▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第28週
■ 今週のよその猫
■ 今週の筑豊境
■ 今週の花
■ 今週のキリ番
■ 今週の死語:国体の死
国民体育大会は、2024年(令和6年)の第78回大会から名称が「国民スポーツ大会」に変更されました。(google)
画像と本文は関係ありません
■ 今週の揚げ物
ガスト カキフライ和膳(web site)
今度も<荊の簪を挿した御方さま>に奢ってもらう。レシートの膳の構成が詳しい;
■ 今週の訳あり、あるいは、初物:みかん、9.5kg、2200円
■ 今週の子供の頃道産子なのに知らなかった人:違星北斗
違星 北斗(いぼし ほくと、男性、1901年(明治34年) - 1929年(昭和4年)1月26日)はアイヌの歌人・社会運動家。
アイヌ民族の地位向上のための運動に一生を捧げ、その思想を新聞や雑誌に短歌の形で発表して、同時代のアイヌの青年たちに影響を与えた。また道内のアイヌコタンを廻って、まずアイヌ自身が自覚し、団結することが必要であると説いた。 (wikipedia)
おいらは道産子、すなわち、日帝侵略庶民なのに、いや、だから こそ!、知らなかった、違星北斗。シャクシャインやコシャマインは知っていた。シャクシャイン像(google)は子供の頃からあった。でも、違星北斗は知らなかった。
ところで、シャクシャイン像は「改訂」したと今知った。初代は戦闘的英雄像っであったのに。
■ 今週借りて読んだ本
今借りて読んでいる本3冊。この3冊は同一主題(テーマ)で借りたのではない。小坂修平『思想としての全共闘世代』は『村上春樹と小坂修平の1968年』(とよだもとゆき)の派生から(愚記事)。村上春樹の周辺問題で全共闘についてのこと。小坂修平はおいらが10代の頃(1980年代前半)から知っていた。マルクス葬送派。端的に云って「全共闘崩れ」として。ただ、三島由紀夫とのことはかなりのちに知った。
西村繁樹『三島由紀夫と最後に会った青年将校』。この本を借りたのは三島事件について知りたいので。以前『三島由紀夫事件 50年目の証言 警察と自衛隊は何を知っていたか』、西法太郎を読んだ。三島事件前に三島が会っていた自衛官の証言が出版していると知って読もうと思った。その1冊。3冊目はノーマ・フィールド『へんな子じゃないもん』。ノーマ・フィールドはシカゴ大学で教授だった人。東京生まれ。父親が進駐軍米兵。大学入学まで目黒区碑文谷で育つ。実家が春美栄光堂というブロマイド屋。ワシントンハイツの幼稚園・学校に通っていた。
3冊とも自伝。そして、3人とも1947年生まれなのだ。
▼ 西村茂樹『三島由紀夫と最後に会った青年将校』(目次)
西村繁樹は元自衛官(1等陸佐)[wiki]。この本は2019年刊行だが、その年に死去。興味深いのは下記点;
1.防大時代、1966年頃、制服を着て紛争の大学に行き左翼学生と討論した。防大では周囲の同僚たちを「魂の抜け殻」と認識している。魂なき戦士=自衛隊幹部候補生という認識。「魂」が問題。だから、「魂」供給者の三島由紀夫に引き寄せられたのであろう。高校生の時『英霊』を読み衝撃を受けた。
2.体験入隊していた三島と1968年に初めて会い、計6回の面談をする。最後は1970年10月18日。三島事件(11/25)のひと月前。事件時は北富士駐屯地で隊長。事件後、1971年、部下を上司承認のもと皇居と靖国神社に連れていく。
3.この本でびっくりした。西村はその後内局に移動するが、上司が岡崎久彦。愚ブログでは、「アメリカ真理教の大尊師」とお呼びしている。外務省から防衛庁に出向していたのだ。西村繁樹は三海峡封鎖戦略を立てる。すなわち、ソ連艦船のオホーツク海への進出を阻止し、原潜による核戦争で(事実上)米海軍に有利になる状況をつくる。この「対米支援」(西村、自衛隊、日本政府は日本防衛と云っている)を以て、西側諸国の防衛の一端を担うという大義を掲げ、外交的カードとした。これこそ、江藤淳が云う「アメリカの日本人によるアメリカのための兵力」の運用だと思うだが。
4.三島の「自衛隊2分割論」、「アメリカの傭兵となる」問題について検討している。
西村は当然自衛隊を国軍にすべく憲法を改正すべしという立場。でも、国軍となっても日米安保は存続し米軍駐留は当然継続するという。「アメリカの傭兵となる」というは陰謀論だともいう。西村は自衛隊の起源(マッカーサーの命令によりアメリカの占領維持のため創設)や米軍が日本防衛義務を持つことは当然防衛のための作戦行使権利を得ていること=米軍行動を制限するものはありえないことには何もいわない。自衛隊も当然日本を防衛するのだが作戦行使権利で米軍と干渉した時どうするのであろう。米韓では指揮系統が決まっている。もちろん米軍が作戦統制するのだ。日米はどうする?
5.藤原岩市、冨沢暉(藤原の女婿)、菊地勝夫、岩田貞幸(三島の自衛隊体験入隊のホストたち)
冨沢暉(存命):陸上幕僚長[wiki]
▼ 小坂修平『思想としての全共闘世代』
この人60歳で死んじゃったんだね。この本は自伝だが、遺書になった。本の題名は羊頭狗肉。いち東大全共闘の話。そもそも「全共闘世代」っておかしい。団塊の世代は1年齢約200万人。大学進学率20%。全共闘はもっと少ない。さらには、街頭闘争で対峙した機動隊員だって同じ世代なのだから、「全共闘世代」はないだろう。でも、個人史として読めばおもしろい。愚ブログでは団塊の世代=復員兵の子供たちという視点で見ている。小坂修平も復員兵の子供であり、さらには、家族は満州にいた。ただし、敗戦前に帰国。本書では、父や祖父の従軍や植民地生活は特に書かれていない。この本でわかったのは全共闘というのは自発的活動で主に大学内での活動(安田講堂の件も含む)であり、歴史でみる街頭での機動隊との激しい戦いは党派の組織的行動があってこそ実現したのであり、全共闘そのものは効果的に激突したとは見えない。ただ、1968年以降各セクトの草刈り場となったこと。おもしろいのは、小坂修平は1967年の春頃、つまり羽田事件(10・8:じっぱち)の前に機動隊と衝突して前歯を折られたとのこと。これは早いのではないか。その後街頭闘争でどうしていたのかは石を投げた以外は書いていない。逮捕歴もないようだ。そもそも党派に入って闘争にのめりこんでいた気配はない。
つかまれた人生:小坂修平は「つかまれた」とさかんにいう。時代につかまれたのだと。本書えは説明していないがこの「つかまれた」というのはもちろん三島の『天人五衰』からのものに違いない。転生最後の人物、安永透は久松慶子に罵倒される;
「松枝清顕は、思いもかけなかった恋の感情につかまれ、飯沼勲は使命に、ジン・ジャンは肉につかまれていました。あなたは一体何につかまれていたの?自分は人とはちがうという、何の根拠もない認識だけでしょう?
外から人をつかんで、むりやり人を引きずり廻すものが運命だとすれば、清顕さんも勲さんも、ジン・ジャンも運命を持っていたわ。では、あなたを外からつかんだものは何?それは私たちだったのよ」(三島由紀夫、『豊饒の海(四) 天人五衰』、二十七)
さて、小坂修平『思想としての全共闘世代』には「つかまれた」とさんざん書かれているが、何につかまれたのか? 読んでもよくわからない。
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