングラスを掲げる二人の肖像」:シャガールにしては見たことの無いようなシャープな作品。これはいい。
ロベール・ドローネー「エッフェル塔」:カラフルで未来的な作品。
セラフィーヌ・ルイ「楽園の樹」:樹木のようでもあるが、羽根がのようでもあり、とにかく執拗な感じ。
カミーユ・ボンボワ「旅芸人のアスリート」:力自慢の男と、周りの無表情の対比。
ピエール・ボナール「浴槽の裸婦」:現代風俗画につながるような新しい描写。
オットー・フロイントリッヒ「私の空は赤」:抽象だけれども、物質感がすごい。
アレクサンダー・カルダー「4枚の葉と3枚の花びら」:モビールなんて子供のおもちゃという人は、これを見て反省するがいい。
フルリ=ジョゼフ・クレパン「寺院」:上に昇る魂の目が、マンガのように変。
アルマン「ホーム・スウィート・ホーム」:ガスマスクが沢山入った作品。冷戦時代の作品だろうか。
マルシャル・レイス「フレンチ・スタイルの絵画II」:遠くから見ると女性の目の赤が効いている。
ジャン・オリヴェエ・ユクリュー「墓地6番」:スーパーリアリズムの好きな私だが、これまで見た中でもっとも写真にしか見えない作品。通り過ぎるかなりの人が写真だと思ってただ通り過ぎたのではあるまいか。画像投影機を使い、表面を研磨剤で磨いたらしいが、それにしてもすごいものである。
この展覧会では、1906年から1977年の作品が1点ずつ展示されているのだが、1945年の作品はなく、ただ「バラ色の人生」が流れていた。
同じく東京都美術館で只だったので「二元展」というのを見た。感想はというと、世の中には画のうまい人が沢山いるねー、という感じだ。
今日の美術館巡りはこのくらいにしておこう。