いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

『議論好きなインド人』 アマルティア・セン その1

2008年08月03日 11時53分23秒 | インド・2・4・5回目

アクバル帝の居城、ファテープル・スィークリー

- - 私がやるのは、学ぼうとすることです。だってわかるでしょう、「インド人のアイデンティティとか「ベンガル人のアイデンティティ」とかいうのを聞くと、私は本当に笑えますからね。 - -  『スピヴァク みずからを語る』、ガヤトリ・スピヴァク

■『議論好きなインド人』(明石書店)は、ノーベル賞を受けたインド人経済学者アマルティア・センによるインド論。

もっというと理想的インドの歴史的、文明的根拠を提示したもの。

この本はこれまでセンがエッセイとして発表した文章、あるいは講演した記録のテーマ別の集成。インドにまつわる諸問題をたくさんの観点から論じている。なので、一冊の本としての統一性や論証したい結論へ向けての序章から最終章への強い論理的展開なはい。逆に言うとこれは、この本はどの章から読んでもよいことを示す。事実、どこからでも読める。"笑える「インド人のアイデンティティ」"問題へのアプローチの集大成に他ならない。

目次は;
第I部 声と異端
 第1篇 議論好きなインド人
 第2篇 不平等、安全の欠如、そして声
 第3篇 大きなインド・小さなインド
 第4篇 ディアスポラと世界
第II部 文化とコミュニケーション
 第5篇 タゴールとかれのインド
 第6篇 私たちの文化、かれらの文化
 第7篇 インドの諸伝統と西洋の想像力
 第8篇 中国とインド
第III部 政治と異議申し立て
 第9篇 運命との約束
 第10篇 インドにおける階級
 第11篇 女と男
 第12篇 インドと核爆弾
第IV部 理性とアイデンティティ
 第13篇 理性の射程
 第14篇 政教分離とその批判
 第15篇 暦から見るインド
 第16篇 インド人のアイデンティティ
訳者の解説1, 2


Amazon: 『議論好きなインド人―対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界』

そこで繰り返し語られ、おいらには目立ったのが、アクバル帝への称賛と現代のインド人民党に代表されるヒンドゥー・ナショナリズムへの繰り返しの憂慮。

【先駆的な多文化主義者としての皇帝アクバル】
表紙の絵が象徴的である。これがセンの理想的インド像。すなわち、アクバル帝がヒンドゥー、ムスリム、キリスト教徒、パールーシー、ジャイナ教、ユダヤ教、そして無神論者を集めて、議論に興じた。先駆的な多文化主義者としての皇帝アクバルを評価している。

アクバル(1542-1605)はムガル帝国の第3代(日本でいうと豊臣秀吉(1537-1598)と同時代人。ムガル帝国初代バーブルはティムールの孫でサマルカンドからカーブルに移り、北インドに侵入。アクバルはその孫。元来、モンゴル/トルコの血統でムスリム文明の系統であったので、インド従来のヒンドゥー教徒との融合がムガル帝国隆盛への課題であった。そして、実現した。

アクバルは、センが評価する先駆的な多文化主義者としてばかりではなく、ファテープル・スィークリーで(上画像)、イスラム系、ヒンドゥー系、キリスト教系の妃を摂って暮らして、政治実践とした。(ファテープル・スィークリーでおいらはガイドの人にバカなことを聞いてしまいました。3P禁止!インド・アクバル帝寝台 ゆるしてください。)

【インド人民党への憂慮】
1990年代にヒンドゥー至上主義が台頭した。議会でもインド人民党が多数派を占め、政府を取った。そのヒンドゥー至上主義による極端な事件が1992年の「バーブリー・マジッド破壊事件」。前述したムガル帝国初代のバーブルが建てたモスク、バーブリー・マスジッドをヒンドゥー至上主義が破壊した。破壊した理由は、バーブリー・マスジッドはムガル帝国がインドを侵攻したときにヒンドゥー寺院の上に建てた、いわばムスリム・ムガルによるインド支配の象徴であるから。つまり「マスジドはヒンドゥー教寺院を破壊して建てられた『邪悪な侵略者であるイスラーム教徒』の建築物であり、この地を本来のヒンドゥー教寺院に戻すべきだ」と (ヒンドゥー教による レコンキスタ!)。 ウイキペディア; バーブリー・マスジッド

さらには、ヒンドゥー主義のインド人民党は歴史認識の修正にも熱心であった。つまり、ヒンドゥー教徒の主流派のアーリア人はインドの先住民であると。なぜこういうことを主張しなければいけないかというと、アーリア人自身北方からインドに侵入し、先住民のトラビダ人を征服し、ヒンドゥー教を作っていったというのが「史実」であるので、これでは、アーリア人も侵入者ムスリムと同じ外来からの侵略者になってしまうからであろう。

センは、ヒンドゥー至上主義者やインド人民党によるバーブリー・マスジッド事件や歴史修正に憂慮している。寛容が「インドであること」に重要であると。インドの政教分離とは複数の宗派の存在のもとで為政者が中立的であることが重要。それが歴史においてアクバル帝やアショカ王に認めらられるとセンは書いている。


本書表紙のアクバル帝(右端)と宗教者たち。ファテープル・スィークリーにあったとされる「信仰の家」での様子らしい。