いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

Prasad, grace of god

2007年04月28日 20時30分09秒 | インド・3回目・シンガポール


勝手に入り込んだお寺、Visit to India at the third time で、もらったお供え物のおすそ分け、たぶん。 この後、一緒に働いているインド人に、画像を見せて、これは何か?と訊くと、prasad とのお答え。Prasad とはなんぞや?とさらに尋ねると、 grace of god とのお答え。 それで、お供え物のおすそ分け、と判断した。

Wikipedia によると、

Prasāda is both a mental condition of generosity, as well as a material substance that is first offered to a deity (in Hinduism) and then consumed (Hinduism and Sikhism).  Wikipedia, prasad

つまりは、このお菓子の名前ではないようだ。

地は小麦で、砂糖と煮詰めて作ってあるみたい。 インド人と話すと甘さは幸せの象徴であり、お供えものとしてふさわしいとのこと。 その時、日本というのは、特に近代以前は砂糖が極めて少なく、ほとんどの日本人は砂糖や甘さというものに縁がなかったのだよと説明する。 

でも、その時、気づいたのであるが、仏壇やお墓へのお供え物は、落雁やおはぎ、ぼた餅など甘いものではないか! どうやら、砂糖や甘さは仏教とともに日本に来たらしい。

■とまれ、繰り返すと近代以前の日本で砂糖は貴重品で庶民の口にはほとんど入らなかったであろう。そういう砂糖に無/微縁の日本で、当っているのか、いか@さまなのかわからないが、日本人論として「甘えの構造」論がある。 「甘えの構造」の英訳は、The Anatomy of Dependence である。依存の解剖学。 皮肉じゃないか。 砂糖をめったに口にすることが出来なかった日本人の精神構造が、甘えの構造。その症状は、independence未達症候群。 それとも近代になって砂糖と出会い、addictionになったんだべか?

つまりは、これだ。

砂糖をめぐる冒険 与太話は、続く。


こうやって、配っていたのでした。


祭壇



The Anatomy of Dependence / 甘えの構造