いか@ 瑞穂の国でインドを思い出す。
写真はファテープルシークリの宮城でのアクバル帝の寝台である。石でできていて、かつ風通しのよい場所にある。アクバル帝はムガル王朝第3第皇帝であり、大帝である。生没年代は1542~1605(在位1556~1605)であり、豊臣秀吉の1536~1598と同時代人である。秀吉の朝鮮出兵で中国・明はぐらつき滅びたのだから、当時アクバルの耳にも中国は周辺小国から脅かされているという国際情報が入っていたかなあ、と想像すると楽しい。
で、寝台である。アクバル帝には3人の后がいた。ヒンズー教、イスラム教、キリスト教の后である。子供に恵まれなかったアクバルも、結果的にヒンズー教の后から子供ができた。この寝台のある建物の周りには各后の建物がある。夜になるとおつとめとしてこの寝台に来ていたはずである。
そこで、ガイドに、2人以上の后が同時に寝台に入ったのか?と超おばかなことを聞くと、そんなことねえ、とおこたいになりますた。
おばかなおいらの思い出でした。
写真はファテープルシークリの宮城でのアクバル帝の寝台である。石でできていて、かつ風通しのよい場所にある。アクバル帝はムガル王朝第3第皇帝であり、大帝である。生没年代は1542~1605(在位1556~1605)であり、豊臣秀吉の1536~1598と同時代人である。秀吉の朝鮮出兵で中国・明はぐらつき滅びたのだから、当時アクバルの耳にも中国は周辺小国から脅かされているという国際情報が入っていたかなあ、と想像すると楽しい。
で、寝台である。アクバル帝には3人の后がいた。ヒンズー教、イスラム教、キリスト教の后である。子供に恵まれなかったアクバルも、結果的にヒンズー教の后から子供ができた。この寝台のある建物の周りには各后の建物がある。夜になるとおつとめとしてこの寝台に来ていたはずである。
そこで、ガイドに、2人以上の后が同時に寝台に入ったのか?と超おばかなことを聞くと、そんなことねえ、とおこたいになりますた。
おばかなおいらの思い出でした。