伊達政宗終焉の地。 現日比谷公園。
政宗公は、寛永13年(1636)、5月24日に、外桜田の伊達家上屋敷・本屋敷で死ぬ。70歳。
生涯、脚本作家であり主演俳優であった政宗公は、同年4月自分の死期を仙台で悟ると忽然と上京の途に着く。4月20日、離仙。
途中、日光東照宮に参拝。大権現さまにご挨拶。日光東照宮の石段を昇る老いて背の曲がった政宗はおもわず足を滑らせ手を着く。四つんばいになりながら必死に参拝するその耄碌した姿に往年の独眼龍を知る随行員は涙したらしい。
江戸屋敷で死を待つ。
死に行く姿を近親者に見せまいと、見舞いを拒んだことは有名。
5月21日には将軍家光の見舞い。そして、5月24日未明に死ぬ。
辞世はもちろん、
曇りなき心の月を先立てて浮世の闇を照らしてぞ行く
↓これだ。
近代においては、炭鉱夫として生まれ変わったに違いない。
まつがい、ない。