いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

寒さは鎹

2007年12月03日 20時32分34秒 | ねこ


寒さは鎹
(さむさはかすがい)

■今月の『諸君!』には読売新聞批判の論文が全くなかった。万が一にも雑誌「じゃーなりずむ」が、新聞「じゃーなりずむ」を正当に批判する役目を果たせば、「じゃーなりずむ」の相互批判なるものが、いささかでも、実現できるというものではないか。

どうやら、やっぱり、文芸春秋社の新聞批判は、朝日憎し!の私怨であったのだ。

12月号では"特集◎新聞騒乱"、「朝日崩れ」が止まらない、と朝日批判をしていた。朝日批判は至極全うなものであるが、今回はどうした。渡邊恒雄のやったことはおおよそ近代文明民主主義国家ではやってはいけないことである。journalismとdemocracyのイロハである。それを誰も彼もが問題にしない。これはやはり、ぬっぽんずんのむんど(民度)が相当に低いと言わざるを得ない。

いちおう断っておくが、今月の『諸君!』の巻頭の随想には、「主筆の書いた原稿をボツにする度胸のあるデスクがいれば、ナベツネも目が覚めたことだろう。」と書いてある。 そうであるなら、『諸君!』の編集長のやることは、なぜ読売新聞でデスクがナベツネの原稿を蹴れないのか、なにより読売新聞記者や社員が「じゃーなりずむ」の政治介入を批判できなのか?そのからくり事情の論文をしかるべき人に書いてもらって、掲載するのが務めだろうに。 なぜなら、一般庶民はそれを知りたいからである。

読売記者覆面座談会とかさ、やれよ。そもそも、「ボツにする度胸のあるデスクがいれば、ナベツネも目が覚めたことだろう」って、大甘だろう。 今の読売は、右の赤旗だろう。みんな、尊師/名誉議長/主筆の口真似だ。 なにより、渡邊主筆を渡邊朱筆って誤記しちゃった記者がいるらしいじゃないか!(ごめなんさい、ネタです)。せいぜい、添削してもらうんだな。

我らが祖国・ぬっぽんで、劣化し・愚劣であるという点では、政治家、官僚だけでなく、売文・編集業も相当なものだといわざるを得ない。

合掌。