いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

Calming down

2007年04月15日 19時23分17秒 | インド・3回目・シンガポール


右のおっちゃんが手をあげようとしているのを、左のおっちゃんが宥(なだ)めている。

 
このブログ・いか@ 筑波山麓 『看猫録』は;

■ 資本の旅人 業務(外)便り ~資本の手先、薦めないけど~ ■


資本の旅人にも風は吹き、 風の旅人にも資本の論理は貫徹する

▼おいらの、つまらない自慢は、海外観光旅行をしたことがないこと。35歳過ぎてそれまでのヤキがまわって、何の因果が落ちぶれて、今じゃ、すほんの手先である。それも非正規雇用賃金労働者としてである。 まさかインドに来るとは思わなかった。 

がきんちょの頃、インドとはおいらにとって、大川周明やマルクスの米国新聞紙への投稿論文「大英帝国のインド支配」、辛島昇や長崎暢子の諸本、そしてチャンドラボースや藤原岩市の物語、もちろんパール判事のことなど本だけの世界であった。すなわち、会えないけどアタマに棲みつく、強烈な、ナニカであった。つまりは、観念ウヨの「聖地」であった。

おいらにとっても、物理的・経済的に、つまりは観光的には行くことは可能であったかもしれない。でも「風の旅人」にはなりたかなかった。なぜって、「風の旅人」なんぞは所詮「お客さん」だっちゃ。

♪~♪~ あなたにとって、わたし、ただの通りすがり~♪~♪~
  --久保田早紀、『異邦人』--

制度外で、ぬんげんとぬんげんの交流が可能か?というのは難しい問題だと思う。

●まとめ●
脱俗に俗あり、俗にも、時々たまには、聖あり。