いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

朝鮮コネクションなのか、西松建設

2009年03月16日 21時37分46秒 | 日本事情
■今話題沸騰の西松建設は、なんと、あの水豊ダム(wikipedia)に携わった会社らしい。

朝鮮半島が日本の統治下であった1937年に満州国と朝鮮の電力確保の為、建設が開始された。建設されたのは鴨緑江下流の平安北道新義州府(現在の新義州市)から80Km地点の日満国境(現在は中朝国境)であった。

湛水面積は日本の琵琶湖のほぼ半分に相当し、総工費は約5億円である。なお、この金額は同時代に構想されていた「東京・下関間新幹線」に匹敵する巨額であり、その費用は当時朝鮮半島でも一大重化学企業であった朝鮮窒素肥料(朝鮮窒素)(現在のチッソ)が負担したという。太平洋戦争の泥沼化の中、1944年3月、水豊水力発電所(発電能力:60万kW)と共に竣工した。この発電規模は当時の世界最大級であり1940年当時の日本国内の水力発電規模が280万kWと比較してもその大きさは容易に比較できる。7基の発電機は各々約10万kWの発電能力を持っていたが、当時世界最大級の能力であり、製造を受注した東京芝浦電気(現在の東芝)は製造のために新工場を建設したという。 
・・・・・
朝鮮戦争中に雷撃を含む、アメリカ軍機の攻撃を受けたが、ダム構造が堅牢であったため決壊を免れた。戦後に北朝鮮は発電能力を増強して復興した。竣工から60年以上経過した現在もダム本体は大きな改修工事が行われず現役であると思われる。


■どうやら、邪推すると、自社両党による金丸訪朝団の後、マーシャルプランならぬ金丸プランを執行する予定だったらしい。つまり、日本政府の金を「植民地支配賠償」として北朝鮮の経済開発につぎ込む。その際、ゼネコン、特に北朝鮮に土地カンのある企業などが参加する。そういう金丸・北朝鮮プランの腐れ縁が今現在に至るまで田中派残党と西松建設に残っているらしい。

Google; 西松建設  朝鮮

■西松建設は、いつか日朝が国交回復するだろうと見込んで、与野党に分かれた旧田中派残党を支援し続けたのであろう。そして、この西松建設と旧田中派残党の動きと小沢一郎さんの「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」という発言と平仄が合う。

■財閥系の鉱山会社とか、その昔朝鮮半島で事業をしていたところは、地形図、地質図やボーリングデータなど探鉱の資料を倉庫に持っているに違いない。北朝鮮は花崗岩や片摩岩に由来するレアメタルの鉱床も多いらしい。こういう資料でいま風の「コンサル」かませば、ビッグプロジェクト目白押し。ただし、1年前だったらね。今じゃ、鉱産資源化価格暴落。