Thank you for the music

好きな音楽のこと、あれこれ。その他諸々もあり。

最後の雨(中西保志)

2006年01月13日 04時01分22秒 | 
 実に92年発売の曲。それが「窈窕淑女」で挿入歌として流れてきた。韓国語で歌っているのは「美しき日々」の曲でおなじみのZero。K-POP ALL STARS IN JAPAN 2005のドゥル組に出ていた(見られなくて残念…)。どんなきっかけでカバーすることになったんだろう? 気になる~。
 この曲がヒットしていた当時は最初に香港に住んでいた時期で、NHK-BSの「Ja-pops Now BS歌謡最前線」という番組をいつも見ていた。赤坂泰彦と女子アナの司会で、ポップスも演歌も、かなりの割合で新人も出て、意外な組み合わせのコラボもありで面白かった。これを見ていれば一応日本のポップスについていけそう、というのもあったし(笑) 中西保志は、なんとマーサ三宅とデュエット。後から思えばすごいもの見ちゃったかも・・・。この番組がなくなってしまったのは残念だった。
 カバーが得意な香港ではもちろんカバーされていて(笑)、最初は呉奇隆(ニッキー・ウー、台湾の3人組アイドル「小虎隊」のメンバー。なぜか香港で映画に出たり広東語曲を出したりしてがんばっていた。金城武と共演多数)が歌った。彼の歌唱力ではちょっと厳しいな~と思っていたら、すぐ後に蘇永康がカバー。10曲中7~8曲カバーが当たり前だった時代に、非常にカバーが少なかった彼が初めて歌った日本の曲になる。元々日本大好きで、新人歌手コンテストでも一部日本語で歌ったくらいだから、もっと日本の曲のカバーを早くから出していてもおかしくなかったのだが。「歌いたい」と思う歌に出会わなければ、日本でヒットしているからと安易にカバーするタイプの歌手ではないということだろう。タイトルは「讓我暖一些」、訳すと「暖めさせて」。TVBでは呉奇隆バージョンのMVばかり流していたが、蘇永康のバージョンもヒットしてきたためか、後から蘇永康のも流していた。
 実は、この曲にはひとつ悲しい思い出(のようなもの)がある。私が香港芸能界で最初にファンになった歌手・俳優の温兆倫(デリック・ワン)が97年に北京語の新曲+精選アルバムを出した。その頃日本にいた私は、新曲を楽しみにいそいそと買いこんでさっそく聴くと、聞き覚えのあるサックスのイントロ。「あら、温兆倫も『最後の雨』をカバーしたのね」と思ったら、なんだかメロディが違う! 歌詞カードをよく見ると、香港の作曲家の名前が出ている。でも、コード進行といい、間奏といい、「最後の雨」そっくりなのだ。。。世の中、コード進行がほとんど同じだけどメロディは違うという曲はよくあるし、メロディが明らかに違うので盗作とは言えない。でも、蘇永康が95年に北京語でもカバーしているのだから、台湾のファンだって「え?!」と思ったんじゃないだろうか。歌手本人はプロデューサーのいうとおりに歌っただけだろうし、本人が悪いわけじゃないとは思う。でも、初恋の人に裏切られたような悲しみは残った (作曲家は確信犯的にやったんだろうか。inspired by ○○とでも書いておいてくれれば、まだ救われたのに。)
 ところで、カバーが縁なのか、Zeroと中西保志がジョイントコンサートをやるそうだ。詳しくはこちら ずっと中西保志の消息を聞かなかったのでどうしているのかと思ってたけど、元気で歌っているようで嬉しい。あらためてプロフィールを見たら、なんと私と同い年だった。
 ふと考えると、蘇永康と中西保志って、共通点はある。眼鏡かけてるし、ルックスで売ってないし(ごめん)、歌唱力あるし Zeroも気になるから、ジョイントコンサート行こうかしら、、、(ってきりがないぞ~>自分)
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「手望(守望版)」(王[艸/宛]之[I Love My Name]収録)

2005年11月17日 02時41分05秒 | 

 CDは今配達待ちなのだが、試聴サイトで聴いてしまった。メロディが美しい「手望」、「手望(守望版)」は張敬軒をフィーチャー。めちゃくちゃきれいなデュエットに仕上がっている(でもカラオケで歌うには相当難しそう)。細い声のイヴァナに張敬軒が力強くからむと、かなりドラマチックになる。
 そもそも、天国の恋人に語りかける歌詞の内容が、よく読むとかなりドラマチック。守望版は天国からその恋人の声がする設定なので、“僕は見てるよ”“いっしょにいられない”“生まれかわった君”“君が強くなれるように祈る”なんてフレーズが、彼女の歌の間に聞こえるのだ。最後のほう、“ひざまずいて祈る/僕たちの来世”なんてかけあいにズキン。“来世は私が先に逝ってもいい”って、そこまで残されたのがつらいのね・・・グスン。
 今年は新曲+精選しか自前のアルバムを出していない張敬軒だが、陳苑淇(ジョリー・チャン)に曲を提供してプロデュースしたり(「時代」)、なかなか面白い活動をしている。香港歌壇の音楽人のひとりとして、その地位を固めつつあるかも。
 すでに美声歌手の評価も高いイヴァナ、CASH流行曲創作大奬を受賞した後も、しっかりボイストレーニングや何かを勉強したんだと思う。その上、これだけ曲も詞も書けたら、将来どこまで行くのか楽しみ(^^)
 頭の中でこの曲がエンドレス状態。早いとこCD届かないかな~~~

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イパネマの娘

2005年05月21日 09時58分36秒 | 
 美しいデュエットを聴いた。
♪Ding dun dun ding dun dun, ding dun dun~♪
  つぶやくようなイントロから、語るように優しくポルトガル語で歌い始める男。英語で甘くゆったりとスイングする女。フレーズごとに交互に、歌い継いでゆく。そしてとけあうユニゾン。最後はつぶやきになって消えてゆく。
 いっしょに聴いていたつれあいが言った。「なんでポルトガル語と英語と混ぜて歌うの?」たしかに混ぜなくたっていいんだけれど、この曲は世に出たときから、ポルトガル語と英語、ブラジルとアメリカ―世界―の二面を持っていたのかもしれない。
 作曲は「ボサノバの父」とも言われるアントニオ・カルロス・ジョビン。オリジナルのポルトガル語版を歌ったのはこれまたボサノバの生みの親のひとり、ジョアン・ジルベルト。そして、世界にボサノバという音楽を知らしめた英語版を歌ったのは、当時ジョアンの妻だったアストラッド・ジルベルト。以下はNHKの番組からの受け売りだが(番組名を忘れました、すみません)、名アルバム「Getz/Gilbert」録音のとき見学に来ていたアストラッドが、自分も歌ってみたいと言ったのが、英語版誕生のきっかけだったという。そのとき、“あとで切ってもいいように”英語版に1トラックを当てたのだそうだ。しかし、アメリカ版シングルを出すときにプロデューサーは、ジョアンのオリジナルのほうを切った。そして、アストラッドの甘ったるく下手な英語のボーカルが、なんともいえない魅力となって大ヒットしてしまったのだ。ジョアン自身もアメリカで数多くのライブをこなし、大好評を得たのだが、じっと耳をすまさなければ聞こえないような静かなボーカルスタイルは、長続きするブームにはならなかった。しかし、ジョアンのボーカルこそが、ボサノバという音楽の本質を伝えているのかもしれない。
 イパネマというのは実在のビーチの名前。そして、作詞のヴィニシウス・ヂ・モライスがビーチを歩く少女を見ていたというカフェも現存するらしい。歌詞に登場する少女は、オリジナルではポルトガル語、英語ともに“she”で語られる。ところが、シナトラか誰かが歌ったときに“you”にしてしまった。そのせいで、女性歌手が歌うとき「イパネマの少年」にすることもあるようだ。しかし、私は、あくまで“she”で歌うのがいいと思う。そのほうが風景としての美しさが際立つような気がする。
 ボサノバ創成期は毎日のように共演したジョアンとジョビンは、ある時期から袂を分かち、共演することはなかった。番組の中で宮沢和史が言った。「ジョアンはその存在そのものがone and onlyだった。対してジョビンは自分の曲がone and onlyになることを望んだのではないか」数多くの名曲を残したジョビンは、ボサノバの父として逝った。ジョアンは今も元気に活躍している。ポルトガル語を学び始めた頃、「イパネマの娘」のポルトガル語版がほしくて、レコード店で一生懸命探したが、見つけられなかった。アストラッド・ジルベルトのコーナーばかり探していたからだ。「ゲッツ・ジルベルト」を探せば一発だったのに、、、当時の私は、“ジルベルト”といえばアストラッドのことだと思い込んでいたのだった^^; なお“ゲッツ”はサックスのStan Getzのこと。
 ジョビンの来日コンサートに、当時の彼氏(今のつれあい)と出かけた。バンドメンバーに奥さんや娘、息子が入っていた(今でも、ボサノバ界には2世アーチストが多い)。日比谷の野外音楽堂、心地よい夏の夜の思い出。 冒頭のデュエットは、宮沢和史とBird。NHK「音楽・夢くらぶ」5月19日放送。録画できなかったのが心残り。この曲のときだけ宮沢が眼鏡をかけたのは、最近のジョアンの雰囲気に似せたかったのかな?
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「越吻越傷心」(蘇永康[不想獨自快樂]収録)

2005年02月17日 03時55分22秒 | 
 この曲を初めて聴いたのは、98年の夏、香港へ一人で旅行に行った時だった。 91年から96年にかけて駐在の夫と香港に住み、もう一度行きたくてうずうずしていた私は、この年香港観光局が企画した、いろいろなアーチストが出るイベントを見るツアーに参加したのだ。イベント以外は自由行動。映画を見たり、買い物したり、ホテルでTVを見たりして楽しんだ。懐かしの香港ローカルTV、翡翠台の歌番組を見ていたら、私の最愛の歌手、蘇永康が出演! この新曲を披露してくれた。聴いた第一印象は、「ちょっと地味な曲かな~」。ジャズっぽくもR&Bっぽくもなく、譜割りが細かくて言葉数が多くて、難しそうで、、、それほど強い印象もなく、「これは売れそう!」という気もしなかった。翌日、イベントを見て大満足(蘇永康は出演してなかったけど)、気持ちよく日本に帰った私は、その後にとんでもない事態が起ころうとは夢にも思っていなかった・・・
 8月末から放送が始まったTVドラマ「妙手仁心」が大ヒット。出演者の一人だった蘇永康も大ブレイク。ドラマ挿入歌も収録されたアルバム「不想獨自快樂」は空前の売れ行き。そして、ドラマでは流れなかったにも関わらず、「越吻越傷心」はラジオ・テレビのヒットチャート全てで1位になるという快挙を成し遂げてしまった。その勢いで、ついに蘇永康は初めての香港コロシアムコンサートを12月に開き、そのチケットは“98年で最も手に入りにくいコンサートチケット”と言われたのだった。(もちろん私は、なんとか実家の母と亭主に子供の世話を頼み込んで、香港へ駆けつけた。当時は子供たちが小さかったので、家を空けるのは一苦労^^;)そして、年度末の音楽賞は総なめ。その年に最もヒットした曲「金曲奨」に選ばれたのだった。
 以来、この曲は蘇永康の“定番”になっている。北京語アルバムにも「我為你傷心」のタイトルで収録された。(コンサートやライブでは歌わずに済ませられないので、さすがに本人は歌い飽きているらしい^^;)作曲は、自身も歌手だった呉國敬。彼とのデュエットバージョンは、香港を代表するジャズギタリスト・包以正(ユージン・パオ)のアコギで聴かせる。アルバム「不想獨自快樂」2ndバージョンには、陳潔儀とのデュエットバージョンと、コーラスグループを従えたSOULバージョンも収録されている。そして、この曲はすでに何人もの歌手がカバーしている。香港では鄭秀文が「香港廣播75年金曲銀禧紀念CD」で歌っている。(このアルバムは、前半は名曲のカバー、後半はオリジナルという構成。張國榮の「無心睡眠」を陳冠希が、陳百強の「深愛著你」を許志安が、林憶蓮の「依然」を陳小春が歌うなど、面白い選曲が見られる。蘇永康も楊千[女華]とデュエット曲をカバーしている。)台湾では実力派女性歌手の李翊君が「我為你傷心」をカバー。そして、西武でピッチャーしてる野球選手の張誌家が、来日前になぜか歌手としてアルバムを出しているのだが、それにも入っているんである。球場へ行って、「サインください」ってCD出したら、張選手はサインしてくれるんだろうか・・・
 最近、香港で飛ぶ鳥を落とす勢いの古巨基が出した新曲+精選にも、メドレー「勁歌金曲」の中に1フレーズ入っている。こういうのに入ると、なんか“経典”(広東語でクラシックの意味)という感じがして、ちょっと嬉しい。本人は歌い飽きたかもしれないが(笑)“経典”となる曲を持つというのは、歌手なら誰でもできるというわけではない。実力と運に恵まれた人だけが手にする宝物じゃないだろうか。蘇永康という歌手の運命を変えた曲、である。
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