愛知県豊橋市の街路にて。
■おいらは、王政復古の大号令のクーデターに始まる大日本帝国には含むところ大ではあるが、現在の日本政府指導者が政府の政治行為として靖国神社を参拝すること、それよりなにより今上の天皇陛下が靖国神社を「参拝」することが論理的であり、倫理的であると思う。それは何も大日本帝国万歳と言いつのりたいわけではない。
■一番おばかなのは靖国神社参拝は軍国主義を美化することだからけしからん、との主張であり、そう主張する人は当然靖国神社に行かないわけだ。ただ靖国神社に行かないということが、軍国主義者でないこと、平和主義者であることと暗に思い込んでいる。その点はおばかだ。あまつさえ、共産党の不破哲三氏のように靖国神社参拝者はファシストである、と言うに至っては言葉もない。というか、そういう「ファシズム」状況の出来を許している共産党って何!? 天皇陛下御臨席議会のお飾りかい?
■さて、ポスコロ(ポストコロニアルの略)・商売を行っている本橋哲也氏の文章;
多数派日本人として恩恵を享受しながら「私は在日日本人だ」などと嘯いて、<他者>から名指しを否認するのではなく、民族的自覚と加害責任を自発的に引き受けた「日本人」を可変的な発展概念として個々に立ち上げること(略)は問い返されるべき問題だ。
『現代思想のキーワード』2000年より。
■知らないけど、本橋さん自身は、その商売遂行の都合から(営業文化左翼なんだろうから)、小泉さんの靖国参拝なぞ賛成できないのであろう。しかしながら、上記文章は、理論上=言葉づら上、大日本帝国政府の後継政府たる現行日本政府は、過去の大日本帝国政府のやったことについて、<他者>から名指しを否認し逃げ回るのでなく、過去の責任をしっかり担うため靖国神社に参拝するべき、と解釈できる。なぜなら、国家間戦争での犠牲者ばかりでなく、靖国神社には王政復古の大号令のクーデターに始まるテロや内戦での犠牲者がそもそも靖国神社の御霊の「嚆矢」なのであるから。
■なぜ現在の国民の代表が、王政復古の大号令のクーデターに始まるテロや内戦での犠牲者の御霊に額づかねばならないのかというと、現行の国民が「多数派日本人として恩恵を享受し」ているからである。その恩恵とは議会制や政府傘下の大学が含まれる。議会だって大学だって明治天皇の五箇条のご誓文にその根拠をもつ。そして、その五箇条のご誓文は王政復古の大号令のクーデターに始まるテロや内戦で実現された。皇軍=天皇の軍隊によってである。
▼「何を言うか!このネット右翼野郎!、日帝の侵略や人民弾圧を知らないのか!この低能野朗!」とおっしゃりたい御仁はごもっとも。
森有礼は西南戦争以前に、五箇条のご誓文を根拠に「民権派」が国会を開くことを明治新政府に要求したとき、政府が人民議会を開くなどということはない。もしそうなら、それは民権議会ではない。本当に民権議会を開きたいなら政府や天皇にたよらず勝手に人民みずから議会を建設すべきじゃないか!と森は「民権派」を嘲笑した。果たして、現在にいたるまで日本には天皇の「ご臨席」の議会しかないわけだから、皇軍・五箇条のご誓文を根拠にしていることになる。なにより憲法で天皇が政治の「中心」であり、憲法を発布したの天皇であるのだから、皇軍・五箇条のご誓文の貢献限りなく大である。
マッカーサー憲法を発布するよ。 ギョメーギョジ。
■したがって、本気で靖国神社を無効化したいのであれば、不破氏のように靖国神社を罵倒したり行かなかったりすることではなく、皇室外に人民議会を人民独力で開くことが第一である。
『敗北の「政治」』