いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

線路を渡る猫

2013年03月31日 18時32分25秒 | ねこ


       ― 線路を渡る猫、名古屋近郊にて ―


飼い猫らしい。鈴がついている。

■ 瑕疵を見つける;

週末は、のんべんだらりんと、銭理群、『毛沢東と中国(上) ある知識人による中華人民共和国史』(Amazon)を読んだ。 日本語として読みやすい。銭理群って知らなかった。北京大学の「名物」教授なのだそうだ。1939年生まれ。74歳。

平川祐弘さんが書いている;

 今、文明世界で棟梁の材は試験と投票で淘汰(とうた)され抜擢(ばってき)される。一党専制の大陸は変則で、党政治局クラスの子弟で優秀な者を取 り立てるか(太子党)、学校や党の試験の合格者(共青団出身者)で現支配者の眼鏡に適(かな)った者を指名する。当然コネがものをいう。そんな中国の党幹 部の収賄・蓄財・資産の海外移転、「以権換銭」(権力をカネに換える)という構造的腐敗は遂に世界周知となった。

 そんな風潮を見かねて北京大の名物教授、銭理群が最近の学生気質を痛罵した。「北京大も清華大もえり抜きの人材を集めているが、大学で培養される 学生は計算高い利己主義者に過ぎない。世故(せこ)に長(た)け周囲の動きに敏感で、体制に迎合し体制を利用して自らの利益を図ろうとする。問題はこうい う連中が一番成功してすでに現体制の権力継承人になっていることだ。これこそ民族の未来にとり大きな『隠患』となるに違いない」

 「隠患」は、「隠れた不安」と訳されているが、私は「死にいたる病患」と訳したい。 (ソース:「死に至る病」中国の構造的腐敗

 

銭理群、『毛沢東と中国(上) ある知識人による中華人民共和国史』は、自分の経験を織り込んだ、中共戦後史だ。これまで、紅衛兵体験を語った本は読んできた。この銭理群の自分の経験を織り込んだ、中共戦後史は、文革ばかりでなく、中共建国直後の国民党系残党と共産党の闘争から始まり、大飢饉を招いた大躍進での著者の体験(虫瞰的視点)と、鳥瞰的歴史が書かれている。そして、毛沢東についても極めて冷静に分析・批判(ただの批難ではない)している。かなり踏み込んで、「自由」に書いているので、おいらは少し驚いた。余華の『ほんとうの中国の話をしよう』(Amazon)が、中国で出版禁止という状況を考えると、この『毛沢東と中国』がなぜ出版禁止にならないのか?中国当局の検閲基準が不明である。

その銭理群、『毛沢東と中国(上) ある知識人による中華人民共和国史』では、詩人たる、つまりは夢想家たる毛沢東が、政治的権力を握り、詩的に、夢想のために、世の中を動かすことによって、どれだけの厄災が生じたか!と指摘している。 

  *ぬっぽずんでよかった@明治時代。

支那における毛沢東現象って、日本で喩えていえば、詩人で夢想家(アタマの中おばたけ)の吉田松陰が総理大臣になるみたいものだろう (愚記事;松陰は玄瑞にアメリカ使節など、元寇の北条時宗にならい、切り捨ててしまえという)。 夢想を理解しない、実際派の伊藤博文(@才劣り学幼くも、質直にして華なし、)が政府を経営したから、日本は破滅しなかったのである(愚記事;伊藤は英国の文明の進歩と国力が強大であるのに感服し、すぐに攘夷の考えを捨てた)。

   *ぬっぽずんでよかった?@昭和時代。 中国化していた日本!

詩人と夢想家が軍事・政治に跋扈した時代。愚記事;米英撃滅国民大会; デマゴーグ宣言!朝日新聞

 

 ○それにしても、なぜ、こういう本って、誤字脱字、そして事実誤認とかがないのだろう?と思っていた。誤字脱字、そして事実誤認の本を性懲りもなく、連続して、たくさん出している人もいるのに。

でも、みつけたよ。 まつがい。  437ページ。

葉剣英の生没年が、一八九七 - 一九六六、となっている。

まつがい。 葉剣英は1986年まで生きていた (wiki)。 もちろん、ただの誤植だろう。

 ▼ そして、知ったさ、詐欺師・葉剣英;

 「華僑の大物」を自称していた葉剣英こと畑隆氏容疑者(65歳)が、農事組合法人アジア・アグリ連合会での架空の投資話で、富山県の会社役員らから現金数億円を騙し取ったとして、詐欺容疑で逮捕された。 ソース

 息の長い「謎の中国人」だったが、普通の常識を備えていれば、1時間でおかしな人間であることに気づき、2回も会えば詐欺師を疑うはずである。本人もそれを承知で数千億、数兆円と話を大きく膨らませ、それでも自分を信じる1割と付き合えばいいと考えているようだった。

騙された人たちは、中国共産党の十大元帥(wiki)の葉剣英を知らないのだ。もし、知っていれば、この(自称)華僑と会ったとき、「あの葉剣英元帥と同じお名前ですね?」、「偶然ですか?」からはじまり、どうでもいい支那ヲタ的教養を備えていれば、3分でおかしな人間であることに気づくはずだ。


ジンギスカン仕立て カリカリ (猫用乾燥えさ)

2013年03月24日 19時02分13秒 | ねこ

愚猫どものエサのカリカリに、ジンギスカン仕立てなるカリカリを買う。

どういうつもりでこんなのを作ったのだろう?

道産子の愛猫家が、自分が好きなジンギスカンを、飼い猫にも食べさせたいと考えるということなのだろうか?

原料表をみると、「羊肉エキス」とあった。

  製造元サイト 

  
   羊風味で満足、満足のうめさんとみけさん。

うちの愚猫は、とっくに羊の血な舐めさせている(愚記事;今日の御血会)。

少し関連する愚記事;

1.・七輪食堂 ドラゴンフライ ;つくば・ジンギスカン 
2.・中国出張③ 北京でも羊食べた 
3.・ジンギスカン 屋に行った。 
4.・ 大『帝国』にあやかる焼肉屋

▼ 最近、知ったこと。 河豚計画=1930年代に日本で進められた、ユダヤ難民の移住計画。

ニュースで、中国は上海を流れる川に数千頭の豚の死体が流れているとあった(Google ニュース)。

かわにブタって、河豚(ふぐ)かいな!、と思った。

「河豚 上海」で、ググったら、河豚計画が出てきた。 知らなかった、河豚計画。

1930年代の事情を知ることは、今を生きる上で非常に重要であると最近特に感じているので、勉強しようと思った。

 

● 与太話; ニューディーラーの時代に... あるいは、混乱する「(自称)保守論壇」

現在の安倍政権って、サヨ・アカ内閣でないべか?

アベノミクスって、リフレ派的イデオロギーに基づくとしたら、ニューディーラーではないか。

「リフレ政策」とは何だろうか?リフレは、「リフレーション(refration)の略語であり、デフレ(物価が持続して下落すること)を脱却して低い水準のインフレを実現することで、経済成長や失業率を改善することだ。リフレーションはもともと1930年代の世界大恐慌のときに、当時のルーズベルト米国大統領の政策アドバイザーであったアーヴィング・フィッシャー(イエール大学教授)が唱えたものだ。(『亡国の脱デフレ政策バッシング』、田中秀臣、雑誌、「正論」2月号)

米国民主党は、最近、国民皆保険の実施に難儀した。理由は、「保守」派との政策論争に手こずったからだ。米国では医療費の負担は自己責任であり、国民皆保険みたいな「アカ」のような政策は採るべきでないという主張がある。国民皆保険は個人の自由を侵害する憲法違反という主張だ。

一方、われらがぬっぽんは、国民皆保険だ。 岸内閣の時に始まった。 米国保守派から判断すれば、「アカ」の施策だ。

岸信介首相(His granpa!)は、最低賃金制や国民皆保険や国民皆年金など社会保障制度を導入した。米国保守派から判断すれば、「マッカ」だ。

安倍晋三さんは、初めて首相になった頃、雑誌のインタビューで、上記、「岸信介首相は、最低賃金制や国民皆保険や国民皆年金など社会保障制度を導入した」を誇らしげに指摘していた。

そして、サヨ。現在の安倍政権って、サヨ・アカ内閣でないべか?のサヨ。吉田ドクトリン。

「国家正当防衛権に依る戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくのごとを認めることこそが有害であろうと思うのであります。」  吉田茂内閣総理大臣答弁(本会議)、1946年6月28日。

この前の日米首脳会談では、集団的自衛権のことが全然進捗しなかった。どうやら、オバマ民主党米国政府は、日本にそのまま「吉田ドクトリン」を奉じていてください、と言ったらしい。背景は、米国は、中国さまとネンゴロにやっていきたいのだと。

1930年代のルーズベルト米国大統領政府にはソ連のコミンテルンや中国の宋美齢を筆頭とする工作組織のスパイが相当暗躍していたことが、現在となっては、明らかになっている。

今も、米国、豪国などアングロサクソン系の自称・「自由を至上の価値とする」政治家たちはチャイナ・マネー、ときにはチャイナ・ハニーにやられている。

正論ライターのが書いた本の冒頭にある;

 コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾―迫り来る反日包囲網の正体を暴く

「日米戦争を引き起こしたのは、ソ連に好意的であったルーズベルト民主党政権と、アメリカの政権内部で暗躍したコミンテルンのスパイたちではないのか」

今では、コミンテルンはないが、コミンテルンを中国共産党の工作組織と読みかえればいい。

それにしても、『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾―迫り来る反日包囲網の正体を暴く』の著者・江崎 道朗さんは、現在の米国の「保守派」に期待するが、その米国の保守派の価値基準から見たら、現安倍政権の政策は、米国民主党より、「アカ」である。

 

■ そして、ヤルタ―ポツダム体制の守護者となった中国共産党

  & 
  -スターリンと同盟者たち―          ボランティア

新たに中国共産党の頭目となった習近平さんは、一番にロシアに行った。そして、「第2次大戦の結果と戦後の国際秩序を守らねばならない」と演説(google ニュース)。ヤルタ―ポツダム体制の維持を訴えた。皮肉なことに、ヤルタ―ポツダム体制の推進者のルーズベルトとスターリンのうち、スターリンのソ連は瓦解した。そして、現在の中国共産党はソ連のようにだけはならないと決意しているとのこと。つまりは、ゴルバチョフのような体制内からの「革命家」の出現だけは避けたいと。もっとも、ソ連共産党がなくなっても、その奴隷根性が染みついたロシア人には強権政権がお似合いだ。だから、習近平さんはロシアに行ったのだ。

それにしても、ヤルタ―ポツダム体制の形成に、中国共産党は関与していない。そもそも、中国・蒋介石が戦後秩序に関わったのはカイロ会談までだ。そして、「第2次大戦の結果と戦後の国際秩序を守らねばならない」とかいうけど、第二次世界大戦の後の国共内戦で、秩序を破って体制をつくったのは中国共産党である。

そして、現在、その帝国主義的施策で膨張して、国際秩序に挑戦しているのも中国共産党である。

 

 


今日の看猫 2013/2/20

2013年02月20日 19時57分20秒 | ねこ


図1 何の拡大画像?

▼ 本題; 猫

京葉地区のある駅に行った。

今はなつかしき高度経済成長的産業の組織に仕事のために出向いたからだ。

がきんちょの頃習った、あの京葉工業地帯の、京葉だ。

21世紀の今となっては、京浜も京葉もどんどん工場がなくなっている。

時代は変わったのだ。

そして、今日も、おいらは、

猫を見た。

なんか少し変だな、と思って注視すると、

三本足だった。

けっこう、太っていたので、ほっとした。

これからも、元気にがんばってほしい。

 


図1は雀の羽の拡大画像。

このJR駅のホームで、雀に餌をやる人が多いのか?エサと雀を見た。

何より、雀の画像を撮れたのは初めて。

素人だし、デジカメは安物だし。

なにより、

撒かれたエサに雀が、安心して、群がっているからだ。

 


今日の看猫、2013/2/17

2013年02月17日 19時26分35秒 | ねこ

みけさん↑、 うめさん↓

▼ イトーヨーカ堂のいじましさ; 自分だけよければいい! シナビジの鉄則。


反日デモでイトーヨーカ堂が ほとんど無傷だった理由

デモ回避は情報戦

 麦倉さんは、中国で2回の反日デモを経験している。

 1回目は05年4月14日、北京の5店舗目の西直門店が開業記念式典を開始しようとしている最中に起こった。デモの背景には、小泉元首相の靖国参拝問題があった。

 このとき麦倉さんは対策本部を作り、従業員をデモの現場に飛ばし、デモ隊の先頭と最後尾について歩かせ、その進行方向を逐一報告させた。どこが出発点となり、どういう道をたどるのか、本部はその情報収集に努めた。

 「デモ隊が西直門店の方向を進んでいることがわかった。西直門交差点、ここを右に曲がられてしまうとイトーヨーカ堂の店舗が標的にされてしまう。なんとしても右に折れないように、当局に伝えてそこを封鎖させた」と、麦倉さんは当時を回想する。

“情報をどう取るか”が、大きなカギを握る。否、命運を分けると言っても過言ではない。ましてやそれを中国人スタッフに任せきってしまえば、トップは失格だ。

ここで言う「人」とは、“武装警察”のことだ。このとき、成都イトーヨーカ堂の1号店、2号店では各1000人体制の警備が敷かれた。武装警察が作る人間バリケード。押し寄せるデモ隊ともみ合いになるが絶対に中へは入れようとしなかった。

 単に人員を配置しただけではない。武装警察の全員に弁当を支給することも忘れなかった

いじましい話じゃないか! 自分の投資物だけが助かればいいんか? いや、そうだ。自分の投資物だけが助かればいいのだ。それが金儲けのイロハだ。

 (日本の機動隊さまに民間業者が弁当配ったら、「バカにするな!」と即逮捕(!?)だよ。)

この現場での主人公の麦倉さんは、案外、知らないのかもしれないが、イトーヨーカ堂の最上層部は中国共産党の、これまた、最上層部にどれだけ「賄賂」をおくっているのやら???。

公然の秘密として中国での経済活動(シナ・ビジネス)を行う日本資本が事実上の「賄賂」を中国共産党幹部に贈っている、 い え り 。証拠はない。「やくざ」にみかじめ料を払っていると思えば、よくわかる。中国共産党は自国の領地・領民を外国資本に売ってきたのだ。でも、さすがは、やくざ。みかじめ料で武備に努め、ついに、ぬっぽんに報復戦を開始したのだ。これは感動的だ!なぜなら、”親を殺された(と少なくとも御本人は信じている)淫売婦が、身を売りながらも”、カネをため、ついには、道具 を用意して、仇打ちに出たのだ。これまで、30年、シナ・ビジネスにうつつを抜かしてきたぬっぽんずんどもは、知るべきだ。つまりは、”親を殺された(と少なくとも本人は信じている)淫売婦"をなめくさって、さんざんつ○ぽはめてきた時期がもう終わりだと。それは、「自分の首を絞めるロープまで」売った結果なのだ。

▼ パワー、そして闘争、あるいは、混沌の行くえは...

週末は、いつものことながら、のんべんだらりんと本を眺めたり、YouTubeを見ていた。

マルクスはヘーゲルの著作を何度も何度も読んで、頭で暗記しているので、普通に物を書くときにも知らず知らずにヘーゲルを引用している。引用しているという意識がないままに、いつの間にか、物を書いたらヘーゲルの書くのにそっくりだったということがある。また意図的にヘーゲルの言葉をはめ込むこともある。こういう「本歌取り」のようなはめ込みを解釈用語ではコノテーション(connotation)という。 (加藤尚武、『哲学原理の転換』、2012 (Amazon))

一方、YouTubeでみれる「日本が核武装したら世界はどうなる」で、西部邁は言っている。尖閣問題について、「固有の領土の固有とは一体どういう意味か!?」と。言っていることがあまりにもおいらとおなじなので(エビデンス、愚記事;うたかたの琉球領)、なぜ、この怪しい恰好のおじいさんはおいらと同じことをいうのだろう?と思うも、なんのことはない、がきんちょのころ、西部邁の本を読むことによって、蒙童だったおいらは「日本語」を覚えたのだ。

なぜ、尖閣が日本固有なんだ? 自己の狭隘なイデオロギーや日常的意識を不断に反省する努力を発揮してみよう!もし、尖閣が日本固有であるとする(①)。一方、史実として、ある時期、尖閣は米国・米軍の管理下にあった(②)。①と②が両立していたのであるから、固有の領土といっても、日本政府の施政権が及ばなくてもいい、ということか?それなら、1970年代までの米軍に代わって、21世紀はお支那軍さまに実効支配していただいても、「尖閣が日本固有」という理屈は傷つかない。そうなら、海上保安庁も海上自衛隊も、そして航空自衛隊もあんなにがんばる必要ないだろう。

そこで西部は言っている。固有なんてものはフィクションだ。「うたかた」の琉球領を守る=「うたかた」の琉球領を日本領としてしっかり「強奪」するために、パワーが必要であると。ここでのパワーの極限がは上記YouTubeのお題の核武装だ。なお、西部は「うたたか」とか「強奪」とは言っていない。おいらの本歌取りからの逸脱である。

中国共産党は尖閣問題で、闘争を宣言している(google)。闘争とは、同じ権利を持つもの同士が、その行く末を決着させるため行うものである。尖閣はうたかたなのだ。

そして、老子。うたかたと混沌は似てるだろう(???)。 日中で穴を開けあい、死にいたらしめるのだ....(google)。

それにしても、はやっているのか?変な恰好;

    ごちえいさんまで 
anti-conservative (=地味)なひとびと


今日の看猫 2013/2/3, 蠅、そして、卑下は自分でするもの

2013年02月03日 18時28分31秒 | ねこ

▼ 今日の看猫 2013/2/3

■ 今日、おいらの部屋の蠅が死んだ。

越冬していた蠅。いつもは窓のサッシにいた。昨日、床をのろのろ這っていた。そして、今朝、死んでいた。

● 卑下は自分でするもの (ひげはじぶんでするもの)

        Amazon

週末のんべんだらりんと読んでいた本、村上隆・『創造力なき日本』にあった。

”社会の中で誰からも卑下されるポジション”

ここで、社会の中で誰からも卑下されるポジションにいるべきだとされているのは、現在美術の芸術家たちだ。芸術家とは才能あふれるがゆえに世間に卓越してその特権性を認めさせるのではなく、資金提供者に対し徹底的に忠実にその要求をお聞きだてして、作品を納品せよ!ということだ。ただし、ここで忠誠を尽くすのは顧客であり、大衆ではないことに注意。

そして、元に戻って、”社会の中で誰からも卑下されるポジション”

おそらく、まちがい。  卑下とは、自分で自分を貶めることである。

だから、「自己卑下」とかいう言い方は変だろう。

と、思っていたが、自分ではなく他人を貶める場合にも「卑下」が使われる例が近代以降発生しているらしい。

「おのれをいやしめる」という意味の用例は平安時代から現代まで満遍なく見られるのに対して、「他者をいやしめる」という意味での用例は、現時点では『西国立志編』『抒情詩〈国木田独歩〉』という明治期の例よりさかのぼれるものは見あたらない。

・・・・
だ が、そうは言っても現時点では文学作品や評論、新聞などでは「自己をいやしめる」というもともとの意味で使われた例の方が依然として優勢であると考えら れる。そのため 『日国』のような古語から現代語までを網羅した大型の国語辞典は別にして、通常の国語辞典では「他者をいやしめる」という意味は載せてい ないのではないだろうか。
 ただ、今後「他者をいやしめる」という意味が広く使われるようになれば、その意味を無視することはできなくなるであろう。動向を注意深く見守りたい語のひとつである。日本語 どうでしょう? 第60回   「卑下」する対象は?

 

で、 村上隆。『創造力なき日本』、おもしろかった。 これは教育論で(も)ある。 そして、最近興隆しているブラック企業の経営者(関連愚記事; 続、他人を欺かんと欲するものはまずは自らを欺け?...   )と言っていることが紙一重であることもスリリングだ。ブラック企業とも言えるし、ふた昔前のカルトとも通じてしまう。さらには、村上隆の主張する「とにかく徹夜でそれでも技能を発揮せよ!」とは最近、採用基準なる言葉で大衆にも 広く喧伝された某コンサルのカルト性にも通じる?もっとも、村上隆の『創造力なき日本』には村上のアート・インダストリー[1]会社である「カイカイキキ」の採用基準は特に明記されていない。あるとすれば、むしろ、密教的リーダーシップだ!

僕の会社は、完全なる垂直型命令体系なので、命令絶対化が必要です。「勝手なことはするな!」ということです。(中略)

ただそこで、指示と違ったことをして許される場合があるとすれば、指示よりもいいものに仕上がっていたときに限っての話です。そんなときには褒めることはしませんが、文句は言わずに黙って見逃す可能性はあります。


出典

今の若い人の本当の不幸は就職口が容易に得られないということばかりではなく修業の場が得られないことだろう。大学はじめぬっぽんのガッコは全然修業の場ではない。学校で修業(しゅぎょう)とはお 角 門違いだろうという正論には、ぬっぽんのガッコでは教育がなされておらず、ぬっぽんずんが成長する契機となっていないと御指摘しよう(関連愚記事;無駄な公共事業としての肥大化した大学院教育)。

村上の指摘するは「社会性」。ガッコのセンセに一番欠けてるものだろう。もっとも、最近は、ガッコのセンセが経済学の教科書にしかいないと考えられてきた「最大利益を求めて行動する合理的経済人」だとわかったが。恐るべし、教科書!

まあ、そういう状況なので、酔狂で、いささか、また、ひそかに。みずからを恃むところ頗る厚い人は、「カイカイキキ」でがんばってほしいと無責任に思った。

関連愚記事;駅を出ると古めかしい典型的ヨーローッパの街並み。でも、散歩をはじめると窓々に古い石の建物には似つかわしくないシュールな、でも見覚えのある絵柄が遠くから視界に入ってきた。村上隆じゃん。


 [1] 特に解説で印象深かったのは、オランダでは近世、painting industryが発達したのである、との文句。 industry! (関連愚記事)


今日の看猫 2013/1/9、 猫アパート2F

2013年01月09日 20時22分33秒 | ねこ

2階に陣取る三毛猫

■ 選挙のあるクニで

天安門事件(六四天安門事件)は、1989年のことだ。まだ、昭和だったのだ。そして、あきひとさんの天皇訪中は1992年。なんとわずか3年後のことなのだ。両方ともおいらにとって記憶にある事件ではある。でも、それを20年経ってふりかえると風景がかなり違う。ずいぶん前からか銭其琛(センキシン)の手記の公開で、この天皇訪中は天安門事件で国際的に孤立した中国の戦略に利用されたことが明らかになってきている。そして、今改めて調べたら、1992年の天皇訪中は宮沢内閣であり、官房長官が加藤紘一なのだ。今から考えると、何のことはない、対中迎合派の売皇行為(=皇室の権威を外国に売る)だったのだ。わかりすぎる。

あきひとさんは、「先帝の戦争を克服する新時代をひらきましょうよ!」と加藤紘一らに唆(そそのか)されたのではないかとおいらは邪推する。

 出典

 グレゴリオ暦1992年、史上初めて、"日出ずる処の天子"その握手を"日没する処の皇帝さま"にいたす。
(選挙のあるクニの天子、選挙のないクニの皇帝さまに会う)
21世紀の今じゃ、こちらが、"日没する処"!だ。 東にあるのに。

ところで、加藤紘一はリベラルだと世間的には見られている。リベラルという上品な?言葉が嫌なら"うす甘いサヨク"でもよい。そしてそういう芸風がついに選挙民にアイソをつかれ今回選挙でおちたのだ。でもおいらは加藤紘一がリベラルだなんて全く思ったことがない。典型的権威主義者であり、官僚主義者で、ホントは民をバカにしてるのだ。例えば、民主党政権で少しは明らかになりかと思われていた核密約問題。加藤紘一は当事者として大平正芳の側近として核密約を、宮沢喜一らとともに、承知していたのだ。当然、国民には知らせず、知らん顔、ダンマリを決め込んでいた。この点、核密約を立派だと誉めた西川京子センセあたりは、"高貴なる嘘である"といわんばかりであり、日本政府はよくやってきたと評価した。そうなのだ、愚民党右派に評価されるべき御仁なのだ、加藤紘一さん。

さらにはこの権威主義者であり、官僚主義者で、ホントは民をバカにしてる所業の典型が、天皇訪中である。日本国民は天皇を崇拝すべきである、⇒その天皇さまが中国に行った、⇒日本全体は中国と親しくすべきだという発想である。戦後第二の天皇の政治利用である。もちろん、戦後最大の政治利用はもちろん、これだ↓

ところで、ぺル・ギャルポさんは「最終目標は天皇の処刑 中国「日本解放工作」の恐るべき全貌」などと物騒なことを言っている。でも、かなり、政治音痴であるといわねばならない。あえて言えば、「中国共産党総書記の最終目標は、天皇にたいするマッカーサー化」である。わかりやすくいえば、天皇即位式は北京でどうぞ!とも言おうか。

話が飛んだが、加藤紘一さんは、選挙のあるクニでで、落選したのだ。 さようなら。

 そして、みんな走資派 [1]

ネットで話題になっていた。NHKの新春番組、「2013 世界とどう向き合うか」。テレビをもっていないおいらは、YouTubeでみた⇒これ。ありがとう!海賊YouTube!

出演者;
孫崎享(評論家、元外務省国際情報局長)
岡本行夫(マサチューセッツ工科大学シニアフェロー)
新浪剛史(ローソン代表取締役社長)
坂之上洋子(経営ストラテジスト)
土井香苗(ヒューマンライツ・ウォッチ日本代表 世界の人権問題に取り組む弁護士)
濱野智史(情報社会論の批評家)
興梠一郎(神田外語大学教授)

中国とどう付き合うか?という問題に対し、各人意見表明。予め用意された図式のひとつが、対中強硬派 VS 対中宥和派。

でも、驚いたのが、その孫崎享も、そして対中強硬派の 岡本行夫も、みんな日本の課題は経済を強くすること!という結論である。そもそも経営者である新浪剛史(ローソン代表取締役社長) は言うまでもない。

おいらは、がっくし。 結局、カネかよ!と叫ばずにはいられない。 そして、みんな走資派 なのだ。

恐るべし、中国の対日感化力。

ところで、ぬっぽん外務省で、かの岡崎久彦さん(関連愚記事;鷹は群れず)と孫崎享さんが、上司、部下の関係であったと聞いて、うれしくなった。政治音痴の評は;


外務省のいわゆる「情報屋」として、岡崎久彦の後輩にあたり、岡崎の情報調査局長時代は分析課長として仕えた。後述のように親米タカ派の岡崎とは対極の考えを持ち、周囲には意見の違いを心配する者もあったが、岡崎は「勉強して自分の考えを持っているなら、ハトでもタカでもよいではないか」と意に介しなかったという(『日米同盟の正体』あとがき)。wiki

そうか? 二人は一卵性双生児。どういうことかというと、ぬっぽん戦後外交の基本は、長いものに巻かれろ! 99%同じ。

違う1%とは、長いもの認識。

岡崎久彦 長いもの=アメリカさま、 

孫崎享: 長いもの=お支那さま。 

岡崎久彦:対米戦争なんて考えられない!

孫崎享:対中戦争なんて考えられない!

▼ その結局、カネ!という観点からはずれていたのは、土井香苗(ヒューマンライツ・ウォッチ日本代表 世界の人権問題に取り組む弁護士)

1989年の天安門事件(六四天安門事件)なぞすっかり忘れ、中国相手に結局、カネ!に励む日本の中で異彩を発していた。

そして、知ったさ、 時は流れるって;


  1989          at present

1996年ハーバード・ビジネス・スクールに入学、1998年経営学修士の学位を得る。同年夫婦でコンピューター会社 Jenzabar, Inc,を創設、現在経営責任者wiki)。 そして、みんな走資派だ!

● そして、なにより、おいらが、走資派じゃないか! びっくりだよ。

バイトは、《death valley》での業務だ。何のことはない、《資本》の《尖兵》に他ならない。いつだって、おいらは、《尖兵》だ。ぬっぽんすほん(日本資本)の手先として、《尖兵》のおいらは、あるときは、インドまで行った(愚記事;草莽微賎の地球化(グローバリリゼイション))。

そして、知ったさ、 時は流れるって


[1]

余華、『十個詞彙裡的中国』の邦訳(飯塚容)より

 


暖をとる猫

2013年01月02日 17時21分21秒 | ねこ

まわりから見通しのよいところに猫が2匹佇んでいた。

陽だまりなわけでもない。

ねこの居場所としてはやや不自然。

近づいて見ると、毛が風をあびてクレーターをつくっていた。

上を見てわかった。

調理場らしきところからの排気口が壁にあった。

しかも下向き。温風が出ていた。


▼ 場所; 瑞金ニ路118号、上海。

以下、島根 慶一殿web site, 「 瑞金賓館・モリス邸(中国名:馬立斯花園) 」よりコピペ;

瑞金ニ路118号の瑞金賓館は、旧モーリス一族の大邸宅で、4件の邸宅と多くの離れ屋、広大な庭園からなってい る。いまは、屋敷の周囲に富裕な外国人用の不恰好な建物などが建て込み、大幅に縮小されているが、人口稠密なフランス租界の真中で、今も広大な正4角形の 土地を占めている。

大邸宅の旧持ち主・Henry ("Harry") E. Morriss JR.は、H. E. Morriss Sr. の息子として生まれた。父はユダヤ系英国人カトリック教徒で、1920年代~1940年代の中国で、いやアジアで最も影響力を持つ英字紙、North-China Daily News の創設者であった。

父Morriss は1919年に亡くなり、息子Harry は外灘17号の2階にあった彼の事務所から、最高司令官として父の新聞社を牛耳った。彼は社会的地位に相応しく、 旧フランス租界のPere Robert 路、今の瑞金2路に面した正方形の土地を一ブロック住宅用に手に入れた。


今日の看猫2012/10/17; 障子を駆け上がった三毛猫、あるいは、ハイタッチの痕跡

2012年10月17日 19時25分10秒 | ねこ


ハイタッチの痕跡

この障子を開けると、借景生活が始まります。

冬の借景生活

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 -おてんば、みけちゃん@おいらになつかない-

■ 今日の wao !

今日知って、wao !と驚いたこと。

有朋 (山縣有朋) より、漱石 (夏目漱石)の方が、先に死んだ !

山縣有朋: 1838-1922、 84歳まで生きる。

夏目漱石: 1867-1916、49歳で「若死に」。

wao! 漱石が案外「若死に」だって知っていたけど、絶対年代で、有朋より先に死んだとは、認識していなかった。

それにしても、もし、漱石が有朋並みに長生きしていたら、あの1941年は、漱石74歳で、存命。

米英撃滅路線の世の中で、一体どういう態度を取っていたのだろう。

「古巣」の朝日新聞は、もちろん、米英撃滅! である。

● まとめ

夭折こそ、あらましほしけれ!