いか@ 原理的(=おとぎ話的)にインドを考える。
【冷たい社会と熱い社会】
人類のさまざまな社会を理解するため、レヴィ=ストロースは理念型(おとぎ話風抽象的描写)として「冷たい社会」と「熱い社会」を提示した。冷たい社会とは、たとえて言えばねじ巻き時計のようであり、社会の各パーツは淡々と作動しその作動にはエネルギーはそう要らない。一方、「熱い社会」とは激しいエネルギーに伴って作動し多量の原料と多量のゴミを生み出しつつ爆走する社会である。この「冷たい社会」と「熱い社会」を語る上で「エネルギーの消費量」とは象徴的な要素であり、別にエネルギーの消費量の多寡が重要ではない。
「冷たい社会」には歴史がない。「冷たい社会」は、例えば、農村により構成される。その農村は毎年、毎年同じことの繰り返しである。一方、「冷たい社会」は人間中心主義ではない。「冷たい社会」の人間は富の生産、健康・長生き、つまりは快楽、のため技術を開発し、知識を集めるということをしない。神話、民話、伝統的宗教、因習に盲従して生きている。「冷たい社会」の人間は、神話、民話、伝統的宗教、因習に盲従することにより、結構近代までは、突然やってくる混沌から自分たちを守り、「冷たい社会」を維持することができた。
しかしながら、神話、民話、伝統的宗教、因習を打破し、富の生産、健康・長生き、つまりは快楽、のため技術開発を至上の価値とする近代ヨーロッパの出現により、「冷たい社会」は危機に曝され続けているのである。インド社会が「冷たい社会」であるか?は簡単にいえないが、その程度は高い。そして、「冷たい社会」から「熱い社会」への変化に現在インドがある。
例えば、階級についても「冷たい社会」と「熱い社会」では違う。つまりインドのカースト制度とイギリスの階級制では違うだろう。カーストは冷たい社会が熱くならないための安全装置である。なぜなら人間は本来激しい欲望を持っており快楽主義のための技術開発は性である。その性を抑圧するためにカーストは役立っているのではないか?一方、イギリスの階級制、貴族制は流動性がある。つまり、激しいエネルギーに伴って作動し多量の原料と多量のゴミを生み出しつつ爆走する社会の維持に貢献したものは貴族に叙せられる。もちろん音楽産業を通じて貢献したロック歌手もそうである。そこで、もしインド社会が「冷たい社会」から「熱い社会」へと移行しているのならば、カーストがどうなっていくかが注目される。ちなみに日本の被差別問題は産業化の高度化で解決の度合いが高まったと言っていいだろう。
参考文章:《知への漸進的横滑り》を開始するための準備運動の試み
【冷たい社会と熱い社会】
人類のさまざまな社会を理解するため、レヴィ=ストロースは理念型(おとぎ話風抽象的描写)として「冷たい社会」と「熱い社会」を提示した。冷たい社会とは、たとえて言えばねじ巻き時計のようであり、社会の各パーツは淡々と作動しその作動にはエネルギーはそう要らない。一方、「熱い社会」とは激しいエネルギーに伴って作動し多量の原料と多量のゴミを生み出しつつ爆走する社会である。この「冷たい社会」と「熱い社会」を語る上で「エネルギーの消費量」とは象徴的な要素であり、別にエネルギーの消費量の多寡が重要ではない。
「冷たい社会」には歴史がない。「冷たい社会」は、例えば、農村により構成される。その農村は毎年、毎年同じことの繰り返しである。一方、「冷たい社会」は人間中心主義ではない。「冷たい社会」の人間は富の生産、健康・長生き、つまりは快楽、のため技術を開発し、知識を集めるということをしない。神話、民話、伝統的宗教、因習に盲従して生きている。「冷たい社会」の人間は、神話、民話、伝統的宗教、因習に盲従することにより、結構近代までは、突然やってくる混沌から自分たちを守り、「冷たい社会」を維持することができた。
しかしながら、神話、民話、伝統的宗教、因習を打破し、富の生産、健康・長生き、つまりは快楽、のため技術開発を至上の価値とする近代ヨーロッパの出現により、「冷たい社会」は危機に曝され続けているのである。インド社会が「冷たい社会」であるか?は簡単にいえないが、その程度は高い。そして、「冷たい社会」から「熱い社会」への変化に現在インドがある。
例えば、階級についても「冷たい社会」と「熱い社会」では違う。つまりインドのカースト制度とイギリスの階級制では違うだろう。カーストは冷たい社会が熱くならないための安全装置である。なぜなら人間は本来激しい欲望を持っており快楽主義のための技術開発は性である。その性を抑圧するためにカーストは役立っているのではないか?一方、イギリスの階級制、貴族制は流動性がある。つまり、激しいエネルギーに伴って作動し多量の原料と多量のゴミを生み出しつつ爆走する社会の維持に貢献したものは貴族に叙せられる。もちろん音楽産業を通じて貢献したロック歌手もそうである。そこで、もしインド社会が「冷たい社会」から「熱い社会」へと移行しているのならば、カーストがどうなっていくかが注目される。ちなみに日本の被差別問題は産業化の高度化で解決の度合いが高まったと言っていいだろう。
参考文章:《知への漸進的横滑り》を開始するための準備運動の試み
いか@ インド本を読む。
スーパーに食品を買いに行ったついでに覗いた本屋にあったインド本。『21世紀のインド人』、山田和。この人はこれまで多くのインドに関する本を出している。本の内容はインドの現実を、インドは経済成長していいぞ!という人々に、知らせることである。読んでいて夢がない。事実を根拠にいろいろ書いてあるが、本の主題がインドブームに冷や水を、というものであるから。例えば、インド人の「エリート」・上位カーストは菜食主義者であり、肉を食べないことを誇りにしていて、なんでも食べる人間を侮蔑する、といった話である。ただし、これが一般的であるのか、菜食主義者がなんでも食べる人間を軽蔑しているのか、おいらは知らない。確かにおいらが出稼ぎした職場ではベジとノンベジがいたが、それだけだと思うが。
その他事例を挙げて、インド人の文明的背景が日本の普通の感覚とはいかに相違があるかを説いている。特にインド人の商売人は身分制意識が身に沁みていて、下位と認識すると「奴隷」扱いすることなど。著者の経験とインド在住日本人の経験を基に述べている。ただしその経験は30年前からのもので、とくに在日印僑の話も出てくる。つまり、ここ10年間のインドの経済自由化の主体である経済人との交流の経験をも考慮してあるかは定かではない。
事例として、さらにナイポールの小説を挙げて、仕事分担問題がある。つまり、たとえばタイピングという職務をやらない人は絶対やらない。もしやらない人に強要すると大変になるという話である。このことについては思い当たるふしがある。おいらが出稼ぎした職場では、エンジニアはゴミを床に棄てる。ごみ箱ではなく。それを契約している清掃会社の作業員が掃除する。エンジニアはごみ処理をしない。おいらは、せめて床に棄てるのはやめろ。ごみ箱を設置しろと社長に要求した。もしかして、インドの慣習に合わなかったのかも。ごみ箱が設置されたかは確認せずおいらは去った。
副題は「カーストVS世界経済」である。つまりインドをカーストで象徴化させている。この10年の経済発展とカースト制度がどう関連するか、その機制はわからないが、旧カーストの中上位カーストが主体で新しい中産階級が形成されているのだろう。そして、今後は経済発展がカースト制度の無化にどう影響するか?が問題である。
スーパーに食品を買いに行ったついでに覗いた本屋にあったインド本。『21世紀のインド人』、山田和。この人はこれまで多くのインドに関する本を出している。本の内容はインドの現実を、インドは経済成長していいぞ!という人々に、知らせることである。読んでいて夢がない。事実を根拠にいろいろ書いてあるが、本の主題がインドブームに冷や水を、というものであるから。例えば、インド人の「エリート」・上位カーストは菜食主義者であり、肉を食べないことを誇りにしていて、なんでも食べる人間を侮蔑する、といった話である。ただし、これが一般的であるのか、菜食主義者がなんでも食べる人間を軽蔑しているのか、おいらは知らない。確かにおいらが出稼ぎした職場ではベジとノンベジがいたが、それだけだと思うが。
その他事例を挙げて、インド人の文明的背景が日本の普通の感覚とはいかに相違があるかを説いている。特にインド人の商売人は身分制意識が身に沁みていて、下位と認識すると「奴隷」扱いすることなど。著者の経験とインド在住日本人の経験を基に述べている。ただしその経験は30年前からのもので、とくに在日印僑の話も出てくる。つまり、ここ10年間のインドの経済自由化の主体である経済人との交流の経験をも考慮してあるかは定かではない。
事例として、さらにナイポールの小説を挙げて、仕事分担問題がある。つまり、たとえばタイピングという職務をやらない人は絶対やらない。もしやらない人に強要すると大変になるという話である。このことについては思い当たるふしがある。おいらが出稼ぎした職場では、エンジニアはゴミを床に棄てる。ごみ箱ではなく。それを契約している清掃会社の作業員が掃除する。エンジニアはごみ処理をしない。おいらは、せめて床に棄てるのはやめろ。ごみ箱を設置しろと社長に要求した。もしかして、インドの慣習に合わなかったのかも。ごみ箱が設置されたかは確認せずおいらは去った。
副題は「カーストVS世界経済」である。つまりインドをカーストで象徴化させている。この10年の経済発展とカースト制度がどう関連するか、その機制はわからないが、旧カーストの中上位カーストが主体で新しい中産階級が形成されているのだろう。そして、今後は経済発展がカースト制度の無化にどう影響するか?が問題である。
いか@ インドに行く64才の技術者を思い出した。
【インドに行く64才の技術者】
インド・デリーに行く時、飛行機で隣になった人。60過ぎ。中京地区の自動車部品のメーカーの技術者。営業・経営が仕事らしい人と2人づれ。デリーの工場に技術指導をしに行くとのこと。デリーにはスズキやホンダの工場がある。特にバイクは盛んに生産され、最近は自動車の時代に入ったらしい。この老人、1960年代末から海外渡航の経験あり。当時はヨーロッパに行って、加工機械の買い付けが任務。当時の日本にはろくな旋盤がなかったというのだが、これは本当だろうか?ヨーロッパでは言葉が出来なかったが実地で図面や技術を覚えたと回顧している。さらに、若いのと一生懸命なので向こうの人も警戒やおしみなく技術提供してくれたらしい。当時は羽田空港からの渡航で、大田区・蒲田に泊まり、水杯(みずさかずき)で出発したという。日本の高度成長期に自分の人生が乗った幸せな技術者といえよう。今の若い人には職もないことは想像できないようだ。昔、自分が外国から教えてもらった恩返しであると言っていた。ただこれは少しナイーブではないかと、おいらは思う。
【インドに行く64才の技術者】
インド・デリーに行く時、飛行機で隣になった人。60過ぎ。中京地区の自動車部品のメーカーの技術者。営業・経営が仕事らしい人と2人づれ。デリーの工場に技術指導をしに行くとのこと。デリーにはスズキやホンダの工場がある。特にバイクは盛んに生産され、最近は自動車の時代に入ったらしい。この老人、1960年代末から海外渡航の経験あり。当時はヨーロッパに行って、加工機械の買い付けが任務。当時の日本にはろくな旋盤がなかったというのだが、これは本当だろうか?ヨーロッパでは言葉が出来なかったが実地で図面や技術を覚えたと回顧している。さらに、若いのと一生懸命なので向こうの人も警戒やおしみなく技術提供してくれたらしい。当時は羽田空港からの渡航で、大田区・蒲田に泊まり、水杯(みずさかずき)で出発したという。日本の高度成長期に自分の人生が乗った幸せな技術者といえよう。今の若い人には職もないことは想像できないようだ。昔、自分が外国から教えてもらった恩返しであると言っていた。ただこれは少しナイーブではないかと、おいらは思う。
いか@ ねたが切れて、デジカメ写真集を洗い直し。(~_';)
トゥグルガーバード:デリー南方の遺跡。車でデリー中心街から小一時間。遺跡は巨大な城壁で敷地は広い。14世紀のハルジー朝の皇帝ギヤースッディーン・トゥグルク・シャーが造った城市。この皇帝はトルコ系であり、母親がインド人。
史跡はデリー市街から離れていて交通の便が不便なせいか、観光客はまばら。石の史跡を歩き回れる。なぜか史跡の石屋には牛がたくさんいた。小高いところからはデリー周辺に広がる大平原が見れた。
トゥグルガーバード:デリー南方の遺跡。車でデリー中心街から小一時間。遺跡は巨大な城壁で敷地は広い。14世紀のハルジー朝の皇帝ギヤースッディーン・トゥグルク・シャーが造った城市。この皇帝はトルコ系であり、母親がインド人。
史跡はデリー市街から離れていて交通の便が不便なせいか、観光客はまばら。石の史跡を歩き回れる。なぜか史跡の石屋には牛がたくさんいた。小高いところからはデリー周辺に広がる大平原が見れた。
いか@ 初めてブログ論に踏み入れる。
写真はアグラ駅前の機関車。
毎日のアクセスが安定している。数そのものはどうでもいいのですが、なぜ毎日同程度のアクセス数なのか素朴な疑問。毎日来てくれるリピーターがそんなにいるとは思えない。そもそもどういういきさつでこの いか@ブログ に来るのか想像がつかない。新着リストから来るというのは、おいらは、考えづらい。なぜなら、流れが速いから。リンクやトラバで来るひともいるだろうが、このブログはそう他とつながっていない。
それで、おいらが他人のブログへの訪問を考える。まずブックマークしているブログは10もない。正直毎日見たいブログは、普通のweb siteの日記と違い、そうない。おいらがよくやるのはブログ検索でキーワードを入れて行きたいブログを探す。これだと関心のある記事に出会う。新着リストは毎日使うがおもしろいブログに出会うことはまずない。リンクやトラクバックで行くことももちろんある。がそう多くない。
で、あなたはどうやってここにたどり着きました?
写真はアグラ駅前の機関車。
毎日のアクセスが安定している。数そのものはどうでもいいのですが、なぜ毎日同程度のアクセス数なのか素朴な疑問。毎日来てくれるリピーターがそんなにいるとは思えない。そもそもどういういきさつでこの いか@ブログ に来るのか想像がつかない。新着リストから来るというのは、おいらは、考えづらい。なぜなら、流れが速いから。リンクやトラバで来るひともいるだろうが、このブログはそう他とつながっていない。
それで、おいらが他人のブログへの訪問を考える。まずブックマークしているブログは10もない。正直毎日見たいブログは、普通のweb siteの日記と違い、そうない。おいらがよくやるのはブログ検索でキーワードを入れて行きたいブログを探す。これだと関心のある記事に出会う。新着リストは毎日使うがおもしろいブログに出会うことはまずない。リンクやトラクバックで行くことももちろんある。がそう多くない。
で、あなたはどうやってここにたどり着きました?
いか@ 東京のインド料理屋でマトンカレーを食べる。
先週平日の昼、都内下町のインド料理屋でマトンカレーを食べる。850円。店はファーストフード/持ち帰りもできる店。昼メニューと夜メニューが違う。夜はやや本格的なインド料理も食べられるようだ。都内にチェーン店がたくさんあり、手広くやっているようだ。最初、ラムビリヤーニを注文したがそれは昼はやっていないとのこと。
日本でインド料理屋に行ったのは初めて。食べたマトンカレーはだしが効いていないいかにもインドのカレー。ご飯はもちもちした日本米。黄色いのサフランのつもりかな?そういえばインドではサフランライスを見なかった。
先週平日の昼、都内下町のインド料理屋でマトンカレーを食べる。850円。店はファーストフード/持ち帰りもできる店。昼メニューと夜メニューが違う。夜はやや本格的なインド料理も食べられるようだ。都内にチェーン店がたくさんあり、手広くやっているようだ。最初、ラムビリヤーニを注文したがそれは昼はやっていないとのこと。
日本でインド料理屋に行ったのは初めて。食べたマトンカレーはだしが効いていないいかにもインドのカレー。ご飯はもちもちした日本米。黄色いのサフランのつもりかな?そういえばインドではサフランライスを見なかった。
いか@ デリー、キラー城でのひとこま
デリーのお城・キラー城(Lal Qila)、英語ではRed Ford、での写真。歴史博物館から出て宮殿あとに向かって歩くと、ただならぬ雰囲気の集団がいそいそ・ぞろぞろ向こうからやってきた。なんだろう、なんだろうと興味津津。なにやら中世武装集団にも見える。カメラを向けるとみんなが並んでくれた。ありがとう。リーダーらしきおじさんは半月状の刀を持っている。でもよく見るとおもちゃっぽい感じもする。ターバンを見るとシーク教徒のようにも見えるが、みんな胸には象徴的なたすきがかかっている。
いったい彼らの衣装は何を意味するのでしょうか?コスチュームプレー中なのでしょうか?写真のため並んでくれた彼らが再び歩きだした時、リーダー格のおじさんはお金を要求してきました。こちらも悪い気はしなかったので気持ちよく払いました。いくら払ったかは忘れてしまいました。
デリーのお城・キラー城(Lal Qila)、英語ではRed Ford、での写真。歴史博物館から出て宮殿あとに向かって歩くと、ただならぬ雰囲気の集団がいそいそ・ぞろぞろ向こうからやってきた。なんだろう、なんだろうと興味津津。なにやら中世武装集団にも見える。カメラを向けるとみんなが並んでくれた。ありがとう。リーダーらしきおじさんは半月状の刀を持っている。でもよく見るとおもちゃっぽい感じもする。ターバンを見るとシーク教徒のようにも見えるが、みんな胸には象徴的なたすきがかかっている。
いったい彼らの衣装は何を意味するのでしょうか?コスチュームプレー中なのでしょうか?写真のため並んでくれた彼らが再び歩きだした時、リーダー格のおじさんはお金を要求してきました。こちらも悪い気はしなかったので気持ちよく払いました。いくら払ったかは忘れてしまいました。
いか@ デリーのひとこま。
デリー、街角のくず鉄をつんだリヤカー。
デリーではごみの山はあまりみかけません。ごみの山があればひとが集まって、処理をしています。
高度成長期以前の日本の光景のようです。
明日の朝は出張のため、更新しません。大阪です。夜に更新いたしたく。