いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

最初の大将、「最後」の大将

2007年12月23日 19時11分24秒 | 日本事情
今週の備忘


あの学徒出陣の映像は、文部省映画だったのか。

YouTube 『学徒出陣』 昭和18年 文部省映画(2-1)

YouTube 『学徒出陣』 昭和18年 文部省映画(2-2)

映像は、意外にもというべきか当然というべきか、演出をよく考えて趣味的に撮ってある。水面に写る像なぞ、当日が雨となって即興で撮ったのだ。


そして何より、あの滅亡狂騒曲が、分列行進曲なのか。 もちろんあの悲しく壮烈な調べは子供の頃から脳みそに強烈に焼き付いていて、かつしばしば調べを思い起こしてなぞっていた。今思うにあの曲は楽曲としては公然とマスメディアでは放送できないので日頃耳にすることはなかったのだ。だから、あの分列行進曲をマスメディアで聞くには、学徒出陣を扱った歴史番組しかなかったのだろう。

昨日、YouTubeで、分列行進曲を一日中聞く。

YouTube 抜刀隊 陸軍戸山学校軍楽隊
↑声楽付き

YouTube 扶桑歌
↑声楽なし。歌詞付き。まずは上の「抜刀隊 陸軍戸山学校軍楽隊」の歌を聞き取り、どれだけ歌詞がわかるか書き取ってみたらおもしろいです。日本語検定試験、番外上級です。

歌詞を、事実上、初めて見る。そうか、これは西南戦争での警視庁抜刀隊の西郷征伐の詩なのだ。

なんで分列行進曲っていうか知らないけれど、事情は複雑で分裂していたのだ。詩はそれを的確に伝えている。

我は官軍。 

我が敵は、天地容れざる朝敵ぞ。

敵の大将たるものは、古今無双の英雄で、

之に従うつわものは、共に剽悍(ひょうかん)決死の士

鬼神に恥じぬ勇あるも、天の許さぬ反逆を

起こしし者の昔より、栄えしためしあらざるぞ。(続く)


我は官軍、たって「官軍」の創始者こそ「古今無双の英雄」の西郷隆盛であり、日帝陸軍の最初の大将である。


学徒出陣で訓示をたれているのが、日帝「最後」の大将の東條英樹さん。もちろん、日帝陸軍で最後に大将に昇進したのは東條大将ではなく、別の人なんだろう。でも、最後に「戦死」したのは東條英樹陸軍大将。

59年前の今日、1948年12月23日、米英蘭華など占領軍に、首を括られ殺される。

「日本とアメリカが完全に戦闘状態をやめたのは(サンフランシスコ平和条約が発効した)昭和27年(1952年)4月28日。戦闘状態にあるとき行われた東京裁判は軍事裁判で、処刑された人々は戦場で亡くなった方と同じ」という理由で靖国神社の松平永芳宮司長が昭和53年(1978年)に祀る。

今、東條大将の御霊を引っこ抜くかが問題になっている。一方、朝敵の将の西郷はそもそも祀られていない。 ぬっぽんずん は今後、東條大将の御霊を引っこ抜くかもしれない。その時は西郷ドンが朝敵ハウスで東條大将を暖かく向かえ、ホント、いやなクニだよな、とグチのひとつでも言えば、にこにこできる。


『学徒出陣』 昭和18年 文部省映画を作った文部省は、東條ら「いわゆる」A級戦犯が縊られた頃、つまりは昭和23年、民主主義―文部省著作教科書を刊行。

実に、教育の普及は浮薄の普及なりといえども、本省そのものの、日本語廃止の森有礼からずーっとの浮薄には恐れ入る。