いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

コスモス

2006年10月24日 21時03分43秒 | 草花野菜

コスモス

今日も朝鮮日報は、東北工程問題;

こうやって朝鮮は南北とも対中華、対日本で「自己中心的」なので東アジアの共通の歴史観など生まれないことは言うまでもない。もちろん、日本も中国も「自己中心」的であることも言うまでもない。


【東北工程】「中国の歴史歪曲は半世紀前から」


建国大中国文学科の林東錫(イム・ドンソク)教授が白頭山の踏査のために中国を訪れたのは、韓中国交正常化がなされる以前の1990年のことだった。

 その際、林東錫教授はふと「この広大な満州の地で興亡を繰り広げた数多くの古代民族は、どこから来たのだろうか」という点が気になった。そこで、瀋陽の書店通りを探し歩き、ようやく1冊の関連書籍を見つけ出した。それがまさに孫進己の『東北民族の源流』だった。

 ここで中国による歴史歪曲(わいきょく)と韓国側の対応の経緯を振り返ってみると、驚くべき点が一つある。東北工程理論の元祖と呼ばれる瀋陽東亜研究所の孫進己研究員が執筆した代表的な著書『東北民族の源流』が、1992年には韓国語に翻訳され、出版(東文選刊)されていたという事実だ。

 翻訳者は林東錫教授。中国古典の専門家である教授の翻訳は一味違っていた。引用部分では必ず原典に当たって原文が併記され、さらには数多くの誤字や脱字にわたってすべてが訂正されていたのだ。それは「専門の学者らがこの著書をきちんと理解し、対応できるようにしよう」という意志から、労をいとわず行ったものだった。だが、そんな教授の貴重な意志にもかかわらず、韓国学界からは一切反応が無かった。

「当時、『東北民族の源流』を無視した人々が、今になって人文学の危機云々と語るのを見ていると、苦々しい気分になる」と林東錫教授は心情を吐露した。

 白頭山踏査を終えて韓国に帰国し、『東北民族の源流』を読んだ林東錫教授は、危うく湯飲みを倒しかけるほどの衝撃を受けた。

 「靺鞨族が唐の地方自治政権である渤海を打ち立てた」「高句麗民族はほとんどすべてが漢族に融和した」「朝鮮族は箕子・衛満のころから中国と源流を共有している」

 現在、韓国人を驚がくさせている東北工程の基本論理が、『東北民族の源流』にはすべて含まれていた。「満州地方で興亡を繰り広げたあらゆる民族が中国に吸収された」という結論を先に打ち出し、意図的に史料を結論に合わせて解釈していた。

 林東錫教授は「ひと言で言えば、望文生義(文字をざっと見て、もっともらしい解釈をすること)に過ぎないものだ」と評した。

 だが『東北民族の源流』は、1986年という早い時期に出版されたものにも関わらず、既に他の中国人学者らの見解を引用していた。当時、林東錫教授は「万が一、これが学者個人の見解を離れ、国家的なプロジェクトに結びついたらどうなるだろうか」と思い、冷や汗が流れるのを感じたという。

 続けて林東錫教授は「孫進己は著書の序文で、“1950年代からこの作業を準備してきた”と書いている。現在の中国による歴史歪曲の根源は、中華人民共和国が樹立されたころから既に存在していたと見るべきだ」と主張した。

 周恩来が「五星紅旗の東北側は、朝鮮族の血で染められている」と述べ、延辺の朝鮮族を持ち上げた理由は何だったのだろうか。「満州」という用語を避け、かたくなに「東北地方」という用語を使う理由は何なのか。林東錫教授は「すべて中国の一部として、確実に同化するための作業だったのだろう」との見方を示した。

 1985年に中国人学者・王健群の『好太王碑(広開土王碑)研究』の翻訳も手がけた林東錫教授は「あのときから、既に広開土大王碑と中国との関係を強調する態度を見せており、東北工程の端緒が現れていた」と語った。

 つまり中国は、半世紀という長期間にわたる巨大なマスタープランに基づき、綿密に満州地域の朝鮮族とその歴史を中国の一部に編入する作業を進めてきたのだ。また、青蔵鉄道(青海チベット鉄道)が敷かれた西南(チベット)や西北(新疆ウイグル)地域では、既にそうした作業を終えた状態にあるという。

 最後に林東錫教授は「ところで、われわれはどうだろうか。歪曲の内容が伝わるたびに個別の事案に興奮し、そのつど新しい機関をあわてて設立しているだけだ。“このまま行けば、さらに大きな事態に発展するのではないか”という14年前に感じた不安が、再び現実のものになることだけは免れなければならない」と自らの思いを語った。

文=ユ・ソクジェ記者

写真=イ・テギョン客員記者

朝鮮日報